描きたかった「父」たちのドラマ
――「真生版」ではレイティング変更に伴うリテイクの他、シンプルな絵のブラッシュアップも行われています。主にどのようなカットが多いのでしょうか?
古賀 アクションシーンではなく日常芝居、とくに表情作画のブラッシュアップが多いです。水木はアニメーターさんたちにとって、描くのがけっこう難しいキャラクターなんです。東映アニメーションが普段手がけている作品とは真逆のアプローチで、アニメ的な記号のない生々しさを重視しているので、そこはわりと「真生版」で手を入れていますね。
――なるほど。本作の人間ドラマのメインは、鬼太郎の父と水木のふたりの関係性だと思います。古賀監督は、このふたりをどんな関係だと捉えていますか?
古賀 言ってしまえば「年の差バディ」ですね。鬼太郎の父は妖怪として何百年も生きていますから、彼から見たら人間である水木は若造です。しかも鬼太郎の父は人間から迫害を受けてきた過去もあるので、人間に対してはある意味で諦観を持っています。村で子供から石を投げられた際、とくに気にした素振りを見せなかったのは、そんなことはもう慣れっこだということと、人間に対しての諦(あきら)めからなんです。
――このとき、鬼太郎の父に代わって子供たちを怒ったのは水木でしたね。
古賀 そうです。水木は昭和の男らしく、愚直で嘘をつくのが苦手なタイプです。戦争では上の世代から酷い目に遭わされた経験を持っているため、今度は自分が強者側に回ろうと悪ぶってはいますが、本質的には悪人ではないですよね。鬼太郎の父は、そんな水木の心の奥底にある善性を感じたからこそ、信頼関係をだんだんと深めていったんだと思います。
――牢屋に入れられた鬼太郎の父に対して、水木が「この村へやって来た理由を話せばここから出してやる」と言いましたが、結果的に約束を破りました。その際、鬼太郎の父がすごく怖い目で水木を見つめていたシーンが印象的でしたが、このときにはすでに水木が悪い人間でないことを見抜いていたのでしょうか?
古賀 出会ったばかりですから、そこまで見抜いていたわけではないと思います。水木のことを牢屋に閉じ込めるくらいのお仕置きに留めたのは、もともと鬼太郎の父が温厚で、むやみに人間を殺すような妖怪ではなかったからですね。もっと凶暴な性格であれば、それこそ人間から迫害を受けたはるか昔の時点で、人に害悪を及ぼす妖怪になっていたと思います。
――なるほど。温厚で好々爺な鬼太郎の父と、若くて血気盛んな水木、たしかに王道の年の差バディということですね。
古賀 関係性のベースはそうなんですけど、その一方で、水木は決して無鉄砲で考えなしの若造というわけではなくて、むしろ鬼太郎の父も水木も、どちらも「父」として描いているつもりです。言いかえれば、本作は「父」たちが織りなすドラマだと言えると思います。
――「父」たちのドラマ、ですか?
古賀 そうです。「父」とは何かと言えば、「責任を取る」ということです。鬼太郎の父はこれから生まれて来るであろう鬼太郎のために人間界を守ろうとするし、水木も自分が関わった人間や事件に対して、最後の最後まで責任を果たそうとする。どちらも大人としての務めを立派に果たす、その姿を描きたかったんです。それに比べて、戦争時の水木の上官や龍賀一族は、大人が子供から搾取し続けていますよね。どちらがあるべき正しい姿かは自明ですが、じゃあそういうことが現代ではなくなったのかと言えば、そんなこともないですよね。大人が責任を取っていなかったり、子供世代に負の遺産を押しつけていたりということは現代でも続いていて、だからこそ、昭和31年のお話であっても多くの人に共感を持って見ていただけたのかなとも思います。
水木しげる先生が見た「昭和」を詰め込む
――先ほどの「大人が責任を取る」というメッセージもそうだと思いますが、古賀監督が本作に込めたテーマや想いはどんなところになりますか?
古賀 基本的には「水木しげる生誕100周年記念」というところを出発点としているので、『ゲゲゲの鬼太郎』だけでなく、水木先生の他の著作からもエッセンスを持ち寄っています。中でも『コミック昭和史』は、水木先生ご自身の自叙伝ともいえる作品で、今回の映画にも影響しています。こんなことを言うと水木先生から「全然見当違いだよ!」と笑われてしまうかもしれませんけど、僕は「昭和」という時代性そのものが、水木先生にとって人生の大きなテーマだったとも思うんです。
――昭和史と自伝をミックスしているくらいですから、関心は強かったでしょうね。
古賀 近代化する以前の日本人って、草木や山、モノなど、あらゆるものに魂や神様が宿るという世界観で生きていましたよね。それを粗末に扱うと祟りや呪いが起きると恐れていたのが、文明開化で一気に近代化して、西洋に負けるなという一心で、神の住まう山々も森も否応なく開発されていきました。そのうち、自然に宿る魂を信じなくなったどころか、人間に宿る魂さえも尊重しないようになっていったんです。そうしたことが一気に進んだのが「昭和」であり、水木先生はその変遷を身をもって体験してきた方だと思うんです。先生が「妖怪」についての知見を深めていったのも、日本人が失ってしまった「魂」のあり方を取り戻したいという気持ちが根底にあったのではないかと思います。本作にもそういうモノの見方は大いに取り入れていますし、大きなテーマとしています。
――日本の近代化、とくに「昭和」の時代を通じて変わってしまった価値観や死生観を、今一度問いただすということですね。
古賀 難しく言えばそうかもしれません(笑)。ただ、基本的にはエンタメ作品として作っていますので「ちょっと大人向けのホラー映画が見たいな」と思った方は、ぜひご覧ください。「真生版」から入ってもまったく問題ありませんので、新たなお客さんの鑑賞を楽しみにしております。
- 古賀豪
- こがごう 福岡県出身。アニメーション演出家、アニメーション監督。東映アニメーション所属。主な監督作に『ゼノサーガシリーズ』『祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン』『ドキドキ!プリキュア』『デジモンユニバース アプリモンスターズ』『劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』などがある。