Febri TALK 2023.03.22 │ 12:00

米たにヨシトモ アニメーション監督/演出家

②現場でしかわからないことをたくさん学んだ
『北斗の拳』

米たにヨシトモ監督にアニメ遍歴を尋ねるインタビュー連載。その第2回は、自身もスタッフとして参加した『北斗の拳』。80年代に大ヒットを飛ばした本作の驚くべき制作の裏側、そしてその現場で学び、今でも大切にしていることについて、たっぷりと話を聞いた。

取材・文/宮 昌太朗

新人がシリーズディレクターに意見を伝えられる現場だった

――2本目は『北斗の拳』ですが、米たにさんは演出助手として参加していますね。もともと、どういうきっかけでアニメ業界に進もうと思ったんでしょうか?
米たに いくつかきっかけになった作品はあるんですが、決定的だったのは『未来少年コナン』と『機動戦士ガンダム』ですね。今見ると普通に感じるのかもしれないですけど、当時、ああいうアニメは他になかった。それまで勧善懲悪の作品ばかりだった中で、人間同士が戦争をしている。見えないところから敵の砲撃が来たりするのも、すごくリアルに感じたんです。「アニメでもこういうことができるんだ」と思って、東京デザイナー学院のアニメーション科に進学しました。そこで日本最初の長編アニメ『白蛇伝』の監督である藪下泰司先生に演出を教わったり、アニメーションにおける作画技術を伝説の凄腕アニメーター森康二先生に教わったり。

――どちらも、日本の商業アニメーション黎明期を支えた方たちですね。
米たに そういう方たちに教えていただいたわけで、自分はアニメの正統後継者だという気持ちもありました(笑)。卒業後、タイガープロダクションに入社して制作進行の仕事を始めたんですが、そこから東映動画(現・東映アニメーション)に出向になり、クレジットに載らないほど多くの作品の演出助手を担当するようになったんです。

――『北斗の拳』もその頃、お仕事でたずさわった作品なんですね。
米たに そうですね。最初に参加したのが『The♥かぼちゃワイン』だったんですが、その後も東映動画のスタッフルームに席を置いて『キン肉マン』や『ゲゲゲの鬼太郎』の第3期などをやらせてもらいました。いろいろと面白い制作秘話がいっぱいあるんですが、今回は割愛して(笑)、『北斗の拳』に絞ります。『北斗の拳』では、専門学校では習わないこと、それこそ現場でしかわからない技術や方法論をたくさん学ぶことができました。当時、スタッフルームの真ん中に畳サイズの大きい机があって、そこでさまざまなスタッフが打ち合わせをしていたんです。壁もないので、どういう会議をしているのか、目の前で見ることができるわけです。『北斗の拳』のシリーズディレクターは芦田豊雄さんでしたが、映像として血の表現をどうするか、時代劇アニメだと血の色を黒にしているけれども、新しい感じにしたいから透過光でやってみようとか、試行錯誤している様子を直接、見聞きすることができました。しかも、芦田さんは打ち合わせの最中に、近くにいる新人の自分にも「どう思う?」と聞いてくれるんです。で、若さゆえの過ち全開で、わかった風な顔でアドバイスをしちゃったり(笑)。

――新人にも開かれた現場だったんですね。
米たに 楽しかったですね。当時、現場の様子を見ていて「どうしてもっとすっごいアニメを作らないのか」という気持ちがあって――それは言い換えると、決められた予算やスケジュールの中で作り切らなければいけないということが、まだわかっていなかったんです。それで原画に勝手に手を入れたりしていたら「お前、何やってるんだ!」ってめちゃくちゃ怒られました(笑)。それでもやめずにコソコソ続けていたら、先輩たちがだんだん慣れてきたのか、「これ、描いておいて」と頼まれるようになったり。まさに手作りの現場だったと思います。

「演出助手」の肩書よりも踏み込んだ仕事をさせてもらった

――アニメの制作現場に実際に入ってみて、いちばん意外だったのはどんなことですか?
米たに 先ほども少し触れましたが、厳格な予算の中で作らなければいけない、ということですね。とくに当時の東映動画には(動画の)枚数制限があって、「1話あたり3500枚で作ってくれ」と言われるんです。しかも枚数を越えると「管理がなっていない」と叱られて仕事を干されてしまう。先輩の中には、助手の自分に作業のほとんどをまかせてくれる人もいましたが、そういうときは、演技を削って動画枚数を減らした集計後に、勝手に自分で動画を描き足したりセルに直接描いたり、好き放題やらかしていましたね。

――あはは。
米たに あと、絵コンテの清書というものもやらせてもらったんです。当時、東映動画の演出さんは実写の映画やドラマから転向された人が多くて、意外と絵が描けない方が多かったんです。なので、ラフで描いてある絵コンテを清書するという仕事があったんですね。『北斗の拳』では何度も清書の仕事をやらせてもらって、すごく勉強になりました。清書していて「おかしいな」とか「こうしたほうが面白いかも」と思うところがあったら、演出さんと相談して変更することもできました。クレジットにはいっさい載っていませんが、かなり演出に踏み込んだお仕事をさせてもらえたなと思います。

――『北斗の拳』の現場で体験したことで、今でも役に立っていることは何がありますか?
米たに レイアウトの取り方ですね。その後に参加する藤子不二雄先生原作のアニメでは、キャラクターが二頭身や三頭身なので、普通にレイアウトを描いても画面に全身が入るんです。でも、『北斗の拳』の場合、全身を入れようとすると顔がすごく小さくなってしまう。すると、当時のブラウン管テレビの画質じゃ表情が見えないんです。キャラクターよりも背景の面積が多くなるので、このカットで何を伝えたいのかを精査して、どうやってレイアウトを取るかがすごく重要でした。

――キャラクターの頭身が高いと、それだけバランスが難しくなるわけですね。
米たに そのときの経験は、今でもずっと活きていますね。作品によって、どういうレイアウトを取るのがいいのか、どういう見せ方を選択すべきなのかを、ちゃんと切り替えなければいけない。それで思い出したことなんですが、『ザ☆ドラえもんズ』を監督したときは、劇場でかけるときとテレビ放送のとき、どちらでも成立するようにしてほしい、と言われたんです。あの頃は劇場とテレビで画面の縦横比が違うことでレイアウトがけっこうちょん切られてしまうので、それはそれで大変でしたね。

――あはは、なるほど。
米たに 東映動画にいた頃の自分はまだ20歳そこそこの若造だったので、仕事をするために会社に来るというよりは遊びに――とまでは言いませんが、楽しさを見い出しに来ていたようなところがあって。自分では「修行だ」と思っていたはずですけど、振り返ってみるとそうでもなかったな、と思います(笑)。最長で会社に2週間、泊まり込みで仕事をしたことがあるんですが、身体は臭くなるし、服も洗うのが面倒でそのまま捨ててしまったり。仕事ってのはここまで頑張っちゃいけないんだな、ということも学びましたね(笑)。endmark

KATARIBE Profile

米たにヨシトモ

米たにヨシトモ

アニメーション監督/演出家

よねたによしとも 1963年生まれ、東京都出身。東京デザイナー学院を卒業後、タイガープロダクションに入社。監督・演出家として数多くの作品に参加する。主な監督作に『笑ウせぇるすまん』『勇者王ガオガイガー』『ベターマン』『BRIGADOONまりんとメラン』『食戟のソーマ』、『ザ☆ドラえもんズ』シリーズなど。現在、監修をつとめるマンガ『覇界王~ガオガイガー対ベターマン~』がWeb連載中。