TOPICS 2023.06.05 │ 12:00

山本裕介に聞いた
『機動戦士Vガンダム』30年目の真実①

『ヤマノススメ』など数々の人気作で知られるアニメ監督・山本裕介。そのキャリアの初期に関わった『機動戦士Vガンダム』は、自身にとって憧れの富野由悠季監督から直接多くのことを学んだ、思い入れの強いタイトルだという。放送30周年を迎えるタイミングで、あらためて制作当時のことを振り返ってもらった。

取材・文/前田 久

師匠の井内さんに「富野さんに揉まれてこい」と送り込まれた

――『機動戦士Vガンダム(以下、Vガンダム)』といえば、富野由悠季監督の当時を振り返ったセンセーショナルな物言いや、「見なくていい」発言がいまだに独り歩きしている印象があります。
山本 ですよね。でも、僕が見た『Vガンダム』の現場は、そうした印象とは全然違っていました。そういう話を今日はしたいな、と。Blu-ray BOXのブックレットに掲載されている渡邉哲也さん、森邦宏くんとの鼎談でもそんな話をしたのですが、もう少し話しておきたいことがあって。ちなみに『Vガンダム』って放送当時、ご覧になっていましたか?

――世代的に『Vガンダム』が初めてリアルタイムで体験する『ガンダム』のTVシリーズだったので、素直に触れていました。ただ、子供ですから、周辺事情を含め、作品の深いところまで理解できなくて。
山本 なるほど。

――まず、当時の状況を確認させてください。『Vガンダム』への参加はシリーズ中盤の第28話「大脱走」からですが、どのような経緯だったのでしょう?
山本 当時、僕は『魔神英雄伝ワタル』や『魔動王グランゾート』を監督されていた井内秀治さんの会社(リード・プロジェクト)に演出家として所属していました。井内さんは『聖戦士ダンバイン』や『重戦機エルガイム』に参加されていたこともあり、富野さんの流れを色濃く汲んでいる監督なんです。その井内さんから「『Vガンダム』の現場で演出に欠員が出て人を探しているから、お前が行って、富野さんに揉まれてこい」と言われてサンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)に送り込まれた……というのが参加の経緯になります。

©創通・サンライズ

――もともと山本さんは富野監督の作品が好きだったそうですが、その最新作に参加してみたい気持ちはあまりなかったのですか?
山本 その頃、『Vガンダム』の現場は、周囲からすごく怖がられていたんです(笑)。「富野監督にすごく怒られるし、演出の自由度が少ないらしい」なんて噂が流れていました。

――演出の自由度?
山本 具体的には「2コマ作画(※)禁止」「ガンダム以外のメカや人物に影付けをしてはいけない」、それから「爆発シーンは(作画の)枚数が必要になるので、1970年代のロボットアニメでやっていたような、BG(背景美術)の置き換えで処理をする」……そうした縛りがものすごく厳しくて、そのうえ人間関係もギスギスしているという噂でした。それで怯んでいたのですが、先ほどおっしゃったとおり、僕はもともと富野監督の作品が大好きだったんです。いちばん好きだったアニメは『聖戦士ダンバイン』で、それに憧れて富野監督の卒業された日本大学芸術学部映画学科監督コースに入って、そこからサンライズに入社して制作進行になったくらいで。

※映像の1フレーム=1/24秒のうち、2フレームごとに動画を入れる手法。日本のアニメでは3コマ作画が採られることが多い。

――進路に影響するくらい好きというのは、相当ですね。
山本 ただ、そうした経緯があった人間でも、業界に入るといろいろなものが見えてきてしまうものなんです。ロボットアニメを作るのがいかに大変かもわかってきたので、憧れているからといって、富野監督と仕事をする踏ん切りがつかなかった。でも、師匠の井内さんに言われたら、腹を決めて行くしかない(笑)。当時は演出になって2年くらいの時期だったのですが、ビクビクしながら『Vガンダム』の現場に入りました。ところがですね、実際に現場に入ってみたら、全然恐れていたようなことはなかったんです。

