『炎炎』ED1に見る「静」と「動」のバランス
――まず『炎炎』の第1クールのEDについてですが、こちらの制作を担当することになった経緯を教えてください。
紺野 僕は以前、所属していたシャフトで『メカクシティアクターズ』の第9話の日記パートや、『〈物語〉シリーズ セカンドシーズン 鬼物語』に登場した横長の絵巻物など、一風変わったパートを担当していたのですが、そのときの僕の仕事を見てくださっていた松永康佑さん(『炎炎』のアニメーションプロデューサー)に「新作アニメのEDを単独でやってみないか」とお誘いいただいたのが、そもそものきっかけです。「ひとりで映像のすべてを作る」というお仕事は初めてでしたし、大役でプレッシャーもありましたが、そういう試みに以前から興味があったので念願かなった、という感じでした。
――なぜEDを単独で作ってみたいと?
紺野 絵コンテから仕上げまで、撮影以外のすべてを自分の手でコントロールするのに一番向いているのは、アニメのEDだと思うんです。OPは「作品の顔」でもあるので、正攻法でやらなければならないこともあります。その点、EDは自分の持ち味を出しても許してもらえるという自由度の高さがあるような気がしまして。
――なるほど。では、初めてのED制作にはどのように臨んだのでしょうか?
紺野 コンテの経験はあったのですが、映像のコンセプトから考えるのは初めてで、曲に乗せて映像をどのように構成するかで苦労しました。まず、映像の軸を決めるため『炎炎』の原作コミックを読んだのですが、そのときに思いついたのが特定のキャラクターではない「そのほかの人々」のことでした。『炎炎』では平穏に暮らしている人々が、ある日突然発火して“焰ビト”になり、それまでの日常が破壊されていきます。そんな不条理さと理不尽さに惹かれて、「名もなき人々の焼失」をEDのモチーフにしたいと思ったんです。内容を詰めていく過程で、かつて孤児院で暮らしていたアイリスが、“焰ビト”の事件で友人たちを失った過去を主軸に描くことを思いつきました。EDで描かれているシスターたちは、「名もなき人々」の集約した形なんです。
紺野が手がけた『炎炎』第1クールEDのビデオコンテ。
――ED冒頭では、在りし日のシスターたちの生活を描いた絵が、1秒間に2枚のペースで切り替わっていく贅沢な使い方でした。
紺野 在りし日のシスターたちの姿は、最初から冒頭の間奏部分に「思い出の写真」のようなテイストで入れようと考えていました。動画で見せるよりも、止め絵を連続的に見せていったほうがインパクトがあるだろうと。ただ、視聴者に「シスターたちのなにげない日常」を感じてもらうにはそれなりの枚数が必要だろうし、かなりの手間がかかるので正直避けたかったんですが……。それでも、カットを積むこと以外に方法はないだろうということで、思いきってやってみました。
曲の間奏部分に挿入される、過去のシスターたちの日常。全部で21枚描かれたこれらの絵は、キャラクターのデザインやレイアウト、彩色、背景まで、撮影以外はすべて紺野が手がけている。
――シスターたちの日常を美麗な止め絵で見せる一方、走るアイリスの動きを見せるなど、「静」と「動」うまく融合した映像だと感じました。こうした「静と動のバランス」も紺野さんのこだわりなのでしょうか?
紺野 アニメーターにもいろいろなタイプがいますが、僕は「絵を動かしたいタイプ」のアニメーターではないんです。派手で目まぐるしいアクションを見せるのもアニメの魅力ですが、僕は動きのなかに止め絵のカットを入れて、ビシッと決めるのがいちばん好きで。むしろ、止め絵をカッコよく見せるために、動きのシーンを入れるという感覚でやっているところがありますね。たとえば、アイリスが走るカットのあとに口元のカットを入れていて、止めではないんですが、前カットと比べると静的な印象のものになっていると思います。このギャップみたいなものがあると空気感がグッと引き締まる感じがして、印象に残りやすいかなと。
――ほかに力を入れたシーンはどこでしょうか?
