「こういう仕事をしている人になりたい」と思った
――1本目は劇場版『銀河鉄道999』ですが、TVシリーズから見ていたのですか?
錦織 はい。TVシリーズが始まったのが小学校の高学年くらいですね。近所の友達が原作のマンガを持っていて、それを読ませてもらったのがきっかけです。劇場版が発表されてから、(原作を連載していた)少年画報社から劇場版『銀河鉄道999』を特集したムックが出たんです。そこにスタッフ編成だったり「こういう新しい作り方をしている」みたいな記事が、いろいろと載っていたんですね。たとえば、大判のセルに動画の線を転写する際はトレスマシンではなくて、ゼロックスのコピー機を使うとキレイに写すことができるとか。あとは東映動画にあるアニメの撮影台の記事とか、そういったメイキングの記事をいろいろと読み漁っていました。
――作品そのものよりも、作り方に興味を持ったわけですね。
錦織 そういう記事を通して知ったアニメの技術にハマって、「こういう仕事をしている人になりたい!」と思ったんです。今も映画のDVDを買って、本編を見ずに特典映像で入っているメイキングだけを見ていたりするので、あまり変わっていないのかもしれないですけど(笑)。
――作品自体の感想は?
錦織 もちろん、素晴らしかったです。公開当時に父親と一緒に劇場版を見に出かけました。サウンドトラックのLPレコードも手に入れましたし、大阪の梅田にアニメポリス・ペロというお店があって、りんたろう監督が描かれたコンテの複製が売られていたんです。ただ、子供にはとても手が出ない値段だったので、代わりになぜかアニメ作画用のタップと動画用紙のセットを買ったんですね(笑)。昔の東映動画のマークがシールで貼られていたタップだったんですが、業務用のしっかりしたものだったので、つい最近まで使っていました。
――めちゃくちゃ物持ちがいいですね(笑)。技術的な関心が先にあって、そこからアニメにハマるというのは、なかなか珍しい気がします。
錦織 はい。その頃は撮影方法みたいなところに注目していて、作画にはそれほど関心がなかったかもしれません。ただ、劇場版2作目の『さよなら銀河鉄道999』が公開されたあとに金田伊功(かなだよしのり)さんの画集(『金田伊功Special』)が発売されたんですよ。そこに鉄郎が銃を撃つシーンの原画が掲載されていて、「これはすごい!」と衝撃を受けました。ほぼ同時期に安彦良和さんや杉野昭夫さんの画集も発売されて。近所にその手の本を揃えている本屋があったので、買えるものはなるべく買うようにしていましたし、買えないものは立ち読みをして。そこからアニメの美術や作画に対して、興味が広がっていきました。
劇場版のムックに
スタッフ編成や
作り方を解説した記事が
いろいろと載っていた
――劇場版をきっかけに、制作過程への興味もどんどん深くなっていった。
錦織 こういう原画を描くと、最終的にはこういうカットになるんだ、とか。そこは今でもあまり変わっていないかもしれないですね。家にあったモノクロのテレビで『未来少年コナン』を見ていたら、終盤に差し掛かった頃に目がクリクリしたキャラクターが目について。それと同じ雰囲気のキャラクターが劇場版『銀河鉄道999』にも出てきて、「あっ、同じだ!」と(笑)。「おやじ、ミルクをくれ」のところとか、独特のとぼけた雰囲気ががそっくりで。作画を担当していたのが友永和秀さんだとわかって、「同じ人が描いているんだ! これは素晴らしいぞ!」と(笑)。
――自分で気づくというのは、経験として大きいですね。
錦織 後々、アニメ雑誌を読むようになって、金田さんと友永さんが友人だという情報を知るんですけど、中学生の頃、『銀河鉄道999』の原作が完結したタイミングで自分の中のアニメへの興味も終息しちゃったんですよ。そこからしばらくの間、アニメから離れていたんですが、高校の美術部の友達がマンガの『風の谷のナウシカ』を買いたいというので、発売日に本屋に連れていかれたんです。で、僕も一緒に買ったんですけど、その絵を見て「あ、これは『ルパン三世 カリオストロの城』とか『未来少年コナン』を描いていた人だ!」と(笑)。
――そこで初めて、宮崎駿の存在を認識したわけですね。
錦織 そうなんです。そこから『アニメージュ』のバックナンバーを古本で集めるようになったんですよ。『銀河鉄道999』にハマっていた頃は、アニメ雑誌ではなくムック経由で情報を集めていたので、『アニメージュ』はまったく通過していなかったんです。なので最新号を買いながらも、古本屋をまわって過去の記事や特集を遡(さかのぼ)って読むようになって。
――当時の『アニメージュ』は、アニメーターや監督にスポットを当てた記事も多かったですよね。
錦織 そうですね。自分の中にいつの間にか蓄積されていた情報が、当時の記事を読むことで、どんどん線としてつながっていく(笑)。その感覚が面白くて、そこからまたアニメに対しての興味がよみがえってきたんです。
――では、それがきっかけになってアニメ業界を目指すことになったのでしょうか?
錦織 いや、その頃はアニメよりも実写映画のほうに興味があったんです。ちょうど角川映画が盛り上がっていた時期で、相米慎二監督や大森一樹監督の大ファンでした。それこそ押井守監督の『うる星やつら オンリー・ユー』の併映が、相米慎二監督の『ションベン・ライダー』だったので「2本を一緒に見られて、お得だな」と思ったり(笑)。当時は同じく相米監督の『台風クラブ』であったり、そういう作品がどんどん公開になっていて、「自分がやりたいことはこっちだ!」と思っていたんです。なので、高校を卒業したあとは一浪して、横浜にある日本映画学校に行こうと考えていたんですよね。
KATARIBE Profile
錦織博
アニメーション監督/演出者
にしきおりひろし 1966年生まれ。京都府出身。撮影スタジオの高橋プロダクションを経て、日本アニメーションに入社。フリーとなってからは数多くの作品に演出・監督として参加。主な監督作に『あずまんが大王』『天保異聞 妖奇士』『とある魔術の禁書目録』シリーズなど。