Febri TALK 2022.06.22 │ 12:00

會川昇 脚本家

②少年主人公ものに
時代の哀愁を重ねた『バビル2世』

『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』など、アニメ・特撮を中心に「濃い」作品を書き続けてきた脚本家・會川昇。そのルーツをたどる全3回のインタビュー連載。第2回で取り上げるのは、横山光輝原作の超能力少年ヒーローもの。同時代の他作品とは違う、その魅力とは?

取材・文/前田 久

当時の作り手たちの感情がそのまま乗った作品

――2作目は『バビル2世』です。これはどういった理由で選んだのでしょう?
會川 怪獣もの=ロボットアニメと並んでもうひとつ、自分が好きなタイプの作品のイメージをあらためて振り返ってみたとき、「等身大の、特殊な力を持った男の子が夜の街で戦っている」というものがあったんです。1980年代に菊地秀行さんや夢枕獏さんが開拓した「超伝奇」「スーパー伝奇」と呼ばれたようなもの。少し前のライトノベルで「(現代)学園異能」と呼ばれたようなものですね。自作でいえば、『超神伝説うろつき童子』がまさにこの典型です。それから『UN-GO』もそう言えるかもしれません。あれは坂口安吾の作品を原案にしたアニメを作ると自分で企画を立てておきながら、「ただの『探偵もの』で面白いアニメになるのかな?」と不安を感じて、一度筆が止まってしまったんですよ。そのときプロデューサーの山本幸治さんから「何か主人公に能力を持たせたほうがいいんじゃないか?」と言われて、推理に特殊な力を絡めることにしたんです。そうして能力対決の要素を入れたら、するするっと考えがまとまった。自分の企画にはそうした要素が必要なんだなと、そのときに意識しました。

――『UN-GO』がそう位置づけられるのは面白いです。
會川 で、それだけ好きなものなのに、僕はこのイメージを最初にどこで知ったのだろう?と疑問に思ったんです。まず、子供の頃に好きだった池沢さとし(現:池沢早人師)の『鬼っ子』という作品を思い出したりもしたのだけれど、もっと大きいのはアニメの『バビル2世』じゃないかと思い当たったわけです。「『鉄腕アトム』から始まる一時期の少年主人公ものは、全部そのパターンじゃないか?」と考える人もいるだろうけど、他の作品と『バビル2世』には圧倒的な違いがあって、それは現代の中学生が、現代の街並みの中で警察やテロリストとも戦う話である点ですね。そのリアリティが、その後、自分も含めた作り手たちが、等身大の少年主人公ものをやろうとしたときの発想に影響を与えたと思うんですよ。

――原作マンガではなく、あくまでアニメの影響なんですか?
會川 アニメの『バビル2世』は半分オリジナルの内容で、メインライターは雪室俊一さん。雪室さんはアクションものの仕事をほとんど請けない方で、当時の東映動画(現:東映アニメーション)の作品でそうした傾向の企画は、主に辻真先さんや高久進さんが手がけていました。この作品は例外で、だからこそ雪室さんの個性がよく感じられるんです。最近の若い方には、雪室さんといえば、『サザエさん』で不思議な話を書く方という印象が強いでしょうけど、個性といっても、そういうことじゃないですよ(笑)。主人公の浩一(=バビル2世)がお世話になっていた病院の娘・由美子が、浩一が旅立ったあともレギュラーでずっと出続けるところに、こだわりが感じられるんですよ。ちょっと強引にでも話に登場させるんですけど、雪室さんはおそらく、彼女がどんなに浩一に戻ってきてほしくても、浩一は絶対に戻れない……という展開を書きたかったんじゃないかと思うんです。演出の田宮武さんとも、ちゃんと合意を取って。雪室さんにとって大事だったそこが、僕にとっても重要なんですよね。

ヒロインとすれ違い続ける

哀愁が残ることで

他のヒーローものとは

全然違う作品になった

――なぜなのでしょう?
會川 僕は1960年代末から70年代初めに放送された子供向けアニメに、その少し前から始まった学生運動が与えた影響をずっと考えてしまっています。だからこの作品でも、どうしても思考がそこに向かってしまうんです。有名な連合赤軍によるあさま山荘事件は1972年2月に起こるけれど、じつは当時は、今思われているほどこの事件の影響は大きくなかったんですよ。それよりも同じ年の5月に起こったテルアビブ空港でのライフル乱射事件と、11月に起きた早稲田大学で学生が拉致されて殺された事件(川口大三郎事件)の影響が大きかった。とくに後者は、当時のマスコミには早稲田出身の人間が多かったので、ノンポリの何の罪もない母校の学生が、学生運動の渦中で殺されたことがすごくショックだったようで、学生運動に対する感情移入というものが一気にマスコミから失われたんです。で、『バビル2世』の敵のヨミというのは、僕からするとそうした一部の狂暴な活動家や殺人もいとわないテロリストなどに対する、子供たちの漠然とした恐怖の具現なんですよ。思想があって、仲間がいて、世界のあちこちにアジトがある怖い人たち。だからヨミの部下はゲリラをカリカチュアしたみたいな恰好をしていて、マシンガンやムチを武器に使う。

――ああ、なるほど!
會川 それに対して、バビル2世はなぜ学生服を着たまま戦うのか? つまり、バビル2世は、実際には存在しなかった「正義の学生運動家」なんですよ。わかりやすく言えば、「あの中にひとりくらい、純粋な悪と戦う正義の学生運動家がいてくれたら、まだ彼らを応援できたかもしれないのに」という、当時の人たちの思い入れの具現だった。少なくとも、田宮さんと雪室さんはそういうイメージで最初に『バビル2世』を作ろうと決めたはず。EDの映像がそういうイメージで作られていますから。その上で、どう実際の作品の内容に感情を乗せていくかを考えていた結果が、ヒロインの由美子とすれ違い続ける描写なのかなと。毎回その描写で哀愁が残ることによって、『バビル2世』は他のヒーローものとは全然違う作品になった。自分たちと地続きの世界で、こうであってほしかった存在を描いた、当時の作り手たちの感情がそのまま乗った作品になったと僕は思うし、そこに同じ作り手として強く共感するわけです。

――深いです。
會川 原作をそのままアニメ化しても、面白いものにはなったでしょう。『マジンガーZ』がやれていたわけだから、一種のゲームとしての敵と味方の攻防だけで子供たちを楽しませることもできたはず。そもそも横山先生の原作は、超能力、三つのしもべ、選ばれた存在と宿命の敵、睡眠教育、バベルの塔などなど、主人公は「チート」そのもので、とても少年読者にとって気持ちがいい。だけど、本当にそれを再現するだけでいいのか? そうした疑問に対するエクスキューズが、アニメの『バビル2世』にはある。今は「そういうエクスキューズはいらない」と答えるお客さんが多いのはわかっています。『鋼の錬金術師』のときも原作を尊重しながら、主人公に常に哀愁を漂わせようとしたのは、今から思うとこの影響がどこかにあったのかも。当然、視聴者の評価は真っぷたつでしたが、でも、原作をそのままアニメ化することが本当に「正しい」のかどうか? 僕の中では、いまだに葛藤しています。endmark

KATARIBE Profile

會川昇

會川昇

脚本家

あいかわしょう 1965年生まれ、東京都出身。脚本家。主なアニメ作品に『機巧奇傳ヒヲウ戦記』『鋼の錬金術師』『天保異聞 妖奇士』『大江戸ロケット』『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』、特撮作品に『ウルトラマングレート』『轟轟戦隊ボウケンジャー』など。