光と影に関して、絵的に工夫したり遊べる作品
――『MARS RED』は少し変わったタイプの美術背景を採用していると思うのですが、最初に、企画を聞いたときの印象からうかがえますか?
加藤 依頼をいただいたのは2019年の年明けあたりだったと思います。私はもともと時代ものが好きで、とくに明治維新のあたりだったり、大正や昭和初期は描いていて楽しいんです。なので、作っていて楽しい舞台になるだろうなという感触はありましたね。あと、原作が朗読劇というところからスタートしているので、問題はビジュアルだろうな、と。
――原作にある要素を絵的にどれくらい膨らませていくか、というところですね。
加藤 じつは当初、当時の感覚を出すのに何かいい方法はないかと、みんなで悩んでいたんです。最初はアメコミっぽくしようか、みたいな話もしていて――それこそフランク・フラゼッタなんかを引っぱり出してきて「こんな感じですか?」と、いくつか描いたりもしたんですけど、どうも和の雰囲気とうまくつながらない。そのとき監督から、版画家の川瀬巴水(かわせはすい)みたいな方向性はどうだろう?と提案をいただいたんです。
――なるほど、版画的なビジュアルは羽多野浩平監督の発案だったんですね。
加藤 川瀬巴水は大正から昭和にかけて活躍した版画家なんですが、じゃあ、そちらの方向で絵を作ってみましょう、と。ただ、版画っぽさを出すということになると、どうしても主線、輪郭線が重要になってくるんです。あと、これはレイアウト次第のところも大きいんですけど、版画っぽい絵作りというと、望遠レンズで撮ったような平面的な構図が多くなる。そういうところで絵作りができないかなと、いろいろと試行錯誤しました。
――第1話冒頭の東京駅をはじめ、作品内に大正期の建造物がたくさん登場するのも大きな特徴のひとつです。
加藤 これはたまたまですが、2018年に社員旅行で愛知県にある明治村に出かけたんですよ。そこには劇中に出てきた新大橋をはじめ、帝国ホテルなどが一部を移築して展示してあったんですね。そのおかげで、実際に現物を見て触った状態で作品に入ることができたのは大きかったです。あとはやっぱり写真資料。文献にも当然、目は通すんですけど、やっぱり写真に勝るものはないですね。
――では、かなり調べたうえで美術の作業に入ったんですね。
加藤 さっき話に出た東京駅で言えば、第二次世界大戦のときに一度、天井なんかが焼け落ちていて。その後、再建したときに屋根の作りが変わっているんですね(2012年にかつての形に復元された)。だから、昭和の人たちは劇中の東京駅を見て「こんな形だっけ?」と思うかもしれない(笑)。当時の風景を再現するという意味で、そういうところはかなり気をつけたつもりです。
――もとが舞台ということもあって、真横から捉えた構図がしばしば登場しますね。レイアウト作業で意識したところはあるのでしょうか?
加藤 照明ですね。アニメーションの美術というと、意外とライティングが弱いところがあって、いかに画面のなかにキレイな影を落とすか。カッコいい影だったり迫力のある影だったり、影にもいろいろな影があるわけですけど、それこそ現代劇ではなかなか、ここまでガチッと美術で影をつけることはないんです。でも、この時代であれば光源が限られているので、積極的に影をつけられる。しかも、登場人物が太陽の光に触れると危険な人たちなので……。
――たしかにそうですね(笑)。
加藤 光と影の扱いに関しては、絵的にいろいろと工夫したり遊ぶことができる。なので、楽しんで描いてね、とは言っていました。まあ、現場は苦労していましたけど(笑)。
坂上 そうですね(笑)。加藤が作品全体の方向性を決めたあと、僕のほうでそれぞれのスタッフに描いてもらうんですけど、苦労していました。ただ、ほかの作品よりも自由にやれたぶん、勉強にもなりました。
加藤 あともうひとつ意識したのは、空気感ですね。わざと前景、中景、後景というふうに、舞台セットのような感覚で空間を切り出せるといいなと思っていました。レイアウトによっては、そこまではっきりとした感じにならない場面も多かったのですが、わりと決めカットに関してはできていると思います。
――版画っぽい空間の捉え方は、そういうところからもきているんですね。あと『MARS RED』では3Dレイアウトが採用されているということですが、具体的にはどういう形で使われているのでしょうか?
加藤 ウチ(スタジオととにゃん)では、それこそAdobe Photoshopの初期の頃からやっているんですが、まず3Dで――色はついていないんですけど、ライン(主線)までは出せるようなセットを組むんです。で、ここにカメラを置いたらこういう絵になるけど、反対側から撮るとこう見えるんですよ、と。
――それを背景作業のベースとして使っているわけですね。
坂上 『MARS RED』で言えば、天満屋などの小物が非常に多い場面は、情報量をグッと上げることができて助かっていますね。
加藤 逆に言えば、ディテールがどうしても細かくなってしまう。なので、そこをいかにつぶしていくかが決め手になります。
――もうひとつ、版画をイメージさせる色遣いも非常にインパクトが強いです。色に関してポイントになったところはありますか?
