調べるたびにディテールが増えていった美術設定
――前編でも少し触れた、昭和15年前後の時代考証についてもう少し聞かせてください。トモエ学園は自由が丘、トットちゃんの家は北千束にありますが、資料は残っていたのでしょうか?
八鍬 自由が丘については、駅前の風景も含めて写真資料が豊富に残っていました。トモエ学園そのものについても図面や写真が残っていて、徹子さん自身も明瞭におぼえていらっしゃったので、それらを照らし合わせながらレイアウトしていきました。トットちゃんの家は、ベランダや温室の写真は残っていたものの、内観写真はなかったので、徹子さんが記憶を頼りに間取り図を描いてくださって、それを元に作っています。一方で、北千束地域の風景については資料がほとんど残っていなかったんです。そのため、この地域の歴史に詳しい方にご協力いただきながら、徹子さんの実家があった場所やお父さんの練習場があった洗足池付近など、エリア一帯をグルっとロケハンしました。「坂の多い感じは昔から変わらないだろう」とか、ロケハンから想像を膨らませて描いています。
――当時の時代を生きていたわけではないですが、すごくリアリティを感じました。
八鍬 ありがとうございます。それは美術設定の矢内京子さんのお力が大きいと思います。矢内さんは主に実写映画の美術で活躍されている方ですが、昭和初期の建築様式についてすごく詳しいんです。雨どいの造りから屋根瓦に至るまで、緻密で膨大な設定を描いていただいたおかげで、僕たちも迷わずに『トットちゃん』の世界を作ることができたなと思います。
――中でもとくにこだわった美術設定はありますか?
八鍬 窓ガラスですね。当時は磨りガラスやガラスモール、曇りガラスなど、いろいろな種類のガラスがあり、矢内さんがすべて設定を描いてくれたんです。それらを美術監督の串田達也さんがうまく美術に取り込んでくれました。こだわりでいえば、木の電柱などもそうで、電柱に付いている足掛け棒の形も当時のものを正確に再現しています。普通のアニメーションであればここまでのティテールは省略するんですけど、今回は描き込んでいます。調べるたびに新たにわかることが出てくるので、そのたびに後追いで美術さんにお願いしては「今さらですか?」と言われながら制作していました(笑)。それでも皆さん最後まで全力を尽くしてくださって、その積み重ねがリアリティにつながっているのかなと思います。
子供たちの「無軌道な動き」をアニメで表現したかった
――キャラクターデザインも、頬や唇に赤みがかっていて、一般的なアニメの表現とは異なりますよね。
八鍬 キャラクターデザインを担当した金子志津枝さんには「写実的で立体感のある造形」をお願いしました。昭和初期に発行されていた子供向けの「絵雑誌」や当時のポスターなどを見ると、いわゆるマンガ絵とは違って、細部を省略せずにかなり細かく描いているんですよね。そのイメージをベースにしつつ、さらに立体的な造形にしたかったので、彫刻家の舟越桂さんの作品を参考として加えてデザインしていただきました。原作はノンフィクションですし、できるだけ実在感を出したいという思いから、金子さんと相談して頬や唇を赤く染めたデザインが完成しました。とにかく、これまでの表現にとらわれずに自由にやってみようとチャレンジした結果ですね。
――作画についても、子供たちの仕草や表情、動きの表現など、随所に目を見張るものがありました。
八鍬 子供たちの「無軌道な動き」をアニメーションで表現したいと思い、スタッフみんなで試行錯誤を重ねました。子供って、誰かと会話しているときでも目線は外していたり、話していることとポーズが一致していないことが多々あるんです。そのあたりはドキュメンタリー作家の羽仁進さんが撮った『教室の子供たち』という映画を作画スタッフみんなで共有して参考にしています。とはいえ、無軌道すぎると画面の収拾がつかなくなるので、ギリギリのラインを目指しながら作り上げていきました。
最後までゆずれなかった望遠レンズ的なレイアウト
――画面内につねにたくさんの子供たちが映っているレイアウトは、壮観であると同時にアニメーター泣かせでもありますよね。
八鍬 いやもう本当に、作画のコストはめちゃめちゃ高いです。それに挑んだいちばんの理由は「学校が舞台の作品」だからなのですが、もうひとつの理由として、なるべく望遠レンズで撮影したような画面にしたかったんです。見ているお客さんとの間にきちんと距離をとってあげたくて。そのためには物理的に被写体から離れるのがいちばんですから。
――なぜ距離をとりたかったんですか?
八鍬 観客がトットちゃんの世界に没入するのではなく、あえて距離をとることで、自分の人生と重ね合わせる余地を作りたかったんです。キャラクターに感情移入しすぎると、ここで泣いてくださいとか、ここは笑うところですとか、どうしても作り手が誘導することになってしまい、原作の本質とは離れてしまう気がしたんですよね。なので、望遠で遠くから俯瞰で撮るようなかたちにしたんです。レンズの種類と画角が決まると、連動してそこに映し出されるべき子供たちの人数も増えていったので、結果として作画にかかるコストはどんどん高くなっていきました。スタッフには大変な負担をかけてしまったと思いつつ、そこは自分としてはゆずれないところでした。そこまで映し出すからこそ、その時代の子供たちや学校という舞台が堅牢なものになっていくと信じて、最後までわがままを通させてもらいました。
――全編を通じて非常に抑制が効いているなと感じたので、今のお話はとても合点がいきました。たしかに、お客さんの感情を過剰にコントロールしようとはしていないですね。
八鍬 そうですね。僕はアニメーター出身ではないので、それを作画でどう表現したらいいのかわからなかったんですね。そこは今回イメージボードや演出で入っていただいた大杉宜弘さんがかなりコントロールしてくださいました。アニメーションには「潰し」や「伸び」という作画技術があり、それらはいわゆる「ケレン味」と呼ばれるものなんですけど、「それを抜いていけばいい」と。大杉さんをはじめ、各セクションのトップの方々が僕の意図を汲んでくれて、狙い通りの肌触りの作品に仕上がったのかなと思います。
- 八鍬新之介
- やくわしんのすけ 北海道出身。アニメーション演出家、監督。TVアニメ『ドラえもん』の制作進行としてキャリアをスタートさせ、絵コンテや演出などを経て、2014年に『映画ドラえもん 新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』で長編映画の監督デビュー。他の監督作に『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』『映画ドラえもん のび太の月面探査記』がある。