Febri TALK 2022.07.25 │ 12:00

渡辺歩 演出家/アニメーター

①表現の自由さに打ちのめされた
『アルプスの少女ハイジ』

『漁港の肉子ちゃん』や『サマータイムレンダ』など、幅広い作品で視聴者を魅了する渡辺歩が、忘れられないアニメ作品を語るインタビュー連載の第1回。アニメーションの「凄み」に満ちたあの名作について、たっぷり語ってもらった。

取材・文/宮 昌太朗

今でもはっきりと思い出せるのは、それだけ描写が濃厚だったから

――今日は渡辺監督のアニメ遍歴を聞きたいのですが、その前に、子供の頃はよくアニメを見ていましたか?
渡辺 ごく一般的な子供として、楽しんでいたと思います。夕方の4時くらいに家に帰ってくるとアニメの再放送がやっていたので、それを見ていました。当時は『宇宙戦艦ヤマト』が人気でしたけど、僕が見ていたのは再放送でしたね。他にも、朝早く起きると『世界名作劇場』が流れていて、あとは特撮番組も見ていました。ただ、思い返すとそんなにアニメということを意識していなかったと思います。

――なるほど。最初は、高畑勲監督の名作『アルプスの少女ハイジ(以下、ハイジ)』ですが、見ていたのは渡辺さんが小学生の頃ですか?
渡辺 そうです。ただ、毎週欠かさず見ていたわけではないんです。たまたまテレビでやっているときに見る感じだったんですけど、とはいえ「ブランコがすごい」とか「食べ物がとにかく美味しそう」とか、感じたことが強烈に記憶に残っているんですね。とくに印象深かったのが「白パン」(第25話)で、ハイジが村に持って帰ろうと思って貯め込んでいた白パンに、カビが生えて全部ダメにしてしまうエピソード。しかもそのあと、おばあさんが白パンをハイジにくれる、というのがまたいいんです(笑)。……って、これはもう完全にファントークですね。

――あはは。でも、よくわかります。
渡辺 ただ、そういう風に強烈なイメージが残っているということは、しっかりと構築された『ハイジ』の世界に、当時の自分が捕らえられていたということだと思うんです。動きや音、色がついて表現されたものが、今でも自分の中に残っている。当時は意識していなかったし、そのすごさに気がつくのはだいぶあとになってからですけど、でもアニメーションの凄みを感じる――そういう原体験が『ハイジ』にあったと思うんですね。少年時代に「チーズが美味しそうだったな」と感じたことを今でもはっきりと思い出せるのは、それだけ描写が濃厚だったから。それは監督の高畑勲さんやプロデューサーの高橋茂人さんたちの力があってこそだと思うんですが、これはあらためて考えてもすごいことだなと思います。

すべての作りに隙がないし

些細なシーンでもしっかりと

表現に結びつけていく

――『ハイジ』のすごさに気づいたのは、だいぶあとだったという話ですが、どういうタイミングだったのでしょうか?
渡辺 『ドラえもん』の劇場版を作っていたあたりですね。監督として、作品に責任を持たなければいけない立場になったときに、もう一度、自分を見つめ直そうと思い立ったんです。そのときに『ハイジ』や『あしたのジョー2』を見直してみて、自分がなぜ、これらの作品を「いい」と思うのか検証し直そう、と。それで映像を持っていた人から借りて見て――それもシリーズすべてが揃っている状態ではなくて、飛び飛びで歯抜け状態だったんですけど、とりあえず第1話(「アルムの山へ」)から見てみようと思ったら、もう冒頭からすごいんです。厚着しているハイジが、坂を登りながら1枚ずつ服を脱いでいくシーン。単純でシンプルなシーンなのに、あの場面で泣けてきてしまう。すべての作りに隙がないし、些細なシーンでもしっかりと表現に結びつけていく。その研ぎ澄まされた感じが、本当にすごいんですよ。

――ひとつひとつのシーン、カットに詰まっている表現の厚みに圧倒されますよね。
渡辺 有名なチーズが溶けている場面にしても、その手前のパンを切るところから丁寧に描いているんです。しかもテーブルに手が届かないハイジのために、おじいさんは椅子を持ってきてそれを机代わりにする。そのことで、おじいさんの心情まで、こちらが勝手に想像しちゃうんです。これはもう本当にすごい。チーズどころの騒ぎではなくて「なるほど、そういう意図だったのか!」と。藁のベッドにしても、リアリティで考えるとそうはならないはずなのに「これぞアニメーションだ」という説得力がある。表現の必然性と、その自由さに打ちのめされました。これが、かつて自分が『ハイジ』を見たときに感じたことだったのか、と。

――あらめて発見するところがあった。
渡辺 いつか自分も、この感動をアニメーションに乗せて打ち返さなければいけないな、と思いますね。この産業に身を置きながらこう言うのは矛盾しているかもしれませんが、お金を出してくれそうな層に向けてばかり作っていると、次の世代に「体験としてのアニメーション」が伝わらなくなってしまうのではないか……そういう個人的な危惧があります。小さい子供が見て、いつまでも記憶にこびりついて離れない――そういう作品を作るのは難しいことですが、そのことは常に意識しています。

――『ハイジ』には細々とした生活のディテールがいっぱい詰まっていますが、日常描写の積み重ねで言えば、渡辺さんが監督した『漁港の肉子ちゃん(以下、肉子ちゃん)』は、どことなく高畑監督の『じゃりン子チエ』を思い出させるところがあります。
渡辺 ありがとうございます。結局、自分が見てきたものに影響を受けてしまうんですよね。『肉子ちゃん』の制作中、ひとつだけ近い作品を挙げるとすれば『じゃりン子チエ』だね、という話はしていたんですよ。

――そうなんですね! 『肉子ちゃん』でも、日常描写がどういう意図で置かれているのかはパッと見ではわからない。でも、その意図がじわじわとあとから効いてくるところは、『ハイジ』や『じゃりン子チエ』に共通しているのかなと思いました。
渡辺 そうですね。『ハイジ』は最初からすべてが明らかになっているわけじゃなくて、まず行動を描くことで視聴者の興味を惹く。ただ、そこに込められた意図は、早い段階から周到に計算されているんだろうな、と感じます。細かいところまで原作を読み解いて、分解して、しかもそれをアニメーションにおける表現のために再構築しているんですが、同じ高畑監督の作品で言えば『赤毛のアン』もそうでしょう。じつは『赤毛のアン』も、今回の3本に入れようかどうしようか迷った作品のひとつでした。endmark

KATARIBE Profile

渡辺歩

渡辺歩

演出家/アニメーター

わたなべあゆむ 東京都出身。演出家、アニメーター。アニメーターとして『ドラえもん』に長く携わった後、演出も手がけるようになる。主な監督作に『宇宙兄弟』『MAJOR 2nd』『サマータイムレンダ』『海獣の子供』『漁港の肉子ちゃん』など。

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