凜雪鴉の出自は宝塚歌劇団とのコラボがきっかけ
――そんな凜雪鴉ですが、今回のシリーズで謎めいていた出自がついに明かされました。あの設定はいつから決めていたんですか?
虚淵 宝塚歌劇団にコラボしていただいたときに(2018年の星組公演 『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』のこと)、その広報商材として「Killer Rouge凜雪鴉」という、同じ公演の後半にあった紅ゆずるさんのミュージカルパート『Killer Rouge/星秀☆煌紅』をモチーフにした、宝塚の孔雀の羽根を背負った真っ赤な凜雪鴉を作ってもらって劇場に飾ったんです。それがまた素晴らしい出来だったので、これはいっそ魔界の王様にしちゃおうか、とその場で思いつきました。なんなら、人形も使い回すくらいのつもりでいたんですよね。でも、展示用に作ったので金属パーツを多用していたり、孔雀の羽根もめっちゃ重かったりして、あれをそのまま使用したら演者の方が怪我しちゃうということで、もっと軽いものを作るために新デザインになったんです。そのときは魔界を描くことになる具体的な時期はまだわからなかったんですけど、やるとしたらこれだなと考えてはいました。
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凜雪鴉は魔王から邪悪さが欠落した姿
――では、まずは魔王の見た目が凜雪鴉とそっくりであるというのがスタートラインとしてあって。
虚淵 で、せっかくなら悪のピッコロ大魔王にしようと考えたんです。いい人になるためじゃなくて、本当の悪い人になるために切り捨てられた甘い部分ということにしようと。でも、切り離してみたら、魔王が思っていたよりは深い部分というか、言ってしまえば魔族の本質の中の本質だった。邪悪さすら取り除いた先にある、動物的な本能としての遊び心といいますか。何かをおちょくりたい、いじりたい、猫がねずみをいたぶるような、あの感覚ですよね。そこから野心や支配欲のような本能から来るものではない邪悪さを抜くと、凜雪鴉が出来上がる(笑)。言い換えれば、凜雪鴉は魔王から、理性があればこその邪悪さが欠落した姿なんですよ。損得勘定や後々の力関係を全部無視して、ただ楽しいからというだけで邪なことをするキャラクターとして成立した人です。
――ちなみに、人間の両親はいるんですか?
虚淵 います。魂だけが魔族だった、ということですね。
――声が梅原裕一郎さんというのも驚きでした。
虚淵 『REVENGER』で貫禄があって含みのあるキャラクターを演じてもらったんですが、めちゃくちゃハマり役だったので「よし、この流れで魔王をオファーしよう」と思いました。
――七殺天凌(ナナサツテンリョウ)の悠木碧さんに近い経緯ですか。
虚淵 やっぱり素晴らしい演技をしてもらえると、そこから当て書きと言いますか「このキャラクターのときの雰囲気でやってほしいな」みたいに考えるところはありますね。
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晏熙殿下は自分のバカさを利用している人
――晏熙(アンキ)殿下役の杉田智和さんはどういった流れでの配役だったのでしょう? 一部のファンの間では、杉田さんの『サンファン』出演待望論があったようですよ。
虚淵 そうだったんですか(笑)。杉田さんならいろいろな役ができるので、いつかお願いしようとキャラが増えるなかで考えていました。結果的には晏熙殿下をお願いすることになりましたけど、想像以上の怪演をしていただけましたね(笑)。
――晏熙殿下もユニークなキャラですが、どんな考えで生み出したのですか?
虚淵 西幽の権力者たちの邪悪さに対するカウンター的なキャラではありますね。ただ、それで完璧な君主にしてしまうと、まわりのキャラが立たなくなってしまうので「おバカなんだけど、自分のような立場にある人間がバカであるが故に、いいこともあるはずだ」みたいに、自分のバカさを逆に利用している人物にしました。自分がバカな振る舞いをすることによって、思い切った革新的な手が打てることもあると考えて、賢くあろうという努力を放棄しちゃった人。その代わり、無理をしてでも通さないと困る出来事があったときは「バカ殿の妄言という体(てい)でやり通そう」というスタンスで振る舞っている人ですね。
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――そういわれると見る目が変わりますね。カッコいいキャラな気がしてきました。
虚淵 いや、それでもバカはバカなんですよ(笑)。まとめると「賢い名君でいる努力をある時点で放棄した人」。そのくせ、賢い臣下はいっぱいいるんです。そいつらが、賢いが故に窮屈な思いをしていて、理屈で通せない問題がある局面をいっぱい見てきて、自分は権力構造の中のジョーカーとしていられると理解した人ですかね。幸い、国のトップではないですしね。でも、皇弟なので、めちゃくちゃができるくらいの地位はある、という。『最終章』で、彼のその辺のスタンスが明確になると思います。
どういう生き方が幸せかを、作品を通して描いている
――面白いです。モデルになりそうな歴史上の人物がなかなか思いつかないような。
虚淵 フィクションの登場人物として出てくる類型でしょうね。きっと実際の歴史でも「ほどよくバカだったが故にうまくいった」みたいなケースはあるんじゃないかと思うんです。まわりの臣下にとって担ぎ甲斐があるというか。フィクションだと、『蒼天航路』の劉備はそんな節があったのかなと。『蒼天航路』にはそういうキャラが何人かいた気がします。呂布もそうでしょう。曹操みたいな完璧超人だと、完璧過ぎて仕える甲斐がない。そして見放されてしまう。欠落のある君主だからこそ、仕える側には仕え甲斐がある。自分の能力も活かせるし……というのはあるんじゃないかなと思います。
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――それも含めて、今作の人間関係の描き方からは、虚淵さんの人間観が垣間見える気がします。大悪党はいい。逆に馬鹿で素直なやつもいい。小狡い小悪党だったり、たとえ性根は善人であっても策を弄するような人物は、一時的にうまくいくことがあっても、どこかで痛い目を見る。そのあたりについて、虚淵さんはどう捉えていますか?
虚淵 たしかに「どういう生き方が幸せか」みたいなことを、作品を通して描いている感覚はあります。フィクションは、やっぱりある種のおとぎ話というか、寓話の側面があると思うんですよ。だからそこでは、ひとつの倫理観を通したい。とくに、その場を凌ぐためだけに小さい知恵を働かせて小狡く生きるのは、結果的には幸せにはなれないぞ……というのは、僕の中にはっきりとある感覚だと思います。
- 虚淵玄
- うろぶちげん 株式会社ニトロプラス所属のシナリオライター、小説家。『魔法少女まどか☆マギカ』『PSYCHO-PASS サイコパス』『仮面ライダー鎧武/ガイム』『楽園追放 -Expelled from Paradise-』『GODZILLA 怪獣惑星』『OBSOLETE』など、数々の映像作品の原案や脚本を手がける。