作品が継続することで、アムロ・レイの声を維持することが彼の使命になった
- 『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイは、それまでのロボットアニメの主人公とは異なる「普通の少年」であり、戦闘に対して積極的な人物とは遠い存在と言える。そうした主人公を演じる声優に、古谷徹を選んだのはなぜか。熱血少年の代名詞といえる『巨人の星』の主人公、星飛雄馬。それを代表作とする古谷徹に普通の少年であるアムロを演じさせるというアイデアはどこからきたのだろうか。
富野 その話をする前に、古谷さんはアムロ・レイに対してどうお感じになられているのかを知りたいですね。
――『機動戦士ガンダム』のTVシリーズでやり切った感があるというお話をしていました。
富野 なるほどね、ではまさにそういうことで、それ以上のことは一切ありません。そもそも役者が演技をするということを考えたことはありますか? ものすごく簡単なことですが、古谷さんがTVシリーズでの演技をベースにして考えておられるというのは当然のことです。それ以後のアムロ・レイなんていうのは一切関係がない。
TVシリーズ第1話のアフレコ台本に書かれていることこそが、アムロ・レイを演じる上での最大の資料であり、また逆に最低限の資料でしかない。というのは、第2話以降のストーリーを彼は知らないわけだから。そうすると第1話にあるセリフから、古谷徹という役者は「(アムロ・レイというキャラクターは)このような少年なんだろうな」と想像をして、演じるということをやったわけです。
©創通・サンライズ
このTVシリーズは人気がなかったために打ち切りということになったけれども、そのあとで人気が出たことで劇場版をやることになって、同じアムロ・レイの演技をせざるを得なくなった。ということは、劇場版でもTVシリーズで描かれている通り、アムロという子供が否が応でも戦場に引っ張り出されて戦うことになる。それには父親が作った機械に乗っているという安心感があると同時に、そのお父さんは気が狂って死んでしまうわけです。
そういう父親を見た少年が、どういう風に戦っていくのかを考えたときに、途中でキレることもある。だけど、結局は皆がいてくれるから自分はガンダムを操縦できるんだ、パイロットをやっていられるんだから頑張っていこうと思えるんです。
けれども、戦争というものはひとりのエースパイロットの力だけで終わらせることはできない。終戦協定という、大人たちの政治の世界の手打ちがあって初めて戦争が終わるわけです。終戦をするということは、パイロットは戦闘機(=モビルスーツ)がなければ呼ばれないのだから、失業をするんです。
つまり、『機動戦士Ζガンダム』以降のアムロというのは、もう少年ではないわけです。嫌でも職業としてやっていかなければ自分が生きていけない。そのキャリアを積んでいって「なんでこういうことになってしまったのかな」という経緯の最終的な話が『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』ということになります。
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ただ、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の話というのは『機動戦士Ζガンダム』当時の古谷さんは当然知らないし、僕だって知らない。その時点では先の話など作っていないんだから、全部が予定調和ではないということなんです。最終的に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』までやって、その結果「アムロもシャアも死んでいったらしいな」というのは、物語の上での話でしかない。
しかし、作品として人気が出て、こうしてファンがついてくれたおかげで、キャラクターの死後にも、再生をして演じ続けることになってしまった。そうしたときに演技者が何を考えるかというと、TVシリーズのアムロとはこういうキャラクターで、それが歳を取って死んでいったんだよね、ということを絶えず思い起こして演技をするということなんです。
それがゲームの世界などに反映されていくことで「ああ、アムロの声というのは多少変わったりもしたけど、古谷徹の声でなければダメなんだよな」というくらいの刷り込みが起きるのは、これが40年以上続いているからなんだよね。
- ここまでの話を少し唐突に感じると思うので補足すると、事前に送付した質問状に「主人公の中でなぜアムロだけがモビルスーツに乗り続け、軍人として人生を終えたのか」という内容があったためである。カミーユ・ビダンやジュドー・アーシタなどは、別の人生を歩むことになったが、そうした生き方をアムロが選択しなかったことに対する疑問だったのだが、これに対する回答が「すべてが予定調和ではない」ということだ。
