アニメーションの魅力はディテールが「わかる」こと
――完成した『犬王』を見て、歴史監修者として注目した点はありますか?
佐多 建造物の描写ですね。たとえば、犬王の舞のステージは鹿苑寺(ろくおんじ。別名、金閣寺)がベースになっています。この頃、金閣はまだ建っていないのですが、その金閣用の建物があり、池もふたつあったと言われていて、寺域が今の倍ぐらいに広かった。そのスペースを、映画では思いっきり活用しています。さらに面白いと思ったのは、最新のポスターにも出ている橋の使い方。鴨川の河原はあそこまで深くなかったかもしれないですが、ああいう舞台を作るのは不可能ではない。橋の高さや大きさ、スケール感を活用するとあんなシーンができるんだなって。なさそうなのに、あったかもしれないって思わせる。そういうリアリティの見せ方に「プロってすごいなぁ」と唸りました。
――それはアニメーションの特質だったりするのでしょうか?
佐多 もう絶対に。アニメーションの最大のメリットは、引きの画面が作れる点だと思います。引きの画面が多いと、状況説明がきちんとできる。見ている人はその空間の広さが「わかる」んですね。あと、あるシーンが真っ暗な空間だとして、それが新月の暗さなのか、それとも家の中の暗さなのか。それぞれディテールが違うはずなんですけど、それがアニメーションでは「わかる」んですよ。建築の美しさも「わかる」。鹿苑寺の様子や橋の描写も、引きがきちっとしているので「わかる」んです。実写のドラマの場合は、スタジオの広さもあるし、セットの安全性や予算もあって……『犬王』みたいなセットを作ったら、もうそれだけで億をガンガン超えちゃいます(笑)。
――たしかに(笑)。個人的に気に入ったキャラクターはいますか?
佐多 僕は犬王と友魚が、両方とも好きですね。両極的な性格で面白い。いろいろありますが、最終的にふたりにはホッとするんです。このストーリーはこれで終わっても、新しいスタートがまたあるんだろうなって。本当に仲がいい人っていうのはあんなものなんだろうなって、見たあとに救われる感じがしました。もちろん、いちばん盛り上がったのは演奏のシーン。あれはもう歴史劇という気持ちは捨てて、普通に劇場で座って、ライブと熱狂を楽しめばいいんだろうとさえ思いました。なんか腹にドンとくるような感じでしたね。
――600年前と現代を往来する物語でもありますが、その点はどう感じましたか?
佐多 僕はすごくいいなって思いました。こうした歴史劇は、同じ国の自分たちの先祖の話なのに、どこかよその国の絵空事みたいに思われがちですよね。それが、この作品では現代としっかりつないでくれる。こういう歴史の語り方はすごくいいなと思いました。僕たちの感覚で見ていいんだなって思わせてくれますよね。
中世は人々がまだ「自分」を維持していられた時代
――同感です。平安末期から室町時代、いわゆる中世の人々には、現代に通じる心があるように思えて共感します。先生がこの時代に感じる魅力は何ですか?
佐多 中世っていろいろと基準があいまいなので、たぶん人々がまだ「自分」を維持していられた時代なんですよ。自分の気持ちとかをね。近世以降はすべてが決まっていきますよね。江戸時代にお百姓さんが何かすごいことをやろうとしても、身分の壁に阻まれて、そのまま挫けて終わってしまう。でも、中世にはほんのちょっとだけそれを叶える可能性、揺らぎみたいなものがある。たとえば、現代につながる芸能が生み出されたのも、全部中世ですよね。能や狂言はもちろん、歌舞伎の源流も室町の終わりです。たぶん、みんなが自分のやりたいことを叶えられる可能性みたいなものを持っている時代だから、エネルギッシュになれたんだと思う。何よりも、時代を動かしていた武士そのものが、まだサラリーマン化していない。彼らはあくまで職能戦士なんです。だから泥臭くて、面白い。まだ解明できないこともたくさんありますが、知れば知るほど魅力的だし、面白い時代だと思います。同時に難しいですが。
――監修のしがいもありそうです。
佐多 そうですね。僕は文献資料を見ていると、儀式をやっている部屋や空間がなんとなく頭に三次元で浮かぶんですよ。人の格好もモヤっと、なんとなく。それが監修の仕事をすると、うまくいけば「自分が見たかったもの」がはっきり見えるわけです。そんなときはもう、飛び上がらんばかりにうれしいですよね。そのために膨大な量の対話をして、ようやくたどり着く――そんなチームプレーを実感できるところも、監修という仕事の面白いところかもしれません。
――歴史創作に触れていると、キャラクター像も含め、歴史の常識が変わっていく瞬間に何度も立ち会います。最近だと以前大河ドラマで話題となった女性の「立膝(たてひざ)」を、『平家物語』の視聴者が普通に受け入れていることにうれしくなりました。
佐多 文献では平安時代から、女官などは立膝をしていたんですけどね。江戸時代に武士が権威化して、武士の身内である女性たちは働かないから立膝をする必要がなくなっていく。で、その時代が時代劇の定番だったから、「日本人は正座」が常識になっていた。これがメディアの怖いところでもあります。正確にやらなければ誤情報が蔓延しちゃうわけです。「立膝」はうまくいった例ですけど、なかなか受け入れられないこともたくさんありますからね。それはもう執念深く、監修の仕事が来る限りやり続けるしかないですね。根負けしなければ(笑)。
――応援します。最後に、『犬王』に触れる 観客に伝えたいことはありますか?
佐多 歴史劇って、じつは僕らと服装が違っているだけで、人間のストーリーを楽しむという点では現代劇と変わりません。とくに『犬王』は途中から、そんなことは忘れるはず(笑)。それでも室町時代を描き出そうとしたプロたちのこだわりに、ぜひ目を凝らしてみてください。けっこう面白いかもしれないですよ。
- 佐多芳彦
- さたよしひこ。歴史学者。立正大学文学部史学科教授。博士。専門は日本古代史・中世史(有職故実・風俗史)。NHK大河ドラマ『平清盛』『麒麟がくる』『鎌倉殿の13人』などの儀式・儀礼考証、風俗考証の他、アニメ『平家物語』『犬王』の歴史監修を担当している。著書に『服制と儀式の有職故実』(吉川弘文館)など。