――おお。
山本 現場がこなれてきていて、むしろ富野監督を中心に士気が上がっている状態だったんですよね。「なごやか」とまでは言いませんが、ほどよい緊張感を保ちつつ、「富野監督が狙ったものを作ろう!」と現場の意識が上がっている状態でした。そんなまわりのテンションについていけるかが不安になるくらいでしたね。仕事を始めてからも、厳しいことはもちろんありましたが、決して無闇に怒鳴られることはなくて……と言いながら、2回だけ、富野監督にめちゃくちゃ怒鳴られたことがあるのですが(笑)、これはまた、あとでお話します。

「なにそれ!?」と思った富野監督との初コンタクト

――『Vガンダム』に参加してからは、もとの会社ではなく、サンライズのスタジオに机を置いて作業をしていたのでしょうか?
山本 そうです。当時はわりとそれが普通で、ある作品に関わることになったら、その作品を手がけているスタジオに席を置いて、なるべく作品の掛け持ちをしないで常駐して作業していたんです。おかげで他の演出さんとも仲よくなれました。西森章さんや芦沢剛史さんといった先輩方に仕事を教わりつつ、同年代の渡邊哲哉さんや、今はボンズにいる武井良幸くん、玉田博さんとは、いい意味でのライバル意識を持ちながら仕事ができた。それと、僕の机の隣に富野監督の机があったんです。

――プレッシャーがすごそうな……。
山本 あはは。でも、富野監督はいつもいたわけではなかったんですよ。だからそこまでではないですが、いらっしゃったときには横から僕のやっていることをのぞいてきて、いろいろといじってこられて……そういうときはさすがに緊張しましたね、やはり。でも、そうしたどれもが、演出を学んでいくうえで理想的な環境だったと、思い返してみて感じます。

――時間を少し戻しますが、富野監督に最初に挨拶したときはどんな感じだったのでしょう? 
山本 めちゃめちゃ身構えて行きました。そうしたら、思っていたのと違う方向だったんです。怒られるかと思いきや「あなたのような人が来るのをお待ちしていました」と言われたんですよ。「なにそれ!?」でした(笑)。

――逆に怖くなりますよね(笑)。
山本 怖いですよ(笑)。その前フリとして「君が作ったものを1本持ってきなさい」と言われていたんです。ここで「ガンダム的なもの」を持っていくのもどうかと思って、井内さんが監督した『ママは小学4年生』で絵コンテ・演出を担当した回を持っていったんです。生活もの、少女ものを見てもらおう、と。それがよかったのかもしれません。もうひとつ、そのときに言われてはっきりおぼえているのが「今後いっさい、他のアニメを見るのをやめてください」という言葉です。

――おお……。
山本 「他のアニメから変な影響を受けるべきではない。今流れているアニメは全部見るな」と言われました。ちょうどその頃、僕はいろいろなアニメを見るのに疲れていた時期だったんです。仕事にしたことで、好きだったアニメを見るのが楽しくなくなっていた。なので、富野さんのその言葉には少し救われた部分がありました。

――そんな意味でもタイミングがよかったんですね。
山本 はい。あともうひとつインパクトのあることを言われたんです。「あなたがこの現場にいる期間はおそらく半年くらいだろうけれども、普通の演出が20年かけておぼえることをその半年でおぼえることができるはずだ。それは保証する。この半年、君がちゃんとやれば、20年は(演出家として)食っていける」……そんなことを言われました。

――すごい自負ですね。
山本 言い切れるのがすごいです。言われたほうとしてもうれしいですし、そのひと言で完全に「ついていきます!!」という気持ちになりました。それまで想像していた富野監督像とは何から何まで違いましたね。しかも「20年分」というのは大げさではなく、ここで得られたものは、その後、自分がアニメの仕事をしていくうえでとても大きかったです。だから僕にとっての師匠は、演出への道を開いてくれた井内さんと、『Vガンダム』の現場で出会った富野監督のふたりだと思っています。勝手な思いですが、それぞれの違ういい部分を、自分の中に吸収させていただけた、と。endmark

山本裕介
やまもとゆうすけ 1966年生まれ。島根県出身。日本大学芸術学部映画学科を卒業後、サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)に入社。制作進行を経て演出家となる。主な監督作に『ケロロ軍曹』『ワルキューレ ロマンツェ』『ナイツ&マジック』『推しが武道館いってくれたら死ぬ』『ヤマノススメ』シリーズなどがある他、2023年7月からは『SYNDUALITY Noir』が放送予定。
作品情報


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