TOPICS 2021.07.15 │ 12:00

青森県立美術館「富野由悠季の世界展」特別対談
富野由悠季×樋口真嗣③

登場人物を全員死なせてしまうことからつけられた「皆殺しのトミノ」のあだ名。なぜ『伝説巨神イデオン』のエンディングはあの表現になったのか、その真相が語られる。そして富野由悠季監督の映像編集への野望は、新たなステージへと広がり続けていくのだが……!?

構成/富田英樹 撮影/西川幸冶 協力/青森県立美術館

富野の皆殺し論

樋口 シャアの名前だけでなく、言葉の力みたいなことがありますね。
富野 まさにそのとおりで、言霊(ことだま)というのはあります。
樋口 それはこう、降ろしてくるんですか?
富野 僕の場合はいきなり降りかかってきたというほうが正しいかもしれない。そうやって何百という固有名詞を作り出してきた立場だからこそ言えるんですけど、いじくり回した名前というのはやっぱり言霊がないんですよ。どんなに格好の良い名前でも、これは他人事だなというのはついて回る。
樋口 ビジュアルとして成立させるのを前提に言葉を選んでいるということはないんでしょうか?
富野 それがまさに『伝説巨神イデオン』なんです。あの企画がいつから「イデオン」という名前になったのか記憶にないんですけれども。

樋口 最初は「ガンドロワ」という名前だったようですね。
富野 ああ、やっぱりそうなんだ。ひとつ思い出したのはガンドロワを否定してイデオンにしたのは、あのロボットのデザインならイデオンでよかろうと思ったということなんです。四角張っていて理屈では動きそうにないロボットを動かすためには、もう言葉で縛るしかない。僕のような人間が言葉で縛るとなったとき、出てきたのが「イデに囚われたもの」だったんだよね。イデというのは自我――つまり、存在を一度許されたのなら永遠に存在していたいというモノです。そのイデが乗るもの=イデがONするものでイデオン。だけど、それを扱う人類はまだ未成熟で幼稚でしかないというのは『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク著)からいただいたアイデアです。イデオンというのは知的生命体の自我であるから、手前勝手に雑に扱われるのは拒絶をするし、下手をすればお前たちを絶滅させるぞという意味がイデオンの名前には含まれている。

樋口 なるほど。
富野 僕は『機動戦士ガンダム』が終わって自分の作家性のなさが本当にわかったときに、この絶滅させるというイデオンを使ってどういう物語にするのかを考えた。何かの書評だと思うんですが、アガサ・クリスティ系の文芸評を読んだときに、小説を展開できなくなったら最後に登場人物を全部殺してしまえば、作品そのものは生き延びられるとあったんです。
樋口 その書評がなければ、『伝説巨神イデオン』はああいう展開をしなかったということですか?
富野 その書評が具体的にどういうものかは忘れてしまったけれど、自分の発想ではなかったのはたしかです。そういうセンスを持っている作家性は僕にはなかった。
樋口 それは劇場版となる『発動篇』のために出たアイデアなんですか?
富野 TVシリーズの時点から皆殺し論というのはありましたが、どうもそういう展開はしていないぞと。困ったなと思っていたら、作品が打ち切りになってしまった。だったら急転直下で皆殺しをしてもよかろうと。それともうひとつ、こんなに一生懸命に作っている『伝説巨神イデオン』を、テレビ局にしてもスポンサーにしても打ち切りにしてしまう。どんなエンディングが待っているのか、少しも想像しない彼らに思い知らせてやるためには、皆殺しエンドをきちんとやって見せるしかなかった。そうでなければ、オールヌードが延々と出てくるあんなエンディング、誰が作りますか? 映画とかアニメであれができるとは僕は思っていなかったし、あのときの「チクショウ!」という気持ちがなければあの映像は作れなかった。

