「『ガンダム』の主役をやる」と言うと「アムロ?」と返されていた
――ガンダムシリーズには前年の『機動戦士Vガンダム』から継続しての出演でした。
関 それでいうと『Gガンダム』のあとの『新機動戦記ガンダムW』にも出ているので、3年連続なんですよね。その後、『機動戦士ガンダムSEED』にも出ているので、僕はあの頃の『ガンダム』によく出ている男なんです(笑)。
――たしかに。
関 でも、子供の頃は『ガンダム』にはそんなにハマっていなかったんです。どちらかというとスーパーロボット系の作品が好きだったので、『ガンダム』はちょっと難しい印象があって。だから『Gガンダム』のオーディションを受けたとき、内容がスーパーロボットっぽかったので「やった!」と思いました。「必殺技を言ってるぞ!」って。「きっと俺にぴったりだ!」とテンションが上がったまま受けたのをおぼえていますね。ただ、そんなことを感じながらも「受かるわけない」と思っていました。
――なぜでしょう?
関 その前の年に『Vガンダム』でお世話になって、中盤からレギュラーとしてずっと出ていたわけじゃないですか。2年連続で同じ系列の作品、しかも今回は主役だし、受かりっこないよなと。記念受験的な気持ちで受けたオーディションだったんです。だから受かったときはびっくりしました。
――ちなみに昨年『Vガンダム』30周年を記念した記事でウッソ役の阪口大助さんにインタビューしたときに「今度、『ガンダム』の主役をやるよ」とまわりに言うと「アムロをやるの?」とよく聞かれた……とのことでしたが。
関 ああ、僕もです。「『ガンダム』の主役だよ」と言うと、返ってくる言葉は「アムロ?」でしたね。今ほどアニメがブームじゃなかったし、みんなアムロは知っているけど、それ以外の『ガンダム』の主人公はあまり知らない時代だった。その中で『Gガンダム』って転機になった作品なのかなと思います。ガンダムが何機も出てきて、そのパイロットたちがスーパー戦隊っぽくなって、作品のファンの間でちょっとアイドル的な人気が出る。このかたちが、その後のシリーズのスタンダードのひとつになっていったので。
――翌年の『新機動戦記ガンダムW』が明確に『Gガンダム』の5人チーム制を引き継いで、それが『機動戦士ガンダムSEED』や『機動戦士ガンダム00』にも影響していきましたよね。
ドモンは『Vガンダム』から続く浦上さんとの仕事の到達点
――収録はどのように始まったのですか? 音響監督の浦上(靖夫)さんから作品についての説明はありましたか?
関 最初に説明を受けた記憶はないです。浦上さんにはそれ以前に、スタジオジブリの『海がきこえる』というタイトルでオーディションを受けたらちょい役で使っていただいて。
――主人公のバイト先の人ですね。
関 そうそう。ひと言ぐらいの役なんですけど、それからもたまに作品に呼んでいただいて、藤子不二雄先生原作の単発作品や『平成狸合戦ぽんぽこ』にも出ていたんです。でも、他の音響監督の方には、ほぼ使ってもらっていない時期でしたね。浦上さんのAPU(AUDIO PLANNING U)だけが仕事をくれる、みたいな状態でした。『Vガンダム』も最初はオデロ・ヘンリーク役でオーディションを受けたものの落ちて、第3話で敵兵のちょい役で使ってもらって、そのあと第16話くらいからトマーシュ・マサリク役をやりながら、まわりの役もお手伝いする、みたいなかたちで呼んでもらって。そうした流れの最終到達点が『Gガンダム』のドモン……みたいな感覚もありましたね。浦上さんが初めてメインの役で使ってくれたぞ、みたいな。
――そう捉えると『ガンダム』の軸で見るのとはまた違う流れがあるんですね。当時、そうした配役について浦上さんと何か話をしたことは?