富野 ここまでいろいろな話をしたように聞こえるけれど、最初に古谷さんが言っている通りなんです。TVシリーズから始まったアムロ・レイというキャラクター、それは「彼の声」で色付けして出来上がったものだから、その声を維持していかなければならない。映画やゲームなどで作品が継続することになったことで、それは古谷徹の使命になったんです。
この使命になったことについて、僕が驚いたことがあったんだけれど、古谷さんが30代の頃だったろうか、ウインドサーフィンを始めたというんです。楽しいのもあるけれど、続けていかなくちゃならないという話を聞いてから2~3年たった頃に、その意味がわかりました。
身体を使って発声をして演技をする以上、その身体を維持しなければならない。自分自身をトレーニングしていかなければ、この声を発声し続けられないことに古谷徹は気がついたということです。そうして身体の手入れをしているおかげで発声していられるし、60歳を過ぎてもアムロ・レイを演じ続けていられる。
身体を使って演技をしなければならない演技者というものは、これを維持するためにボイストレーニングをやらなければならない。そして発声の訓練だけをやっていればいいのかというとそうではない。身体の全部を手入れしなければならないということを、古谷さんが35~36歳の頃に決心してくれたことで、その後の『ガンダム』人気、アムロの人気が継続していくこの30~40年の時間を過ごすことができたということなんです。
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最初のセリフひと言で、アムロは古谷徹にまかせられると確信した
――古谷さんをアムロ・レイ役に起用した理由は何でしょうか? また、古谷さんに演技指導をしたことはありますか?
富野 アムロ・レイと古谷徹がどういう形で成立しているのか、というのは簡単な話です。アムロ・レイのキャスティングで古谷さんを連れてきたのは僕ではなくて、録音監督(※音響監督の松浦典良氏)です。この人ならいいのではないかと薦められて、どういう声なのかと聞いたら、星飛雄馬を演じた古谷徹だという。「ええっ」と僕は思った。というのも『巨人の星』の仕事を僕もやっていたので、飛雄馬がどういう声なのかは知っていましたから。だけど「そうか。あれだけの発声ができるならアムロ・レイをやっていけるだろうな」とも思った。
だから、僕が古谷さんに言ったのは「最初のセリフ『ハロ、今日も元気だね』は、絶対に声を張らないでください。星飛雄馬じゃないのだから日常の発声でやってください」ということだけです。日常の発声で始まって、あとは台本に沿って演技をつけてください、という演技指導しか僕はしていません。それ以後は一切やっていない。というのは、第1話のアフレコの収録が終わったときに「ああ、これでいけるな」と思ったからです。あとはもう声優とキャラクターの問題でしかなくて、僕の問題ではないんです。
だから、そういう的確なキャスティングをしてくれた松浦さんはすごいなと思いましたし、それはシャア・アズナブル役の池田秀一さんにも言えることです。「えっ、池田秀一って僕が小学生の頃に見た映画に出ていた子役だったよね?」と。そういう人ができるのかと正直思ったけれど、声優という新しい仕事に本気で挑戦してみたいということで第一声をやってもらった。つまり「認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを」というセリフです。
それを聞いたときに僕は「はい。池田さん、あとは自由にやってください」と言った。それが僕の演技指導ですよ。それ以上のことは一切言っていませんし、皆さんが言うように「富野からきちんとした演技指導なんて聞いたことがない」というのは、まかせてしまって丸投げしているからです。
だから松浦音響監督の耳が良かったんだろうけど、『機動戦士ガンダム』のキャスティングというのは、ほとんど全員がハマったんです。古谷さんや池田さんだけでなくてA、B、Cというような端役のキャスティングも含めてほとんど間違いがない。むしろ色付けをしてくれる人を連れてくる。それは新人であってもそうなんです。だから、素人の僕がああしろこうしろと言ってはいけないというのを教えられたのが、『機動戦士ガンダム』の仕事なんです。
- 富野由悠季
- とみのよしゆき 1941年11月5日、神奈川県生まれ。アニメ監督、演出家、原作者、さらに小説家や作詞家としての顔も持つ。『機動戦士ガンダム』の原作者であり総監督として後のシリーズ作品の多くを手掛ける。2014年には『ガンダム』を超えた作品として『ガンダム Gのレコンギスタ』を発表、2019年からは同作品を再編集・新規作画を加えた『Gのレコンギスタ』劇場版5部作が公開された。