加藤 色に関して言うと、やっぱり光源ですね。それこそろうそくの明かりだったり白熱灯だったり、あるいはガス灯だったり――。まあ、どれもほとんどオレンジ色なんですけど(笑)。でも、ただのオレンジ色じゃない。あと今の人が思っているよりも、白熱灯は暗かったりするんです。これは体験したことがない人には、なかなか感覚がつかめないところで。そのため、上がってきた背景に対して「ここはもうちょっと絞ってください」とか「暗くしてください」と伝えて、修正してもらっています。
坂上 先ほど3Dの話がありましたけど、デジタルで色を塗ると、どうしてもデジタルっぽさが出てしまうんです。なので、色が混ざったときの色を考えて塗ってほしい、という話はよくしていますね。
――もう少し具体的に伺えますか?
坂上 たとえば、黄色と赤色を混ぜるとオレンジになるわけですけど、デジタルの場合は、その「色を混ぜる」というのが苦手なんです。なので、ちゃんと絵の具をイメージするというか、絵描きとしていい色を使ってください、と伝えていました。
加藤 あと今回の『MARS RED』に関して言えば、版画をイメージさせたいので、減法混色で考える、みたいなことは意識していますね。
――減法混色ですか?
加藤 普段、背景を考えるときは加法混色で色を考えることが多いんです。要するに、光の三原色――赤と青と緑の組み合わせで、これを全部合わせると真っ白になる。でも、印刷で使われるのは減法混色で、赤と青と黄色の組み合わせで色を作っていくんです。
――ああ、なるほど。
加藤 さっきの話で言えば、オレンジ色を作りたかったら、赤と黄色を足す。で、全部を足すと真っ黒になるんだよ、と。そっちの考え方に半分シフトしながら絵を作ってください、ということですね。まあ、実際に描く人にとってはちょっと大変なんですけど……。
坂上 そうですね(笑)。
加藤 それこそ版画でこういう色遣いをしているということは、何色と何色の組み合わせのはずだ、みたいな分析をしたりもしました(笑)。こういう色を置いたら今の背景っぽくなるけど、この色を置くと版画っぽくなるよね、とか。そういう工夫をしながら、絵作りをしていました。
――なるほど、やはり色に対するアプローチがほかの作品と違うんですね。
加藤 ちょっと専門的すぎて、話が難しくなっちゃうんですけど(笑)。ただ、紙に背景を描いていた頃は、普通にやっていたことではあるんです。頭では加法混色で色を考えながら、実際の絵では減法混色でそれを再現する。昔はそうやって描いていたので。
坂上 ただ、それを今の若いスタッフにどう伝えればわかってもらえるのか。そこは難しいところではありました。
加藤 今の若い人たちのなかには、紙で描いたことがない人もいますから。
リアリティーとシルエットにこだわった美術背景
東京駅
坂上 加藤から「影の部分をもっと増やしてほしい」と言われたのをおぼえてますね。
加藤 最初は、影のなかまでしっかり描き込んであって、情報が多すぎたんです。今どきの絵になっていたんですね。それに対して、版画的な――望遠で撮られた平面的なショットにしたい、と。
帝国劇場
加藤 帝国劇場の小冊子があって、そこに図面がいっぱい載っていたんです。なので、建物はもちろん、周囲の作りもほぼ実景に近いものになっているはずです。
坂上 夕方と夜の境目、その間をつなぐグラデーションがけっこうポイントになっていると思いますね。
月島
加藤 まさしく「版画的な絵作り」を象徴するようなカットです。昔は月島からも富士山が見えたという話は、よく聞きますね。
坂上 構図もばっちり決まっていますよね。
天満屋
坂上 これだけ小物を描いたカットは、ほかにあまりないかもしれない(笑)。
加藤 3Dだから対応できた、というところはありますね。当然、手描きで補完しているところもあるんですけど、背の高い壺がここで、鳥かごはここで……みたいに、かなり細かいところまで3Dで作っています。店のなかをめぐることもできますよ。
新大橋
加藤 新大橋みたいなものこそ、3Dが得意とするところで。このトラスなんかは、手描きでは絶対に終わらない(笑)。あと市電の高架線がどういうふうに入っているのか、当時の写真を見てもよくわからなくて……。なので、そこは想像になっています(笑)。
夜空とガス灯
坂上 少し影絵っぽいイメージで作った気がしますね。
加藤 版画の世界を再現するにあたって、いちばん大事なのはやっぱりシルエットだろう、と。こういうライティングも、シルエットを立てるという発想からきています。
吉原
加藤 大正時代の吉原ということで、写真や『吉原炎上』のような映画を参考にしつつ、想像で膨らませています。
坂上 当時はここまで明るくないと思うんですが、ほかのシーンとの差を出すために、過剰に明るくしていますね。
加藤 色街なので、これくらい明るいほうがいいかな、と。
零機関(ブリーフィングルーム)
坂上 今回の作品では、ヴァンパイアがいる場所には少し強めにタッチを入れようという話をしていたんです。
加藤 ちょっとかすれているような、ザクッしたタッチを入れよう、と。その方向性を決めたときの美術ボードですね。