TOPICS 2023.04.28 │ 12:01

アムロ・レイの演じかた
~古谷徹の演技・人物論~ 第10回(後編)

第10回 富野由悠季とアムロ・レイ

富野由悠季監督へのインタビュー3回目は、アムロ・レイを継承するとはどういうことかを聞いた。アムロを継承するということは、つまり古谷徹から声優が交代した場合、それまでの演技を古典として模倣すべきか、あるいは独自の演技論を取り入れるべきかという意味である。古谷徹以外のアムロは新しい芝居となるのか、あるいはフェイクとなるのか。

取材・文/富田英樹 撮影/高橋定敬 ヘアメイク/氏川千尋 スタイリスト/安部賢輝 協力/青二プロダクション、バンダイナムコフィルムワークス

他の人がその役を演じた瞬間、アムロやシャアの人気は消える

――アムロやシャアの声が交代したとき、それはフェイクになってしまうのでしょうか?
富野 そういう考え方もあるでしょうけれども、受け手側の一般大衆というのはそれほどバカではないんですよ。もし、古谷徹や池田秀一という人が亡くなってしまったあとで、他の人がその役を演じた瞬間、アムロやシャアの人気というものは消えます。

受け手というのはある意味でとても冷たいんです。それは自分の問題ではないから「アムロじゃないじゃん。シャアじゃないよ、こんなの」で終わってしまう。池田さんの声が多少変化しても「これはシャアじゃない」と言わないのはファンが優しいからです。優しいんだけれども、冷たい一面もあるというのが事実なんです。

美空ひばりが死んだときにもファン離れというのは起きた。それと同じことです。それで、これは自分がファンだったりするとなおさらなんだけど、この人気が廃れるとは思えないことがある。それは僕ですら思うときがあるんです。

でも、たとえば、懐メロを突然聞いたときに、あんなに好きだったのに、それを今まで忘れているというのはなぜか。それは忘れていかないと、人は暮らしていけないからなんです。それが100人という単位でドーンと忘れてしまうと、大衆は冷たいよねという解釈になる。でも、100人のひとりひとりからすれば、そんなことに構っていられないんだよ、私はこの数年、生きるのに忙しかったからって。

だから、忘れるということは人間の健康維持にとっても重要なことなんだという側面もある。いつまでも傷をかかえていては生きていけないし、忘れるのは人生にとって重要な要素でもあるんです。

一般大衆は冷たいという反面、自分たちの生活にかかわるとなれば、熱烈に革命だのレジスタンスをやる面もある。でも、暮らしにかかわることがない限り、多くの人は適当にあしらうことを知っているのではないかなと思います。

その一方で、では流行り廃りとはなんだといえば、祭りみたいなものです。盆踊りをやらずに黙って見ているやつはバカかもしれないし、ハレの場でみんなで踊れば楽しいし、美味しくないものでも皆で食べれば美味しくなる。そうした流れは個人の意思では歯止めをかけられないのだから、世の中、上手に暮らしましょうねというほかないんです。ひどいけど、そういう話なのよね。

だから、ひどくならないように暮らしを立てていくには、物事をどう捉えればいいのかを考えなければならないし、考える努力をしなければならない。今回の「アムロ・レイの演じかた」というようなものの考え方は視野がとても狭くて、俗にいう隙間産業でしかないわけです。それを今のネットの時代にやってはいけないとは僕も言わないんだけれども、質問の形態としてもう少し考えなければならないということは言っておきます。

©創通・サンライズ

――たとえば、『ドラえもん』のように声優を全員変更することで成立する作品がありますが、それについてはどうお考えですか?
富野 なぜそんなことを聞くのか僕にはよくわからないけれど、アニメの便利なことをひとつ話します。絵空事であるからこそ、声優のキャスティングが変わっても何とか凌げるかもしれないということです。実写が絶対に凌げないのは、役者が歳をとれば再演をさせるということすら事実上無理なことだから。そういう意味では、アニメという記号は便利なものだから、伝達媒体としてかなり能力を持ったものであるとも言えます。

アムロの継承などあり得ない。作品とはそれぞれ固有のもの

――そういう性能を持つアニメは受け継がれるべき古典にならないのでしょうか?
富野 質の問題なんです。質がそれなりに評価されているものであれば、50~60年はもつだろうねという言い方はできるだろうし、50年もてば100年はもつだろうとも思えるから「固定化」はします。

僕自身の自己満足的な話ですが『機動戦士ガンダム』の劇場版三部作に関しては、僕は今の目でも見られるんです。それなりに仕上がりとして悪くはないんだろうと思っています。現に40年が経過してもこうして言われ続けているわけだし、ガンダムファンの第二世代、第三世代の女の子がある日突然「『機動戦士ガンダム』のDVDを見たんですけど面白いですね」と言ってくれたりするわけ。

だから自己卑下をしてはいけないという努力をするようにもなりました。だからと言って100年もつかどうかについては多少問題がある……やっぱり100年というのは長いから。ただ、半分凌げたからもう半分いけるのだろうと思わないでもない。

