「ガンダムらしい」のに「ガンダムらしからぬ」印象の作品
やはり型破りな「ガンダム」といえば、モビルスーツ同士のタイマンバトル。『機動戦士ガンダム 水星の魔女(以下、水星の魔女)』の第1話を見てそんなことを思った『機動武闘伝Gガンダム(以下、Gガンダム)』リアルタイム世代の私である。『Gガンダム』の衝撃というのは、脳裏に深く刻まれていて忘れがたい。あそこで「ガンダム」というシリーズの枠はグッと大きく広がった。TVシリーズで、それも富野由悠季監督が手がけた『機動戦士Vガンダム』の直後に、モビルスーツ同士の格闘戦で世界の覇権が決まるなんていう破天荒な「ガンダム」が展開されたのは大きい。そうやって広がったスペースに、それまで以上に伸び伸びと枝を広げた「ガンダム」という大樹。その先端部に咲いた大輪の花が『水星の魔女』だという歴史観は、そこまで偏ったものではないだろう。
学園を舞台にした決闘と、直近で放送された第7話で本格的に始動した、経営・開発競争としての側面。どちらも新鮮な要素として映るが、先に指摘したように前者は『Gガンダム』をどこか思い起こさせ、後者は『機動戦士Zガンダム』以降の「ガンダム」シリーズのいくつかの作品(たとえば、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』や『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』)がモビルスーツの技術革新を物語の重要な要素として置いていたことを連想させなくもない。
ようするに何がいいたいのかといえば、今作はじつのところ、極めて「ガンダム」らしい作品なのではないか?ということだ。これは昭和から平成、そして令和へと続いてきた「ガンダム」の流れを、ある意味では極めて正統に継いでいるのではないだろうか、と。
そう眺めていけば、主人公であるスレッタが集団に対する異分子(転校生)として現れたこと、凄腕のパイロットであり、対人関係に若干の難があるところにしても、これは正しくアムロ・レイやカミーユ・ビダンといった「ガンダム」シリーズの求める主人公像をなぞっているようにも見える。表層をなぞるのではなく、そうした主人公たちのコアな要素を取り出し、現代のキャラクターとしてアップデートして作品に盛り込んでいるのだ。
主役機であるガンダム・エアリアルにしてもそうだ。親が開発に関与している特殊な機体というのは、それこそ『機動戦士ガンダム』に始まり、「ガンダム」シリーズで繰り返し描かれてきた設定だ。母親の関与にしても『機動戦士ガンダム F91』がある。そして機体の強さを決定づける武装が無線式で主人公の意志に共鳴して動くあたりも、非常に正しく「ガンダム」の発想を受け継いでいる。
こうした点をひとつひとつ見ていくと、今作において驚くべきことは、むしろ先行する「ガンダム」の要素をこれだけ散りばめながらも、(第1話放送直後に少なからず旧来のファンからのリアクションに見受けられたように)「ガンダムらしからぬ作品」という印象を与えたことなのではないか?と思えてくる。
エンターテインメントのユーザーというのは、私も含め、概ね保守的なものである。まったく新しいものはなかなか受け入れられない。とくに「ガンダム」のような人気シリーズの名前を背負って発表される作品に対しては、期待するイメージが漠然とあり、それに収まる範疇のものを見たがる。
今作は、その期待に応える「ガンダムらしさ」を丁寧に守りながらも、歴史のある「ガンダム」に対して抵抗があった人たちにもするりと受け入れられるような新しい感触を提示するという離れ業を実現しているように私には見えるのだが、どうだろうか。
しかも、今作はそうした「ガンダムらしさ」を巡る議論を、禁忌とされる「GUNDフォーマット」を搭載したモビルスーツ=「ガンダム」の位置付けを巡るキャラクター同士のやり取りという形で作品内に取り込んでいる。作中の機体が「ガンダムらしい」かどうかを巡って交わされる言葉が、そのまま作品の外側で「ガンダム」ファンが交わす言葉と重なりあうかのように響く瞬間がある。作品と現実を二重化する手つきもまた、今作を魅力的にしているポイントだろう。
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……と、あれこれと語ってしまったが、正直なところ、これはちょっとした頭の体操みたいなものだという気持ちもある。『水星の魔女』は、別にこれまでの「ガンダム」シリーズと重ね合わせてその距離を測ることなどしなくても面白いのも、また事実。
出てくるキャラクターは誰もかれも立ちまくりで「逃げたら一つ、進めば二つ」「ダブスタクソ親父!」「ロミジュリったら許さない!」「ハッピバースデー♪」「株式会社ガンダム」など、ほぼ1話にひとつはパワーワードが飛び出す。
いけ好かないボンボン、小憎らしいライバルキャラとして登場したグエルくんが、敗北と突発プロポーズから急転直下、怒涛の転落ぶりを見せたかと思えば、ゆるくないキャンプ生活を学内で送る愛されキャラにメタモルフォーゼしてみたり、他のキャラも二面、三面と隠し持った一面を次々と垣間見せてくる。
キャラクターの見せ方だけではなく、そもそもドラマの進展も速い。飽きさせない、安心させない。海外ドラマのスピーディーな展開に視聴者が慣れていることを前提に、エンタメの速度感がアップデートされているような印象を受ける。
画面の密度感に関しても、『閃光のハサウェイ』や『Gのレコンギスタ』の先にあるものとして作られていることを強く感じるルックになっており、なんとも隙がない。
序盤からこれだけの高みに至ってしまっている作品が、ここからさらにどこまで突き抜けるのか。主人公のスレッタとその「花嫁」であるミオリネともども、上の世代の呪縛と向き合う作品に対して、祝福があらんことを祈るばかりである。
……妙にスカした言い回しでしめてしまった。恥ずかしいからシンプルに言い直そう。ようするにまだまだ長い先の展開で、どう話が転がるかが非常に楽しみだということです。あとそう、キャラクター的には驚異的な圧縮率を誇るボリューミーな髪型と、ブチ切れたら容赦なく鉄拳制裁をかますヤンキーノリ強めな性格の持ち主であるチュチュさんが好きなんですが……果たして、ふたたびその鉄拳が唸る日は来るのだろうか!? 来てほしいなあ。あしたをつかめ! 勝利の未来へ、レディー・ゴー!!