関 それが浦上さんはわいわいコミュニケーションを取るタイプではなかったんです。僕が会ったときにはすでに大ベテランでしたから当然かも知れませんが。『鉄腕アトム』の時代からスタッフで参加しているような方ですからね。にこやかではありましたが、でも厳しい。昔ながらの人でした。好きでしたけど、つねにどこか「怖いな」と思いながら接していました。だからでしょうけど、今でも浦上さんのことをよく思い出します。本当に何もない、高校を卒業したてくらいの僕を現場に呼んでくれて、育ててくれた。かといって「お前の芝居をこんな風に感じている」みたなことは『Gガンダム』の最後までとくに言われたことはなかったです。作品に関しての「ここはこうだ」「もっとこうしなさい」といったことだけしか、収録の期間にしゃべったことはないですね。
バードマン役の青野武さんと一緒にお芝居して、考え方が変わった
――第1話の収録はどんな感じだったかおぼえていますか?
関 「現場って怖いんだぞ」というようなことを、養成所の頃から先輩や講師の方から言われていました。プロの世界だから生半可じゃ許されない、みたいなことをよく言われていたから、現場に行くときにはいつも緊張していたんです。何か下手なところを見せたら、寝首を掻かれるぞ、みたいな緊張感がつねにあって。『Vガンダム』のときは出演メンバーとだいぶ仲良くなっていましたが、『Gガンダム』の座組に変わって、浦上さんはいらっしゃってもまわりの役者さんも監督も変わって。なんというか……生意気な気持ちもちょっとあったんです。「やるなら(こちらも)やってやるぞ! 理不尽なことをやられたら戦ってやる!」みたいな(笑)。あと、デビューしたての生意気な気持ちというか「俺の芝居は結構イケてるんだ」というような、調子に乗っている部分もあったんですよね。そのため、喧嘩腰で現場に行っていました(笑)。今思えば、自分を守るためでもあったんでしょうけど。だから最初のうちは、スタジオでひとりだけポツンと離れたところに座って、みんなはワーッと楽しくやっているけど、僕だけずっと黙ってむっつりしていました。今思うと、ドモンなんですよ。
――序盤のドモンと重なりますよね。
関 でも、第3話くらいのタイミングで総監督の今川泰宏さんに呼ばれて「関くん、とりあえず座る席をレインの隣にしなさい」と言われたんです。それからレイン・ミカムラ役の天野由梨さんの隣に座るようにしたら、ちょっとずつ打ち解けて雰囲気が変わりました。さらに転機になったのは、そのあとの第5話なんです。ネオロシアの話で、ボルトガンダムが初めて出てくる回。この回のゲストが青野武さんだったんです。
――バードマンという役ですね。
関 これは当時の僕が勝手に思ったことで、青野さんが本当にそう思っていたと確認したわけではない、もしかしたら全部間違った想像かもしれない……とお断りしたうえで話すんですけど、青野さんにまったく相手にされていないなと感じたんです。芝居的な意味で。僕があまりに下手すぎて、そこにいようがいまいが関係ないんだなと。すごく敗北感がありました。「イケてるどころか、俺は全然ダメダメなんだな」と自覚したんです。それで「アフレコに臨む気持ちを変えなきゃ」と考えるようになりました。そうしてまわりの皆さんからも、もっとからかってもらったり、可愛がってもらうようになったというか。
――誰とやりとりすることが多かったですか?
関 率先して可愛がってくれたのは、山口勝平さんや山崎たくみさん、宇垣秀成さんといった、ガンダムファイターの3人ですね。それから天野さんもすごく優しくしてくれて、その人たちとはよく一緒にご飯を食べに行っていました。シャッフル同盟の中でも、大塚芳忠さんは結構年上だったので、先輩ポジションの感じでしたね。秋元羊介さんも同じです。優しかったですし、話しかけてくださいましたが、一緒に何かをする感じではなかった。やっぱり勝平さんたちのほうが年が近かったこともあり、つるむことが多かったですね。
今川泰宏総監督書き下ろし
『機動武闘伝Gガンダム外伝 天地天愕』
公式サイトにて公開中!
https://g-gundam.net/sidestories/
【あらすじ】
第13回ガンダムファイト決勝大会開会式を前に新生シャッフル同盟となったドモン達は各国のガンダムファイター達から代替わりの意図を問われ、答えに窮する。答えが出ないまま、マスター・アジアとドモンの演武とともに決勝大会の開会が宣言された。そこへ謎の五体のガンダムが現れ、《ダーク・シャッフル》と名乗るのだった…。
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