TOPICS 2021.03.16 │ 12:10

社会人のためのオタク教養学 シャーロック・ホームズ①

第1回 相棒にして友、ジョン・H・ワトソン

相棒(バディ)も男装女子も悪の組織も、すべてはシャーロック・ホームズから始まった。ジョン・H・ワトソン、アイリーン・アドラー、そしてモリアーティ教授――ホームズの活躍を彩るキャラクターたちを通して、名探偵の素顔に迫る。第1回は、相棒にして友である、ジョン・H・ワトソンとの関係からひも解いてみよう。

文/高野麻衣 バナービジュアル/きばどりリュー

天才名探偵にワトソンは必要なのか?

名探偵はなぜ、彼を相棒に選んだのだろう。ジョン・H・ワトソン。一般的なイメージでいえば「名探偵の助手」であり、「ちょっとドジな相棒」である。そもそもホームズは、ワトソンと出会う前から探偵として活躍していた。それなのに、なぜワトソンをかたわらにおき、その助けを必要としたのだろうか? その答えの一端を、ワトソン自身が語っている。

いわく「わたしはホームズの知性を研ぐ砥石だった」。ホームズが口にする事件への疑問に対して、自分が反応し、言葉をはさむことで「ホームズの炎のような直観や思考がいっそう生き生きと燃え上がるのだ」と(※1)。ホームズは「習慣(ルーティン)」に重きをおく人間であり、限られた根強い習慣(ヴァイオリンや刻み煙草と黒パイプなど)と同じように、思考を研ぎ澄ませる道具としてワトソンをそばにおいたというのである。事件簿には実際、そんなふたりの会話がたびたび登場する。

しかし、それは客観的思考を旨とする医師を生業とし、記録係を自認するワトソンの謙遜というほかはない。もし、ホームズに「ワトソンって、あなたにとってどんな存在なのですか?」と尋ねたら、きっと「信頼できる親友だね」というシンプルな答えが返ってくるだろう(※2)。その理由を探るために、まずはふたりの生い立ちと出会いについて振り返ってみよう。

※1 アーサー・コナン・ドイル著 日暮雅通訳「這う男」『シャーロック・ホームズの事件簿』 光文社文庫 2007
※2 アーサー・コナン・ドイル著 石田文子訳「唇のねじれた男」『シャーロック・ホームズの冒険』 角川文庫 2010

じつはワトソンのほうが年上

ホームズは1854年(※3)、イングランド北部の大地主の家に生まれた。詳細な家系は不明だが、7歳年上の兄マイクロフトがのちに英国政府高官となっているから、育ちがいいことはたしかだろう。本人もオックスブリッジ(※4)に学んだが、20歳のときに遭遇した〈グロリア・スコット号〉事件で推理力を評価され、1877年、ロンドンに移るとコンサルタント探偵を開業した。身長は180センチあまり。やせ型だが灰色の眼はするどく、いかにも意志が強そうな顔をしている。

一方、ワトソンは1850年生まれ。英国統治下のオーストラリアで幼年時代を過ごした。のちに本国で就学し、ロンドン大学で医学博士号を取得。ネトリー陸軍病院で軍医としての訓練を受けてから第二次アフガン戦争に出征したが、重傷を負って帰還した。背はあまり高くないが、がっしりとした闘士型の体型。ラグビーと競馬が好きで、顎ひげを蓄えている。この4歳という、人生経験の差は重要だ。

※3 諸説あります。
※4 英国の名門大学の双璧、オックスフォードとケンブリッジの併称。

事件解決の報酬や名誉に無頓着なホームズ

ふたりが出会ったのは1881年。ロンドンで下宿を探していたワトソンが、友人のスタンフォードに紹介された「一筋縄ではいかない相手」こそがホームズだった(※5)。事件に関わり、ホームズに興味を持ったワトソンは、ベーカー街221Bで共同生活を始める。そして、ホームズの捜査に同行し、名探偵のあざやかなお手並みを目撃するようになる。

「仕事そのものが報酬」(※6)と宣うホームズは、迷宮入り寸前の難事件を解決することに知的な喜びを得る男だ。そのため、報酬や名誉には無頓着。依頼さえあれば上機嫌で、事件解決の手柄をスコットランドヤード(※7)に譲ってばかりいた。それに異を唱えたのがワトソンだった。彼はやがて、ホームズの活躍を小説として発表するようになる。小説はベストセラーとなって、ホームズの名は英国内外に轟くように。これが、ワトソンの第一の功績であるのは間違いない。

第二に、元軍医のワトソンは、警察医やボディガードとしての役割を果たすこともある(※8)。じつはホームズ自身、ボクシングや柔術が得意な武闘派探偵なのだが、拳銃の扱いに慣れているワトソンはそれをつねに捜査に携帯し、いざというとき見事に命中させるなどの活躍を見せている。この軍人気質をデフォルメしたのが、ガイ・リッチー監督の映画『シャーロック・ホームズ』におけるクールで強キャラなワトソン(演/ジュード・ロウ)だと言っても過言ではないだろう。

第三にしてもっとも重要な功績は、ホームズの「精神的支柱」となったことだ。天才の隣にいるせいで引き立て役としてとらえられがちだが、ワトソンはじつに魅力的なキャラクターだ。誠実で忠誠心に厚く、常識があって感情豊か。勇敢で、女性にもやさしい。物事の本質をとらえる能力にも優れ、ねばり強い。一見オレ様なホームズの弱さや駄々っ子のような甘え――有名な電報文「都合がよければすぐ来てくれ――都合が悪くても来てくれ」(※9)などを許せるのも、彼が成熟したパーソナリティだったからにほかならない。

