今からでも『プラネテス』を見るべき理由とは?
原作は1999年から2004年にかけて『モーニング』で連載された幸村誠によるSFマンガ。全4巻とコンパクトながらも、まるで分厚い哲学書を読破したかのような読後感に浸れる濃密な作品で、紛れもない傑作だ。一方、TVアニメは2003年から2004年にかけて放送された。監督は谷口悟朗、脚本は大河内一楼という、のちに『コードギアス 反逆のルルーシュ』を世に送り出した名コンビによって全26話で映像化された本アニメは、原作のエッセンスを抽出しつつも、キャラクターやシナリオ、世界観に大幅な改変を加えて再構成しており、こちらもまた(原作とはベクトルは異なれど)アニメ史に残る名作として高い評価を得た。ぜひ原作も読んでいただきたいところだが、今回はアニメに焦点を絞って振り返ってみたい。
なにより驚きなのは、放送開始から20年が経とうとする2022年時点においてもストーリーや映像表現においていっさいの古臭さや時代錯誤感を感じないこと。これは製作陣が仕掛けた説得力のあるリアリティ表現によるものと、普遍的な人間の営みを描いていることの2点が理由だろう。
リアリティある映像表現については百聞は一見に如かずではあるが、宇宙船や宇宙ステーションなどの大型建造物からマニピュレーターや宇宙服といった小型機材、さらには各種ウェアラブルデバイスやモニター類、管制との通信シークエンスに至るまで、ハードとソフト両面でスキがない。極めて解像度が高く、それでいて斬新な宇宙描写は、第1話から存分に発揮されている。宇宙服のカスタムからトイボックスの出航、フィッシュボーンによるデブリ回収に至る一連の流れは、本作がフィクションだということを視聴者に忘れさせてくれるSFアニメ史上屈指の名シーンだ。今や当たり前になった宇宙空間の無音演出まで含め、製作陣のこだわりに満ちた映像は、2022年現在においてもなお最高峰のクオリティを誇っている。ぜひ細かいところまで目をこらしながら見てほしい。
普遍的な人間の営みとは、すなわち「生活」だ。生活には愛や希望もあれば、憎しみも絶望もある。それも人の数だけ。その点、哲学的アプローチによって人間の本質を追い求めた原作は、言うなればハチマキの私小説であり、その強い志向性がソリッドな輝きを放っていることは間違いない。原作最終話のハチマキのセリフ「愛し合うことだけはどうしてもやめられないんだ」に至るためには、これが最適な手法だったのだろう。
一方、アニメでは宇宙で働く人々の生活が群像劇として描かれているため、あらゆる価値観の多様性が認められ、ハチマキとタナベはその渦中の中で長い時間をかけて親密になっていく。そしてこの過程こそが、かの有名な「しりとりプロポーズ」を伝説シーンへと押し上げている大きな要因である。つまり、これは凝縮された原作の希釈化ではなく、世界観の拡大であり、アニメから受ける感動はその副次効果なのだ。向かう結末は同じでも、原作とアニメで受け取る感動の種類が異なる、そんなレアな体験が楽しめるのも本作の特徴だ。原作とアニメがそれぞれ異なる文脈で「傑作」となった稀有な例が『プラネテス』であり、あらためてアニメというメディアの可能性を感じさせてくれる作品でもあるのだ。