トミノ式映画編集術

樋口 その『イデオン』のTVシリーズが打ち切りになった2カ月後に劇場版の『ガンダム』が公開されています。このタイミングですと、ほぼ同時進行の作業となりますよね。
富野 1本目の劇場版『ガンダム』はTVシリーズを編集するだけだから、それほど手間はかからなかったと思います。
樋口 えっ、本当ですか……!?
富野 それは『ガンダム』まで作らせてもらえたキャリアがあったおかげで、それができたということです。映画版に再編集するというのはそれほど簡単なことではないんですが、僕にはそれができます。どういうことかというと『2001年宇宙の旅』を僕に編集させてもらえれば、あと30分短くできるということなんです。
樋口 やりましょう、今度。ぜひ。ワークショップなら実現可能ですよ!
富野 本当にやりたいのね。あの長くて見にくい映画なんだけど、キューブリックっていう人はもっと才能があったんだよってわかるように僕なら絶対できると思う。
樋口 見たい。見たいです。
富野 でも、わかっているように映画関係者、つまりマルシーを持っている人たちでそういう勘が働く人間はそうはいないっていうことです。
樋口 商売としてやればいろいろなお金がかかるのは確実でしょうけど、教育目的だったら大丈夫ですよ(笑)。映像編集とはいかなるものか、という後進育成のための教材であれば実現できるはずです。
富野 たしかにそうかもしれないね(笑)。

樋口 富野監督は劇場版を作るときに絵コンテを切り貼りしていたそうですが、フィルムを編集するのではなく絵コンテなんですね。
富野 それは当時、フィルムの編集は物理的に切り取ったものを接着しなければならないから、気安くハサミを入れられるようなものではなかったというのが理由です。絵コンテというのはフィルムとほぼ同じ内容のもので存在するわけだから、それを切り貼りするほうが簡単です。
樋口 オフラインのさらにオフラインですね。編集という作業としては同じことであると。
富野 それとフィルムを切り貼りすると、どうしてもつなぎ目が1コマ落ちてしまうのが昔のフィルムだったので、アニメでそれが起きると致命的なんです。3コマでひとつの絵となるものが2コマになると動画のタイミングがずれていくみたいなことが起こる。
樋口 動画の絵でカットが始まってしまうと。
富野 そういう苦労をしながらやった劇場版の『ガンダム』のときに、古谷徹さんと池田秀一さんに言われたんだけど「なんで『ガンダム』にはカット頭がないのか」って。セリフを言うときの息を吸うタイミングがないって言うんです。1/8秒くらい短いということを、あのふたりには見抜かれたんです。だから、前のカットからしゃべり始めてくれってお願いしました。
樋口 セリフ先行で(笑)。でも、それが富野監督特有の編集リズムにつながっていくんですね。

富野 まったくそのとおりで、カットがつながっていなくても物語全体の構造がきちんとつながっていればスムースに見えるみたいなことがわかってくる。こういうTVシリーズを再編集して映画にする作業をしている監督は、ほとんどいないんです。
樋口 展示内容にも『海のトリトン』や『無敵超人ザンボット3』の劇場版の企画書がありましたね。『ガンダム』以前からそういう発想があったということですか?
富野 当然ありました。簡単な話で、戦闘シーンを抜いてつなげればひとつの映画になるだろうというのが劇場版の『ガンダム』だったわけです。
樋口 ということは、試行錯誤の末にできた映画というわけでもないんですか?
富野 だから『イデオン』の『接触篇』のときにはかなり慣れていて、自動的にできた部分はありました。『イデオン』のTVシリーズの前半というのはかなり優しい展開をしているんですが、映画版では乱暴なつなぎかたをしています。こんなに乱暴で大丈夫かなと不安もあったんですが、これを許容できてしまうのがまさに映画の性能ということなんだと教えられたのはうれしかったですね。endmark

富野由悠季
とみのよしゆき アニメーション監督、演出家。原作となる小説あるいは脚本を執筆することもある。主題歌などの作詞を手がけることもあり、多方面での活躍が知られる。代表作に『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』などがある。現在は『Gのレコンギスタ』の劇場版の制作に携わっており、シリーズ第3作目となる劇場版『Gのレコンギスタ Ⅲ』「宇宙からの遺産」の公開が控えている。
樋口真嗣
ひぐちしんじ 映画監督、特技監督、映像作家。実写映画畑の監督として知られるが、アニメーション演出(絵コンテ)も手がけるなど表現手法に固執せず広く活躍している。代表作に『シン・ゴジラ』『ガメラ 大怪獣空中決戦』などがあり、自身の監督作である『ローレライ』や『日本沈没』では富野由悠季を端役として出演させてもいる。