数年前の忘年会で話した、次の「ガンダム」のこと
富野 まず(アニメ業界)60周年というのが、イヤなの。もうひとつイヤなのは、ここで『逆襲のシャア』を上映するというんだけど、あの作品、何年前のものか知ってる? 36年前。高畑(勲)さんの作品の上映もあるので、それよりは新しいかもしれないという言い方はできます。僕にとって高畑監督は師匠ですから。師匠と一緒に上映されるのはいいのだけれど、照れるなあと。
出渕 富野さんとこうした公式のトークをやるのは、『勇者ライディーン』のDVD-BOXセットが出たときに聞き役をやったのが最後です(編注:2001年に発売された『勇者ライディーン』DVDメモリアルBOX2に、出渕氏による富野氏へのインタビューが収録)。お会いしたのも数年前の忘年会で――。
富野 覚えてない。
出渕 覚えてないでしょう?(笑) そのとき話したのが、「もう『ガンダム』はやらないんですか?」と。「やんないわよ!」と即答されて。ありがたいことに富野さんが「バカァー!」と言いながらキックをかましてくれまして(笑)。とてもいい宝物になりました。
富野 覚えていません(笑)。
出渕 そのときのアイデアとして出したのが、(『聖戦士ダンバイン』の舞台である)バイストン・ウェルは富野さんの世界だから「次に『ガンダム』をやるんだったら、バイストン・ウェルにジムとザクが落ちちゃえばいいじゃないですか?」と(笑)。
富野 ……今日は『逆襲のシャア』の話だからね?(笑)
短編として覚えているのは、手塚治虫さんの『ジャンピング』
――長編アニメーションについて、どういう風に取り組んでいるのかを聞かせてください。
富野 僕は仕事柄、スポンサーの言うことを全部聞くことで有名な監督です(笑)。最初(ハナ)から長編しかやっていませんので、短編アニメーションのことはほとんど知らない。それが本当のところです。
出渕 今、議題に上がっているのは、シリーズものではなくて、劇場の長編のことですよね?
富野 『Gのレコンギスタ』は映画5本分です。こういう作品を長編と言います。
出渕 富野さんはTVシリーズをやられてきたというイメージが強いですから、短編アニメはちょっとできないという話ですよね。実験アニメ的なものも。
富野 ただ、短編も作品としてはとても重要なもので、やらなくちゃいけないんです。
出渕 『闇夜の時代劇』(1995年)という作品をやられていませんでしたか?(編注:富野氏は第2話「正体を見る」の脚本、演出を担当)
富野 あれは作品にもなっていないんだから、タイトルを挙げてもらっちゃ困るんです。つまり、短編というのはそんな甘っちょろいものではない。僕が短編としていまだに覚えているアニメーションが一本だけあります。手塚(治虫)さんの『ジャンピング』(1984年)です。
出渕 なるほど。
富野 『ジャンピング』がどういう作品かというと、ジャンプする人の目線で街中を(眺める)。そこでいろいろな景色が見えてくる、15分くらいのもので(編注:実際には6分)。
出渕 見たことがあります。あれは素晴らしいですね。
富野 アニメでこういうことができるんだと、それは覚えています。そういうものでもない限り、「好きに作るな!」というのがアニメです。(会場に向かって)好きに作るな!
