ショートアニメ『メイクラブ』を下地にした物語
――『メイクアガール』は安田監督が(取材時から)4年前に制作したショートアニメ『メイクラブ』をベースにしているそうですね。
安田 そうなんです。ただ『メイクラブ』をベースにしてはいますが、物語の主軸はまったく異なるところを目指しました。『メイクラブ』はおよそ10万文字の自主制作ラノベの内容を、作中のエピソードをピックアップしてつないで2分半ほどにまとめたものでした。その時点で『メイクラブ』で見せたかったラブコメ感や言葉遊びの面白さは、やりきった感があったんです。そのため、内容をそのまま長編アニメに焼き直して「ショートアニメで十分だったよね」と思われないように、物語を根本から作り直しました。
「夢を追うこと」というテーマ
――『メイクアガール』には新たにどんな要素を盛り込んだのでしょうか?
安田 今作の制作当時、「夢を追うこと」についてあれこれ考えたことがありました。夢を追い求めて実現するためには、それに伴う代償が必要です。膨大な時間、他のやりたいこと、人間関係、自分の健康といったさまざまな代償――いわば自分の「人生」すべてをつぎ込んでまで達成したい夢には、本当にそれに見合う価値があるのか――。『メイクアガール』ではそんな問いかけをしたかったんです。
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――今作の主人公である明は、まさに自分の人生すべてを研究につぎ込んでいますね。
安田 そうですね。明は亡き母・稲葉(いなば)から受け継いだ研究を完成させるため、自分の人生を費やしてきました。でも、最終的には追い求めていた夢を捨てて、0号との「家族関係」をとって人間らしい人生を歩む道を選びます。それは世間一般でいうところの「幸せ」のあり方です。しかし、そこに至るまでのすべてが、稲葉が生前に描いていた計画通りだったんです。じつは明も0号と同様に稲葉に作られた人造人間なんですが、病に冒されて先が長くない稲葉には明と「家族」になる時間がありませんでした。そこで稲葉は明に0号という「器」を作らせ、0号の精神を自分が支配することで復活して明と家族になる計画を立てた、というわけです。明と家族になる夢を実現するためにすべてを犠牲にした稲葉と、0号と家族になるため、研究の完成という夢を捨てた明。「家族という幸せ」を求めたふたりの違いを、対比的に描きたかったんです。
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――「夢を追う」という物語には、安田監督自身の経験も込められているのでしょうか?
安田 自分自身、「夢を達成しました!」とは言い切れないかなと。ここに至るまでに多くの代償を払ってきたけれど、あきらめた夢もたくさんあります。僕はもともとアニメ作家や映画監督を目指していたわけではなく、いろいろな夢に破れながらも歩き続けた結果、たまたま今の立ち位置に落ち着いているんです。だから、それが自分にとって本当にいいことだったのかとネガティブに考えてしまうことがあって……。『メイクアガール』を通して、そのことをあらためて自分や見てくださった方に問いかけたいという思いがありました。
明は純粋な「夢追い人」
――明はどんな人物として設定したのか教えてください。
安田 僕が昔通っていた美大には、大まかに2種類の人間がいました。ひとつは自分の中の「正解」に向かってひたすら行動できる人。そしてもうひとつは、状況に合わせて自分にとっての「正解」を変えられる人。僕を含む多くの人は後者で、いい車やいい服、いい生活をあきらめてまで自分はこの道を歩むべきかという葛藤を続け、やがて妥協していきます。でも、前者の人たちは大学卒業から10年以上経った現在も、ファインアートの創作活動をしっかり続けていたりします。自分だけの「正解」を見据えてブレない表現者として純粋な姿が、僕にはとてもまぶしく見えて……。明はそういう種類の人間として描きたかったんです。
創造主の思惑を超えた0号
――今作のヒロインである0号はどんな存在として描きたかったのでしょうか?
安田 0号は「明のカノジョ」として生み出されましたが、その存在意義は明や稲葉にプログラムされた「明を好きになること」です。0号を人たらしめている要素はそれしかなかった。だからこそ物語中盤で明に拒絶されたときは、存在意義の喪失にこの上ない恐怖を覚えました。でも、物語終盤で0号が優先したのは、明との関係性を取り戻すことではなく、「『自分』はここにいる」ということを創造主である明に突きつけることでした。あの瞬間、0号には明ではなく自分をとってほしかったんです。何かを追い求める人の姿を突き詰めていくと、最終的に行きつくのは「自分=エゴ」なんです。0号は最後にそのエゴに目覚め、それと同時にずっと求めていた明と決別し、反逆する道を選びました。今作での0号の姿を通して、自分のエゴのために大切なものを捨てるのは醜いことなのかを問いたかったんです。
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――0号は与えられた存在意義を捨てて、自ら獲得したエゴに殉じたと。終盤で明を殺そうとしたことも、稲葉に組み込まれたプログラムだったのでしょうか?
安田 あれだけは唯一、稲葉の思惑から外れた行動でした。明を殺そうとしたとき、0号の視界に現れた稲葉が止めようとしますが、0号はその制止を振り切ってナイフをふりかざしました。それは創造主の手を離れて、初めて自分の意思で0号が動き始めたことを示しています。明に反逆することで、ようやく自分を縛っていたすべてものから解放されて己の力で自己実現を果たした。でも、果たしてそれは0号にとって幸せだったのか、という問いかけも込めてあの結末を描いたんです。
- 安田現象
- やすだげんしょう 株式会社ゼノトゥーン所属のアニメーション監督であり、3DCGクリエイター。『呪いの人形シリーズ』や『巫女シリーズ』『銀髪ナイフの子シリーズ』などのショートアニメを多数発表。また、MECRE - ryo (supercell) feat. yoei. 『笑ウ二重人格』のMVも手がけている。