紺野 中盤で描かれる「炎」のルックですかね。ED全体のコンセプトに関わる部分になりますが、自分としては「絵画感」を出したいと思っていまして。マットな質感もその狙いのひとつです。冒頭のシスターたちのシーンも、写真風ではあるけれど、カメラのレンズを通して見たような効果は入れないようにしています。たとえば、レンズの遠近ボケなどは避けています。炎も本来はもっと明るくて光を発するんですが、実写の炎を再現しようとしてデジタル処理などを入れてしまうと、ありきたりなものになってしまうなと。そこで、もっと暗くてマットな炎――たとえるなら「日本画の炎」のように記号的な感じを目指しました。普通なら炎の輪郭を線で描いて、それに色をつけて処理をかけていきますが、TVペイント(アニメーション作画ソフト)のエアブラシや消しゴムで炎を塗り面として直接描いて仕上げました。
『炎炎』ED2で描いた日下部兄弟の運命の構図
――次に『炎炎』第2クールのED2についてですが、こちらはED1のオファーを受けた流れから作ることになったのでしょうか?
紺野 もともとはED1のみの単発のお仕事でしたが、完成後に「ED2もやってみませんか?」とお誘いいただいて、せっかくだからとお受けしたんです。ただ、ED2の制作がスタートしたとき、僕は別作品の制作にかかりきりになっていて、とにかく時間がないなかでの作業となりました。ED1は3カ月半くらいかけて作ったんですが、ED2は実質3週間くらいしかない状況だったんです。でも、いくら時間がないとはいえ、手抜きのものを作るわけにはいかないので、制作カロリーは抑えつつも、しっかりと内容のあるものを目指しました。そこで、主人公である森羅 日下部と、彼の生き別れの弟である象 日下部、そしてふたりの母親を織り交ぜた「家族」をモチーフにEDを作ることにしたんです。
紺野が手がけた『炎炎』第2クールEDのビデオコンテ。
――ED2は冒頭に出てくる脳髄と、花束から伸びる神経網が印象的ですが、これらは何をイメージしたものなのでしょうか?
咲き誇る花々があっという間にしおれて、そこから神経網が伸びていく。その異様な映像には、見る者の心を強烈にとらえるインパクトがある。
紺野 ED2の曲名が「脳内」だと聞いたとき、なんとなく頭に浮かんだのが「頭のなかがハッピーな状態」を揶揄する「脳内がお花畑」というワードでした。そこから脳→花→幸せな家族の象徴と連想していきました。シンラの家庭は過去に起こったとある事件がきっかけで崩壊し、シンラとショウは生き別れとなりました。そうした家庭の崩壊を、咲き誇る花が一気に枯れていくことで表現してみました。脳から伸びる神経網は、シンラとショウの運命を暗示しています。もともとは一本だったものが二手に分かれ、またひとつに交わっていく。それは引き裂かれたふたりの運命が、再会によってひとつになることを示しています。
幸せだった家族の生活は、“焰ビト”の事件で一瞬にして消え失せた。だが、事件で死んだと思われていたショウは生きており、やがて成長した彼は、灰焰騎士団の団長という立場で兄と対峙する。ED2には、そんなふたりのドラマが込められている。
――ED1に比べて絵の枚数は少ないですが、内容は受け手に伝わるものになっていますね。
紺野 ED1は、当時の自分ができることのすべてを詰め込みました。一方、ED2はその逆で、限界まで要素をそぎ落としつつも、どれだけ映像に意味を詰め込めるかを目指しました。結果的にアプローチが真逆になりましたが、とても勉強になりましたね。
――『炎炎』で2本のEDを作ったことで、どんな収穫がありましたか?
紺野 自分の得意なこと、適性がどこにあるのかが見えた気がしました。自分は職人的なアニメーターとして原画を描いていくよりも、演出的な部分から始めて映像を作りたいんだなと。短い映像ではありますが、2本の映像を完成させたことは自信につながりましたし、「自分の居場所」を見つけられたように思いました。
- 紺野大樹
- こんのたいき。フリーランスのアニメ演出家・アニメーター。成安造形大学の美術領域日本画クラスを卒業後、シャフトに入社。『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』や『〈物語〉シリーズ』などで動画を経験した後、『〈物語〉シリーズ セカンドシーズン 鬼物語』や『メカクシティアクターズ』で一部の演出・作画を担当。シャフト退社後は『Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-』などで作画監督(共同)などを手がけている。