ロボットアニメに対する思いが高まっていたときに声をかけてもらった
――3本目は、米たにさんが監督した『勇者王ガオガイガー(以下、ガオガイガー)』です。
米たに この作品を自分で語らないと、きっと誰も語ってくれないだろうと思って……(笑)。1996年頃まで、サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の仕事はちょこちょこやっていたんですが、『勇者指令ダグオン』の次の「勇者シリーズ」で監督がなかなか決まらなかったらしいんです。企画は高橋良輔プロデューサーのもとで動いていたんですが、じつはその少し前に、別の企画で良輔さんからお誘いをいただいたことがあって。その企画自体は流れてしまったんですが、ずっとおぼえていてくださったようで、それで声をかけてもらったのが最初です。
――ということは、すでに企画が動いている段階での参加だったわけですね。
米たに そうですね。もともと「勇者シリーズ」に限らず、ロボットが大好きだったんです。それこそデパートの玩具売り場に行って、ロボットをガチャガチャいじっているようなアヤシイ大人で(笑)。それくらいロボットが好きだったし、ちょうど『新世紀エヴァンゲリオン』が放送された頃で、「自分が作ったらこうならない」といろいろアイデアをめぐらせていて、それを活かせる機会だと思ったんです。サンライズの企画担当者に呼ばれて「やります」と返事をしたら、「じゃあ、隣の部屋で会議をしているから参加してほしい」と言われて(笑)。良輔さんがいる横で塩山紀生さんがイメージボードを描いていて、シリーズ構成の鈴木良武(五武冬史)さんと、あとは当時の事業部長もいたかな。「今、ちょうど戦闘シーンの打ち合わせをしていたんだよ」みたいな感じでした。そこにいきなり入った新参者が、破裂した水道管のように、自分のやりたいことを矢継ぎ早に浴びせかけてしまいました。
――あはは、なるほど。
米たに この作品でもいろいろなことが学べましたし、のちにつながるような仕事にもなりました。あと、この作品を通して、多くの個性的なスタッフの方たちと出会えたのも大きかったですね。サンライズはスタッフの層が厚くて「このままだと納品が間に合わない!」というスケジュールギリギリの状況になると、他のスタジオから別班スタッフが応援に駆けつけてくれるんです。みんなの力を結集させるんだ!って感じで、そのままロボットアニメの王道エピソードじゃん!みたいな状況で(笑)。そういうリアルな「勇者」たちと仕事ができたのも、うれしかったことのひとつですね。
――今ではそれぞれ監督作のあるスタッフがたくさん参加していますね。
米たに 谷口悟朗氏や高松信司氏、錦織博氏といった多くの監督クラスのスタッフも参加してくれて、本当に恵まれた現場でした。
――キャラクターデザインの木村貴宏さんとは『ガオガイガー』のあともよく一緒にお仕事をしていますが、本作が初顔合わせですか?
米たに 『ガオガイガー』のキャラクターデザインはコンペで選ばせてもらったんですが、木村さんは自分と波長が近かったようで、初仕事から阿吽(あうん)の呼吸でした。以降の作品も忖度(そんたく)なく平等にコンペで選んでいるんですが、やっぱり木村さんは、こちらの意図がよくわかっていて。だから、コンペをやっても結局、木村さんにお願いしたくなってしまうんです。
これからも「みんなの作品」として一緒に育てていきたい
――『ガオガイガー』は、ケレン味のきいたセリフも魅力のひとつでしたね。
米たに そうですね。ちょっと『北斗の拳』の話になるのですが、あのアニメは高見義雄プロデューサーがサブタイトルを決めていたんです。当時、失礼にもご本人に直接、「ちょっと変なのでは?」と勝手な持論を言いに行ったことがあって。「じゃあ、代わりに考えてよ」と言われたのですが、自分で考えてみて初めて、いかに高見さんが考えたサブタイトルが優れていたかがよ~くわかって。キャッチーというか、あえて「これ、ヘンだろ?」と思わせることで、視聴者を惹きつけていたんだ、と。『ガオガイガー』でもそのときの経験を活かして「ファイナルフュージョン承認!」とか、印象的なセリフまわしを意識しました。お客さんと一緒に楽しめる方法を模索した、というんでしょうか。
――『ガオガイガー』を終えてみて、手応えはいかがでしたか?
