TOPICS 2021.05.13 │ 12:00

社会人オタク教養学 クトゥルフ神話②

第2回 千の異形を持つ邪神N

クトゥルフ神話の邪神のなかでクトゥルフと並んで知名度が高いのが、千の異形を持つ邪神、「這い寄る混沌」ニャルラトホテプである。この邪神がアニメのヒロインにまでなったのはなぜなのか?

文/朱鷺田祐介 バナービジュアル/まりやす

這い寄れ、混沌

アニメ化されたライトノベル『這いよれ!ニャル子さん』で広く知られることとなったクトゥルフ神話を代表する邪神の一柱、ニャルラトホテプ。アニメではアホ毛つきの銀髪美少女だったが、「千の異形」を持つとされるだけに、この邪神の姿は千差万別だ。翻訳の表記もばらばらで、小説翻訳ではナイアルラトホテップ、ナイアーラトテップ、『這いよれ!ニャル子さん』ではニャルラトホテプ、『クトゥルフ神話TRPG』ではニャルラトテップと発音する。

ニャルラトホテプは、彼を生み出したラヴクラフトの作品においてすら、異なる外見や立ち位置で描写される。TRPG版のモンスター・ガイドである『マレウス・モンストロルム』では、ニャルラトホテプの化身が30ページにわたって掲載されており、セト、テスカトリポカ、トート、パズズなど、古代信仰に根付く悪神の類はその化身とされ、果ては方程式(※1)や悪心影(※2)まで含まれている。また、「強壮なる使者」「夜に吠えるもの」「盲目にして無貌のもの」「暗きもの」「闇に棲むもの」など、多くの異名も持つが、やはりもっとも有名なのは「這い寄る混沌」の称号だろう。

※1 宇宙の真理に迫る極めて難解な量子数学の方程式。クルーシュチャ方程式 。
※2 あくしんかげ。「暗黒将軍」とも呼ばれる。大きな鎧を着た武者の姿で、織田信長の容貌をしている。

それは夢から始まった

最初にニャルラトホテプが登場した作品は『ナイアルラトホテップ』(1920)で、謎の発明家が街にやってくるという奇妙な短編である。その発明家は「ナイアルラトホテップ」と名乗る男で、古代エジプトのファラオを思わせる顔立ちだった。彼はカリスマ有名人のようにふるまいながら講演を行い、不思議な発明品を人々に見せ、こう言った。「27世紀の暗黒のなかから立ち上がり、この星にあらざる場所からの託宣を耳にしたのだ」と。ナイアルラトホテップはあっという間に民衆の人気を勝ち取り、主人公である「わたし」の住む街へやって来る。「わたし」は友人に誘われるまま、彼の講演を聞きにいくが、そこで恐ろしい体験をし、思わず「ペテンだ」と口にしてしまう。怒ったナイアルラトホテップに追い出された「わたし」たちは、その帰路でさらなるおぞましい現象を目の当たりにし、ひとり、またひとりと消えていく――。

画像出典 Gerhard G./Pixabay

この『ナイアルラトホテップ』はわずか数ページの掌編に過ぎないが、クトゥルフ神話のイメージ形成に大きな影響を与えた。ここに現れるニャルラトホテプの外見は、色黒で痩せ型の不気味な男としか書かれていない。だが、ラストで、クトゥルフの邪神たちが目覚めたときのおぞましいイメージを提示したのだ。

これはラヴクラフトの夢から始まった作品で、はっきりと目が覚める前に第一稿を書き上げたという。顔を洗って見直してみると、夢があまりに首尾一貫しているので、わずか三語のみを修正し、結末にナイアルラトホテップを窮極の神の化身とすると付け加えただけで完成させた。

変幻自在のニャルラトホテプ

ラヴクラフト自身もニャルラトホテプを気に入ったのか、このすぐあとに、当時仲の良かった女流詩人ウィニフレッド・ヴァージニア・ジャクソンとの合作(名義はエリザベス・バークリイ&ルイス・テオバルト・ジュニア)として『這い寄る混沌』を書いている。その後、ニャルラトホテプはラヴクラフトのほかの作品にも次々と姿を現していった。『壁のなかの鼠』では、忌まわしい儀式が行われたイグザム修道院の地下に白痴の笛吹きを引き連れて出現し、『魔女の家の夢』では、魔女を操る「暗黒の男」として、魔術と数学の合体を夢見る学究の徒のもとに魔女と使い魔を派遣する。

ときには荘厳な姿を現す場合もある。夢の世界を舞台にした冒険物『未知なるカダスを夢に求めて』では、ファラオのような姿をしたラスボスとして登場し、ラストでは、主人公ランドルフ・カーターに幼少の頃、夢見た美しき宮殿へ向かうように助言する。このときの「二度とふたたび千なる異形の我と出会わぬことを宇宙に祈るがよい。(中略)我こそは這い寄る混沌、ナイアルラトホテップなれば」というセリフで「這い寄る混沌」の称号を明確なものとした。

また、魔王アザトースの使者としての姿もある。アザトースはクトゥルフ神話の最高神にあたる万物の王にして、盲目白痴の魔王だ。時空の束縛を受けない混沌の真ん中にあり、不定形の踊り子と忌まわしきフルートの音に慰められながら横たわっている。その姿は「角度を持つ宇宙の彼方の途轍もない核の混沌」と描写され、見たものは発狂してしまう。

