アムロは脇役? 主役交代の衝撃
- 1985年という時代は、日本のTVアニメ業界にとって大きな転換期の中の一年だったと言える。スポ根や劇画調アニメの人気に陰りが見える反面で「週刊少年ジャンプ」(集英社)のマンガを原作とした新しいヒーロー像が生み出された時代でもある。そして自由な表現手法で描かれた新しいキャラクターたちはアニメ化され、子供だけではなく幅広い世代の人気を博していた。また、ガンプラブームを契機として発展したいわゆる「リアルロボットアニメ」も数多くの作品が放送され、現在のアニメ業界の礎が作られていったのが80年代だった。
――『機動戦士Zガンダム』の頃、古谷さんはどういう仕事をしていたのでしょうか?
古谷 「週刊少年ジャンプ」のマンガがアニメ化されることが多くなった時代ですが、僕の場合は『ストップ!! ひばりくん!』(1983年)の坂本耕作でしょうか。このあとになると『ドランゴンボール』(1986年)や『聖闘士星矢』(1989年)のような作品もありますが、要するに主人公像の幅が広がった時代でもありました。たとえば、『ふたり鷹』(1984年)や『ナイン』(1983年)のような、悪と戦う熱血ヒーローではない、等身大の人物を演じることが多くなった時期でもあります。アムロ・レイの演技の評価もあって、熱血ヒーローだけでなく、幅広い仕事をさせていただいた印象ですね。たしかその当時だったか数年前だかに『宇宙戦艦ヤマトⅢ』(1980年)と『機動戦士ガンダム』劇場版の上映時期が重なったことがあって、西崎義展プロデューサーに「君は『ガンダム』とかいうのにも出てるのか」と聞かれたことがありました(笑)。その一方で富野監督は『宇宙戦艦ヤマト』の毎回完結をほのめかす宣伝文句をひどく嫌っていて「僕は『ガンダム』ではあれはやらない」と言っていたのに、とうとう続編をやってしまった(笑)。当時、池田秀一さんと「もうやめるって話をしていましたよね」って会話をしたことはよくおぼえています。とにかく『機動戦士Ζガンダム』については「なぜこれをやるのか」という疑問があったし、当時は続編をやってほしくなかった。主人公は違うし、それでもアムロは出てくると聞いて、じゃあ全然別作品の脇役として登場するのかなという気持ちでした。
――当時、富野監督からは続編の内容について聞いていなかったのですか?
古谷 とくに話はありませんでしたし、僕も主人公が別にいるので完全に別物の作品になるんだと思っていました。仕事としても最初から参加していない作品でしたから、脇役ということでさほど思い入れもなかったのかな(笑)。僕は自分が出演した作品のアフレコ台本はけっこう保管してあるんですけど、TVシリーズの『機動戦士Ζガンダム』に関しては全然ないんです。当時は出演作品も多くて、ファンクラブの会員の方にサイン入りでプレゼントしていたこともあって手元にないんだと思いますが、それにしても一冊もないというのは珍しいです。『聖闘士星矢』や『きまぐれオレンジ☆ロード』のようにシリーズが長い場合だと気に入った話数だけ保管していることもありますが、『機動戦士Zガンダム』に関しては、後に再録することになる新訳劇場版しかアフレコ台本が残っていないというのが現実ですね。