米たに 「決められた予算とスケジュールの中で何ができるか?」という作品でした。ここでも動画枚数の制限があった『北斗の拳』で学んだことがすごく活きたんですね。合体や必殺技のバンクも、ガオガイガーを色替えしただけで新規で作画を描かなくてすむように使いまわしたり――と同時に、ちゃんとそれがドラマの中で必然性があるように、知恵を絞って節約しました。結果的に「勇者シリーズ」の中で、平均動画枚数のいちばん少ない作品になりました(笑)。それだけではなく、新しいことにチャレンジできた作品でもあって、当時、サンライズにはD.I.D.という、CGを中心にした部署(現・サンライズ デジタルクリエイションスタジオ)ができたんです。そこから「若手育成のために経験を積ませたい」という要望をいただいて。育成なので予算は少なくても構わないという話だったんですが、1話につき10カットまで、という制限があって。いかに10カットをうまく使うかを考え抜きました。
――米たにさんの中で『ガオガイガー』は、どういう位置づけの作品になっていますか?
米たに 26年前に監督を引き受けて、そこからいまだに関連コミックも連載中で、まだ続いているんだということに驚きます。ある意味、自分のライフワークになったという気持ちがありますね。当時、視聴者として見ていた子供たちが大きくなって、お客さんとして『スーパーロボット大戦30』のようなゲームや、新作グッズ、フィギュアにお金を払ってくれている人も大勢いるし、中にはスポンサーになったり、偉い立場になっていろいろ企画してくれたりする方もいるんです。昨年、ガオーブレス(※主人公・獅子王凱が腕に着けている装備)が大人向けの「COMPLETE EDITION」として商品化されたんですが、それも当時、放送を見ていたファンの方が企画してくれたんですよ。そうやってみんなで楽しんで盛り上がれる作品になったというのは、すごくありがたいことだなと思います。と同時に、気が抜けないなとも思うんですよ。自分の作品というよりは、みんなに育ててもらった作品なので、たくさんの人たちの財産として一緒に楽しみたいという気持ちが強いですね。今年、自分は偉大なマンガの神様・手塚治虫先生が逝去された年齢と同じになります。あの名作『火の鳥』には遠く及びませんが、『ガオガイガー』もライフワークとして、まだまだ関連した熱い企画を仕掛けていきたいと思っています。
――これからも、ファンと一緒に盛り上がれる作品になるといいですね。
米たに 私自身、子供時代に『マジンガーZ対デビルマン』や『マジンガーZ対暗黒大将軍』で感動して育ったので、ロボットアニメの持つ熱量みたいなものを絶やしたくないという気持ちがあるんです。東映動画時代にそれらの作品に関わった方々とも一緒に仕事させてもらい、魂の現場を肌で感じることができました。そして、『ガオガイガー』はその引き継ぎができている作品だと思います。『ガオガイガー』を見て育った次の世代がまた盛り上がってくれたら、魂のバトンが新たな作品に引き継がれ、きっとアニメ業界だけでなく、この世界全体が活気づく「勝利の鍵」になりえるんじゃないかと本気で思っています!
KATARIBE Profile
米たにヨシトモ
アニメーション監督/演出家
よねたによしとも 1963年生まれ、東京都出身。東京デザイナー学院を卒業後、タイガープロダクションに入社。監督・演出家として数多くの作品に参加する。主な監督作に『笑ウせぇるすまん』『勇者王ガオガイガー』『ベターマン』『BRIGADOONまりんとメラン』『食戟のソーマ』、『ザ☆ドラえもんズ』シリーズなど。現在、監修をつとめるマンガ『覇界王~ガオガイガー対ベターマン~』がWeb連載中。