ブロックへ引き継がれる「混沌」

ラヴクラフトの友人であり、後に『サイコ』を書くロバート・ブロックは、あらかじめ作中でラヴクラフトをモデルにした神秘的な夢想家を殺す許可を求めた。これに対してラヴクラフトは、自分をモデルにした登場人物を「描き、殺し、軽視し、分断し、美化し、変身させることを含めて、どう扱ってもよい」という許可書を発行した。そうして書かれた『星から訪れたもの』に対して、今度はラヴクラフトがお返しにブロックを自分の小説に登場させて、ニャルラトホテプに殺させることにした。これが『闇をさまようもの』である。ラヴクラフトは37年に病死し、残念ながらこれが最後の作品となった。その後、ブロックはクトゥルフ神話、とりわけニャルラトホテプの物語を引き継いでいくことになる。

ブロックの最大の功績は『尖塔の影』(1950)において、ラヴクラフトが詩的な策謀家として描いたニャルラトホテプのイメージを明確化したことだ。『尖塔の影』はラヴクラフトの『闇をさまようもの』に対する続編として書かれた作品である。『闇をさまようもの』で死んだロバート・ブレイクの友人エドマンド・フィスクは、友人の死の謎をずっと追いかけていたが、手がかりである「輝くトラペゾヘドロン(※3)」は、デクスター医師によりナラガンセット湾の海底に沈められてしまった。フィスクは、物理学者として活躍し、軍の核開発計画に関わっていたデクスター医師に接触する。そこで知ったのは「輝くトラペゾヘドロン」からニャルラトホテプが召喚され、世界を破滅に導く核兵器を人類が入手する手助けをしていたということ、そして、目の前にいる黒い肌をしたデクスター医師の正体がニャルラトホテプという驚くべき事実だった。この作品でニャルラトホテプ=黒い人のイメージが固定された。

画像出典 photoAC

ブロック晩年の『アーカム計画』(1978)では、ニャルラトホテプの代理人として「星の智慧派」のナイ神父を登場させた。ナイ神父が強烈な印象を残したためか、以来、ニャルラトホテプのイメージは黒い肌の神父様になってしまった。たとえば、コンシューマーゲーム『真・女神転生 デビルサマナー』には悪役として、黒い肌の神父シド・デイビスが登場する。その黒い肌といい、手にしている怪しげな魔道書といい、『アーカム計画』のナイ神父をイメージしていると思われる。

※3 『闇をさまようもの』に登場する謎の多面体。

ダーレスの『闇に棲みつくもの』

ラヴクラフトに心酔し、ラヴクラフトの作品の出版を行ったオーガスト・ダーレスも、『闇に棲みつくもの』(1944)でニャルラトホテプを登場させたが、扱いがブロックとはまるで異なる。

物語の舞台は、ウィスコンシン州リック湖を巡る森である。この森には何か巨大な怪物が棲むと噂されており、失踪事件や怪死事件が発生していた。そして、1940年にテスト飛行をしていたパイロットが巨大生物を目撃したこと、300年前に失踪したピアガード神父の死体が無傷で発見されたこときっかけに、州立大学のアプトン・ガードナー教授は調査に乗り出すが、そのまま失踪。彼の助手レアードは教授の同僚ジャックに救いを求める。教授が使っていたロッジに到着したふたりは、教授の残したメモや集められた資料から、教授が森のなかで謎の平石を発見したこと、何か危険な存在を察知したこと、「ネクロノミコン」や「ナコト写本」といった禁断の魔道書を調査し、ついにはラヴクラフトの小説にさえ手がかりを求め、最後には教授が消えてしまったことを知る。

画像出典 photoAC

その夜、不可解なフルートの音と人外のものの雄叫びを聞いたジャックとレアードは、教授のメモに名前のあったパーティエル教授を訪ね、彼からクトゥルフ神話について聞きだす。さらにロッジへの帰り道で、ガードナー教授と会ったという現地人のガイドからも、顔のない怪物が月に向かって吠えるという話を聞く。そして、ロッジに仕掛けておいた口述筆記装置の音声を再生したふたりは恐ろしい内容を耳にする。そこに残されていたのは恐るべき叫びだけでなく、失踪したはずの教授の警告する声だった。記録には、このンガイの森こそ、「神々の使者」にして「闇に棲みつくもの」ニャルラトホテプが地球上に持つ支配地のひとつであり、教授やピアガード神父はニャルラトホテプに捕えられていたことを告げる教授の声、そして最後には何かに引きずられる音とむせび泣くような叫び声が残っていた。

ニャル様の幻想

かくして、ニャルラトホテプはさまざまな姿を獲得した。ニャルラトホテプは便利な神格で、本人が人類を滅ぼすための陰謀好きであり、そのうえ「旧支配者」たちのなかで旧神(※4)による封印から唯一逃れている自由の身であるため、クトゥルフ神話の陰謀にはだいたい彼が関わっている。人間と会話可能という親しみやすさもあり、やがて「ニャル様」という愛称で呼ばれるようになった。「這い寄る混沌」というキャッチフレーズもインパクトがあり、クトゥルフ神話で遊ぼうとするクリエイターのネタとしてよく使われている。そして21世紀に入ると、ラヴ(クラフト)・コメディ系ライトノベル『這いよれ!ニャル子さん』が話題となり、さらにキャラクターのパターンが増えてしまった。もはや「黒い人」すらニャルラトホテプの正体とは言いがたいあたりが恐ろしい。endmark

※4 「旧支配者(邪神)」たちと対立する存在。「旧支配者」たちの封印・幽閉をしたとされている。