©創通・サンライズ

今もネット上で『伝説巨神イデオン』の劇場版の動画がちょこちょこ見られるような状況、つまりTVシリーズを焼き直したような作品だったものがいまだにネットの中を泳いでいるというのは、これはすごいことだなと思います。作った僕がすごいな、じゃないんです。今の僕はこれを良しとはできないんだけど、こうまでして見てくれる人がいるということは、存在としてFIX(固定)されているんじゃないのかなという気がする。

これはマンガでもそうです。『SLAM DUNK』なんて30年経ってむしろ復活しているという事実がある。これの重要なことは、かつて読者だった子供たちが、今や世界の一流選手になっているということです。

その一流選手たちがマンガ家の前で起立してしまう影響力というのは、これはもう「たかがマンガ」ではないんです。アニメだ、マンガだとバカにはできないし、現に一般層とか公共性を意識した作品も出てきています。単なる一過性のものではない作りをしているアニメもあります。一般人に向けて公共性を持たせた作品というのは、個人の好き嫌いで作っていいものではないよねと思うわけです。そういうものは、存在としての価値を認めてもらえるようになります。

現在は配信の時代になってしまったけれども、ワンクリックが1円でも100万回なら100万円になるんです。そういう収益構造をきちんと見抜く必要がある。だから、絶えず100年後にも100万円もらえる作品づくりを目指すべきですけど、それがどういうものかについては僕にはわかりません。ただ、ザ・ドリフターズのコント動画は今でも見られているわけだから、必ずしも高尚なものが残るとは限らないんです。

すごくわかりにくい話をすると、新海誠監督の『すずめの戸締まり』(2022年)の興行収入が130億円を超えたことはすごい。では、あれが名作かというと僕にはわからない。興収の成績と作品の評価というのは別です。だから、そういう意見も含めて取り入れていくことで、嫌でも「ものを考える」ということができるようになるんです。自分の納得する意見だけを拾っていると考える力がなくなってしまうよ、というそれだけのことです。

――アムロを次に演じる人は、古谷さんの演技を模倣すべきなのか、それとも独自性を出すべきなのか、富野監督はどうお考えでしょうか?
富野 アムロは継続していかないです。なぜなら、このあとアムロ・レイを作っていける作り手がいないもの。作品というのは、それぞれ独立している固有のものなんです。似たようなものを作ってもそれは全部コピーです。

『ロミオとジュリエット』でも話したけれど、何度も映画化されても原作は変えられないし、「ロミオとジュリエット」というタイトルを出した瞬間から、シェイクスピアの枠組みからは外れない。そういう力を持つものを「固有のもの」という言い方をしています。

アムロとシャアは『機動戦士ガンダム』の中に出てくるキャラクターでしかなくて、それの継承なんていうのはあり得ない。ふたりが死んでしまえば、アムロもシャアも復活はないんです。endmark

古谷徹からのメッセージ

今回のインタビューで僕がとても感銘を受けたのは、富野監督が「アムロ・レイ=古谷徹である」と言い切ってくださったことです。僕と池田秀一さんがアムロやシャアの役を交代することはあり得ない、そうなったらアムロとシャアというキャラクターは終わりですというお言葉をいただけたことは本当にうれしく思います。

そして、多くの少年たちの中に生き続ける名作、名キャラクターを生み出した天才である(と僕は思っています)富野監督が、決して守りに入っていないということも素晴らしいですよね。過去の自分(と作品)に対して挑戦し続ける姿勢、それはとてもすごいことです。もうとっくに引退されていてもおかしくないお歳ですし、日本のアニメ界における巨匠というお立場でもあるのに、常に新しいことに挑戦しようとしているその姿勢には頭が下がる思いです。

そしてもうひとつ、『機動戦士ガンダム』第1話の最初のセリフを聞いて、これでまかせられると思ってくださったという点。それはまさに僕自身がやろうとしていたことだったし、このひと言でアムロ・レイというキャラクターがどういうものなのかを把握したつもりだったから、そこをくみ取っていただけたことはとてもうれしいですね。富野監督からはこれまでそういうお言葉を聞いたことがなかったですから(笑)、当時のお気持ちを聞けたのはうれしい経験になりました。

富野由悠季
とみのよしゆき 1941年11月5日、神奈川県生まれ。アニメ監督、演出家、原作者、さらに小説家や作詞家としての顔も持つ。『機動戦士ガンダム』の原作者であり総監督として後のシリーズ作品の多くを手がける。2014年にはガンダムを超えた作品として『ガンダム Gのレコンギスタ』を発表、2019年からは同作品を再編集・新規作画を加えた『Gのレコンギスタ』劇場版5部作が公開された。
古谷 徹
ふるやとおる 7月31日、神奈川県生まれ。幼少期から子役として芸能活動に参加し、中学生時代に『巨人の星』の主人公、星飛雄馬の声を演じたことから声優への道を歩み始める。1979年放送開始された『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイをはじめ、『ワンピース』『聖闘士星矢』『美少女戦士セーラームーン』『ドラゴンボール』『名探偵コナン』など大ヒット作品に出演。ヒーローキャラクターを演じる代名詞的な声優として現在も活動中。