※5 アーサー・コナン・ドイル著 駒月雅子訳『緋色の研究』 角川文庫 2012
※6 アーサー・コナン・ドイル著 駒月雅子訳「ノーウッドの建築業者」『シャーロック・ホームズの帰還』 角川文庫 2016
※7 ロンドンのほぼ全域を管轄する警察組織、ロンドン警視庁本部を指す俗称。
※8 軍医とは「医師資格のある軍人」を指す。ワトソンも射撃や護身術といった軍人としての訓練を受けており、軍医時代からの拳銃を退役後も所持している。
※9 前掲『シャーロック・ホームズの事件簿』「這う男」の冒頭でワトソンが例示する。

ワトソンはホームズの心の支え

「シャーロック・ホームズ」以降のミステリーにおいて、物語の語り部や探偵の助手が「ワトソン役」と呼ばれることがままあるが、そこには多かれ少なかれ「精神的支柱」という意味が付随している。たとえば、近年のアニメならば、石川啄木を探偵役とする『啄木鳥探偵處』の金田一京介はまさに王道の「ワトソン役」だったし、『名探偵コナン』の毛利蘭を(恋愛要素が強いが)ここに位置付けることもできる。

一方、探偵役は天才である代償として、人間性に難アリな場合が多い。これもおそらく、ホームズのキャラクター造形が源流にある。ホームズは、現代を舞台にしたドラマ『SHERLOCK』において社会不適合者と自認していたとおり、ともに働いたり暮らしたりするにはかなり厄介な人物だ。19世紀当時合法だったとはいえコカイン常習者だし、自宅には犯罪者が乗り込んでくるし、捜査のためなら危険をかえりみない。そんなホームズとの同居を、退役軍人の「無味乾燥なわびしい日々」を送っていたワトソンは承諾する(※10)。運命だった。この事実からも、ワトソンが勇敢というか、かなり豪胆な性格をしていることがわかるだろう。

※10 前掲『緋色の研究』 

ホームズとワトソン、すべての「バディ」の源流

そんなワトソンとホームズが「同居人」から「親友」へと進化していく過程は、シリーズ、そして歴史を通してもっとも人気のある「関係性の物語」のひとつと言えるだろう。

ともにいくつもの事件に挑んでいくなかで、ホームズはワトソンを「信頼できる親友」と呼び(※11)、ふたり一緒に散歩をしては「気心の知れた間柄にふさわしく、どちらもほとんど口をきかずに二時間ほどぶらぶらした」(※12)とさらりと書けてしまうほどの関係を築いていく。ホームズはワトソンと出会い、はじめて、追いつめるべき敵とも仕事仲間とも違う「友」を得たのである。

画像出典 bloodua/Depositphotos

ホームズがワトソンを語る言葉には、そんな特別な存在への愛があふれている。ワトソンが推理を披露すれば「君は君自身の才能を見くびりすぎてきた傾きがある」(※13)と褒めるし、自らが筆を執った異色作『白面の騎士』では「ワトソンはわたしのすることを大げさに盛り上げてくれる一方で、自分は目立たないように謙遜ぎみに書いているが、わたしがいつもワトソンにいてもらったのは、彼ならではのすばらしい資質があるからにほかならない。/支えてくれる人間にもってこいなのだ。」と明言している(※14)。

ワトソンもまた、「ホームズの相棒」であることに誇りを持っている。『恐喝王ミルヴァートン』(※15)では、ワトソンを危険から遠ざけようとするホームズに「意地と名誉を重んじるのは君だけじゃない」と食い下がるほど、対等な友としてふるまおうとする。

ふたりは対等であると同時に、互いにない美点を補い合う関係でもある。論理と思考を重んじるホームズと、わきあがる感情に忠実なワトソン。目的のために手段を選ばないホームズと、良識にあふれたワトソン。なにより、他人を信じなかったホームズに、揺らがぬ信頼を与え続けるワトソン――。ファンの多い胸熱友情回『三人ガリデブ』でワトソンが殺し屋に撃たれたとき、ホームズは激怒し、冷たい仮面を脱ぎ去って叫ぶ。

もしワトソンを殺してでもいたら、生きてここを出ていけたと思うなよ!(※16)

唇をわなわなと震わせたホームズは、ワトソンという親友と同時に「感情」という最大の弱点を手に入れてしまったともいえる。しかし、ワトソンがただ守られる存在などではないということは、彼らの冒険譚をよく見ていればわかるはずだ。

背中を預けられる相棒にして、親友。すべての「バディ」の源流はこのふたりにある。endmark

※11 前掲『シャーロック・ホームズの冒険』 所収
※12 アーサー・コナンドイル著 駒月雅子訳「黄色い顔」『シャーロック・ホームズの回想』 角川文庫 2010
※13 アーサー・コナンドイル著 駒月雅子訳『バスカヴィルの犬』 角川文庫 2014
※14 前掲『シャーロック・ホームズの事件簿』 所収
※15 前掲『シャーロック・ホームズの帰還』 所収
※16 前掲『シャーロック・ホームズの事件簿』 所収
※記事初出時、一部内容に誤りがございましたので、訂正してお詫び申し上げます。また、ご指摘、ありがとうございました。