「ネクラ少年」アムロと古谷徹との共通点
- 学業に専念するということで一度は俳優業から離れた古谷徹だが、その間も声優としての活動は続けていた。時代は70年代となり、巨大ロボットに乗るヒーローが悪と戦うロボットアニメが人気を博すと、古谷徹はその主人公役として抜擢されることが多くなる。『鋼鉄ジーグ』(1975年)や『グロイザーX』(1976年)、『氷河戦士ガイスラッガー』(1977年)などで活躍する一方、熱血一辺倒の作風や演技に疑問を抱き始めていた。そんな古谷徹にとって、新たな演技の扉を開いたのが『機動戦士ガンダム』(1979年)の主人公アムロ・レイだった。
――アムロ・レイに対する役作りはご自身で行ったとのことでしたが、具体的にはどのようにキャラクターを把握していったのでしょうか?
古谷 まずロボットアニメなのに「戦いたくない主人公」であるということ、それと最初のセリフで言った「このコンピューター組んだら、食べるよ」というくらいには技術を持っている少年であるという点ですね。当時は70年代ですから、パソコンはまだないし、コンピューターは大規模なものでした。それを自分で組み立てられる少年とは、つまり、これまでの熱血系のキャラではなくてインドア派なのだろうと。また、当時は「ネクラ(根暗)」という言葉が流行ったんですよね。だからネクラな少年=内向的でどこにでもいる少年を演じればいいのかと考えたんです。そういう普通の少年が戦争に巻き込まれる物語なのだと思ったので、あくまでも等身大のナイーブな少年を演じたいと考えるところから始めました。僕の印象では潔癖症的な面があって、年齢のわりには幼い部分があるという感じ……自分の言いたいことを言葉にできず、相手に伝えることをためらってしまうような弱さを持っている少年だと感じました。自分自身とも比較をして、そういう少年であることを意識して演じなければならないと考えていましたね。
――当時の15歳くらいの少年というのは、どんな感じだったのでしょう。「ネクラ」という言葉が流行るということは、そういう傾向の子供が増えていたとも思えますが。
古谷 そうだろうと思います。僕はそのとき25歳だったわけですが、その前の大学時代で情報処理論という科目の単位を取るためにコンピューターに触れる機会があった。さっきも言ったように当時のコンピューターはサイズも巨大だし、太い磁気テープがガチャガチャ回っているような代物です。FORTRAN(フォートラン)とかCOBOL(コボル)といったプログラミング言語を勉強してプログラムを書くわけですが、そのプログラミングというのがマークシートを塗りつぶす形式なんですね。それを何十枚も束にしてコンピューター室に提出すると、1週間後にその実行結果が出てくる。そこでエラーがあると、また塗りつぶしをやり直す作業を繰り返すという、そんな時代でした。
――デジタルなのかアナログなのかわからない作業ですね(笑)。
古谷 本当にそう(笑)。でも、それから数年後にはパーソナルコンピューターのようなものが登場し始めて、『機動戦士ガンダム』から5年後には僕もMSXというパソコンを購入していました。当時はスラップスティックというバンド活動もやっていたから、オプションの鍵盤を使えばシンセサイザーにも使えるというので買ったわけですけど、それよりもBASIC(ベーシック)というプログラムにハマってしまった。手書きでマークシートを塗りつぶしていた頃からすると、実行するだけでエラーがすぐにわかるし修正も簡単だったから、その進化に驚愕したんですよ。少し話がズレましたけど、そういう時代にアムロがコンピューターを自分で組めるということは想像もつかなかった。自分でコンピューターを作っちゃうの!? スゴイ少年なんだな、という印象が強かった。当然、近未来の世界ということで誇張されてはいたのでしょうが、今や僕もパソコンを自分で組んだりしているわけですから、やっとアムロに追いついたなと思えますよね(笑)。
――未来を予見していたのかもしれませんね。古谷さんご自身もパソコンやそういう機械に対して興味があるのでしょうか?
古谷 そうですね。大学は理系じゃないんだけど、僕はなぜか英語と数学が好きなんですよ。MSXからプログラミングにハマってしまったのですが、プログラミングは英語と数字の羅列だから入り込みやすいのもあった。最初に組んだのはインベーダーゲームのようなシューティングゲームで、その次に組んだプログラムは確定申告のためのものでした。
――いきなり実用的ですね。
古谷 当時、そういうものが欲しかったんだけど、全然なかったんですよ。ないなら自分で作っちゃえということで組んでみたんですけど、そういう意味ではアムロに似ているところがあるのかもしれない。これは無関係かもしれないけれど、僕はもともと左利きだったのを子供の頃に右利きに矯正されているんですね。だから今も両方の手が使えるんだけれど、それは右脳と左脳のバランスが良いということにもつながっているんじゃないかなと。数学やプログラムなどを好むのは右利きの左脳、役者として感情を表現するのは左利きの右脳、というように両方をうまく使えているのかもしれませんね。