TOPICS 2022.07.01 │ 17:27

アムロ・レイの演じかた
~古谷徹の演技・人物論~ 第3回(前編)

第3回 古谷徹(アムロ・レイ)×古川登志夫(カイ・シデン)

最新作となる『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』でも息の合った演技を見せてくれるアムロ・レイとカイ・シデン。今回は、TVシリーズの放送から43年にわたってカイを演じてきた古川登志夫氏をゲストに、当時の思い出や最新作での演技について語り合っていただいた。

取材・文/富田英樹 撮影/高橋定敬 ヘアメイク/氏川千尋 スタイリスト/安部賢輝 協力/青二プロダクション、バンダイナムコフィルムワークス

出会いは『鋼鉄ジーグ』の収録現場

若くして声優の道を選び、歩み続けてきた古谷徹とは異なり、古川登志夫は舞台演劇を中心とした活動を続けてきた。声優としての古川登志夫が登場したのは1970年代の半ばからだが、声だけの演技を自分のものにする前に『マグネロボ ガ・キーン』(1976年)の主役に抜擢されたこともあり、古谷徹との出会いは衝撃的だったという。

――おふたりの出会いはどういうものだったのでしょうか?
古谷 僕が『鋼鉄ジーグ』の収録をしている現場に、古川さんが見学に来られたことがあって、そこでご挨拶をしたのが最初です。
古川 古谷さんが主役を演じていた『鋼鉄ジーグ』の次の番組が『マグネロボ ガ・キーン』なのですが、その主役を僕が演じることになったんですね。僕はそれまで本格的に声優という仕事をしてきていなかったから、ロボットアニメの主人公というものがよくわかっていなかったこともあって、スタッフの方から参考にしてくださいという感じで収録を見学させていただいたんです。そこで古谷さんに初めてお会いして、自分よりも若いのに本当に上手な方だなと感心しました。古谷さんが子役の頃から活躍されているのは知っていましたし、こんなに難しい声の仕事を自分はできるのだろうかと不安になるくらい演技力のある人でしたね。
古谷 『ガ・キーン』はオーディションだったんですか?
古川 そうです。僕とね、井上和彦さんが最後まで残ったのかな。最終的に僕に決まったと聞いて、びっくりしました。それでとにかく『ジーグ』を見てくださいと言われて、収録現場に伺ったわけです。

古谷 同じ東映作品でもありましたからね。その頃はもう青二プロダクションでしたか?
古川 いや、まだ劇団「櫂(KAI)」に所属していた頃ですね。僕がアニメの声優を始めたのは『ゼロテスター』や『勇者ライディーン』での端役が最初で、セリフといってもひと言くらいのものでした。神谷明さんや中尾隆聖さん、麻上洋子(現:一龍斎春水)さんなどが現場で活躍されているなかで、僕は緊張しっぱなしで参加させていただいたんですけど、それくらいしかやっていないのに『ガ・キーン』の主人公に選ばれたので、うれしかったけれど自分にやれるのか不安でした。
古谷 あのとき、『ジーグ』の後番組の主役を演じられる古川さんです、という風に紹介されたんですよ。でも、そのときは本当にご挨拶をしただけで、とくに何かお話をしたわけでもないし、深い交流があったわけでもないんです。スラップスティックはそのすぐあとでしたっけ?
古川 それから1年後くらいかな。神谷明さんから声をかけられて始まったと思う。
古谷 僕も神谷明さんから誘われたんですよ。当時は『氷河戦士ガイスラッガー』で共演していたこともあって「今度、バンドをやるんだけど徹もやらない?」みたいな感じで。

古川 僕もそんな感じだったな。でも、僕は楽器といってもギターをちょこっといじったくらいで、電気ギターはわからないよって言ったんだけれど。
古谷 電気ギター(笑)。当時はそういう言い方でしたよね。
古川 そうなの(笑)。それでも参加することになって、徹ちゃんの自宅に行ったんだよね。
古谷 そうでしたね。真夏の暑い日に。僕の部屋は防音のために壁に発泡スチロールが貼ってあるうえに厚手のカーテンで閉め切っていたから、とにかく暑いんですよ。
古川 いや、本当に暑かったよね。そこで演奏を見学したんだけれど、とにかく上手なんです。僕にはとてもついて行けないからマネージャーをやるよって言ったら、次にスタジオで会ったときに徹ちゃんがエレキギターを持ってきて。「これ、タダでくれるの?」って聞いたら「はい、1万5千円」って(笑)。
古谷 無理やり渡したんですよね(笑)。
古川 それまでガットギター(※ナイロン弦のギター)しか弾いたことがなかったから、ちょっと弦を弾いただけでグオォーンって音が出るから本当にびっくりした。だから楽器に関してもゼロから教えてもらった感じで、あれは本当に楽しかったですね。

声優仲間というよりバンド仲間

スラップスティックは1977年に声優のみで結成されたバンドで、神谷明、曽我部和行(現:曽我部和恭)、野島昭生、古谷徹、古川登志夫、鈴置洋孝、三ツ矢雄二といったメンバーで構成されていた。エグゼクティブプロデューサーは同じく声優の羽佐間道夫で、サウンドプロデュースを森雪之丞、楽曲提供に大瀧詠一、かまやつひろし、すぎやまこういちといった大御所が多数参加している。『意地悪ばあさんのテーマ』や『クックロビン音頭』と言えばわかる人も多いだろう。わからない世代は今すぐに検索するべき名曲である。

――となると、本格的にバンド活動に引き込んだのは古谷さんだった……?
古谷 そうなるのかな(笑)。僕は中学生の頃からバンド活動をしていたし、自宅で同級生たちと練習をしていたから楽器がひと通り置いてあったんです。ドラムセットもあったし、いわば自宅が簡易スタジオのようになっていたんですね。まあ、豆腐屋の二階なんですけど(笑)。
古川 そんなだから、最初に演奏を聴いたときに嫌になっちゃって。みんなプロ並みだったから、僕にはできないよ~って。
古谷 いや、そんなことはないですよ(笑)。だからアニメ作品で共演するよりも先にバンド活動でご一緒していたということなんですよ。

古川 僕は主役といっても当時は『ガ・キーン』だけだったし、他のメンバーは皆さんすごいキャリアのある方ばかりでしたから、僕がそこに入っていいのかなという感じでした。でも、徹ちゃんも、ギターだったのが急にドラム担当になってよく対応できたよね。
古谷 ドラムセットが部屋にあったから、なんとなく叩いたりしていたんですよ。それでエイトビートくらいまでは普通にできていたから、バンド活動を通じて上達していったという感じです。ギターを弾く人は他にもいっぱいいたから仕方なく、ですよね(笑)。
古川 スラップスティックとして活動していたのは10年足らずでしたけど、僕にとってはとても濃密な時間だった。練習をしたり地方に行ったり、いつも一緒にいた仲間たちという意識が強くて、とてもいい思い出なんです。

映画情報

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島

全国公開中

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