出渕 (会場が)ザワってなっちゃいますよ?(笑)
富野 作り手が好きに作っていたら映画にもアニメにもなりません。どういうことか。それを説明するとこれから1時間半はかかるので止めようと思います(笑)。
出渕って人は本当に器用で、デザイナーとしてこんなに便利な人はいない
――『逆襲のシャア』は、ガンダムシリーズとしては初めてオリジナルストーリーで劇場にかけられた作品で、富野さんは監督として、出渕さんはモビルスーツデザインの肩書きで参加しています。
出渕 そうです。モビルスーツデザインですね。さっき、富野さんに「やってたっけ?」と言われちゃって(笑)。
富野 まったく覚えていません(笑)。
出渕 富野さんの作品では、いつも僕が敗戦処理係なんです。
富野 敗戦処理係という言い方があるということは、誰かの代打だったという意味合いがあります。ところが僕(の印象)は全然違っていて、出渕って人は本当に器用で、デザイナーとしてこんなに便利な人はいないと思っていました。その思いに関しては現在までまったく変わっていません。それを本人は「どうせ私は器用貧乏で、ちゃんとしたことができる仕事師じゃないんですよ!」とさっきまで不貞腐れていました。
出渕 言っていました。腐っていました(笑)。
富野 ところが、いろいろな方と仕事をしてびっくりしたことがあります。ひとつのことしかできない人のほうが、じつは多いんです。ひとりだけ名前を挙げていい人がいます。永野護っていうのが――(会場から笑い声)アイツはあれしか描けない! (会場からの拍手を聞いて)……拍手をするっていうのは永野護のことが好きなんだろ? だからダメなんだ!(笑) 一芸に秀でるというのはああいうことなんです。潰しが効く奴というのはやっぱりね、イッチョマエにはならないね……。
出渕 俺のことじゃん(笑)。
富野 そう、ここにいるわけ(笑)。こういう方は、アニメの仕事に関してはとても有能なスタッフになるので、一気に立場が上がります。僕は出渕しか知らなかったので。
出渕 そんなことはないでしょう? 宮武(一貴)さんだって大河原(邦男)さんだっていたじゃないですか。
富野 大河原さんもあれしか描けないんだもの。あれしか、というのは、色が一色しかない。幅広くやるというのは意外とできるものではありません。ものすごく無難な名前を挙げておきます。手塚治虫っていう人がギャングの絵が描けると思いますか? だけど、じゃあ手塚マンガがマンガとして読めないかと言えば、読めるでしょう。そういうことなんです。
アニメやマンガがやりたいと思っている若者、舐めてもらっちゃ困るよ
出渕 手塚さんというのは、マンガというジャンルの中でいろいろなことを試してきた人ですよね。手塚さんと言えば、富野さんが描いたキャラクターやメカのラフというのがあります。あのラフを見ていると「ああ、富野さんってやっぱり手塚さんが好きなんだな」と思うときがある。富野さんのラフは、基本的にリアルなものじゃない。これは手塚さんのマンガのダイナミズムじゃないですか?
富野 ……そうか?
出渕 そうですよ。
富野 手塚カラーには絶対に染まっていないと思っているんだけれど……。
出渕 自分で気づいていないだけですよ(笑)。
富野 ただ、手塚先生がいたおかげで、戦後70~80年の歴史におけるマンガのベースを作るということが、先生の作品を追いかけていればみんなができるようになりました。その中で、少女マンガの隆盛といったことも起こった。さらについ最近、お亡くなりになられた鳥山明さんは『ドラゴンボール』という時代を画したものを作りましたし、もうひとつ『ワンピース』という化け物が出ましたよね。手塚さんがいた(ことで生まれた歴史のベース上に)、それが『ワンピース』につながっているというのはあると思います。それだけではなくて、マンガというものが文芸作品を超える時代ができ始めています。アニメというものを、ファンは喜んで見ているだけでいいです。だけども、俺もやるぞ、プロになるぞという気分を持った人に対して言えるのは、かなり広い視野を持っていかないと、これ以降のマンガ家やアニメの作り手というのはなかなか出ないでしょう。そういう意味で言えば、我々は今年、とてもいい人、作品を目標にすることができました。『君たちはどう生きるか』がアカデミー賞を獲りました。とんでもないことです。なぜ、とんでもないか。ハッピーエンドでない作品をついに作ってしまって、それがアニメ界ではなく、アメリカの映画界に対して「こんなめんどうくさいアニメーションができてしまったのか」と(思わせた)。ひょっとしたら『ワンピース』を超えるものかもしれない。
出渕 それは、時代が寄り添っているということではないですか?
富野 もちろん、それもある。つまり、映像が好きで、アニメやマンガをやりたいと思っている若者、舐めてもらっちゃ困るよと。本当に命を懸けないと宮崎(駿)を、『ワンピース』を超えられなくなるんだよね。
(2024年3月16日 新潟市民プラザで開催)
- 富野由悠季
- とみのよしゆき アニメーション監督、演出家、小説家。『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』『聖戦士ダンバイン』など、数多くのSFロボットアニメを手がける。最新作は、2019年から2022年にかけて劇場公開された『Gのレコンギスタ』5部作。
- 出渕 裕
- いづぶちゆたか メカニック/キャラクターデザイナー、アニメーション監督。富野監督作品には『戦闘メカ ザブングル』(メカニカルゲストデザイン)や『聖戦士ダンバイン』(メカニカルゲストデザイン)などに参加。2024年には総監修を手がけたTVアニメ『メタリックルージュ』が放送された。