Febri TALK 2023.08.30 │ 12:00

赤井俊文 アニメーター/演出家

②梅津泰臣に憧れた
『MEZZO FORTE』

幅広い作品にアニメーター/演出家として参加する赤井俊文に、影響を受けたアニメについて聞くインタビュー連載。第2回で取り上げるのは、梅津泰臣監督によるアダルトアニメの傑作。その後、梅津監督と一緒に仕事をしたときの思い出も含めて、振り返ってもらった。

取材・文/宮 昌太朗

カット割りや構図もカッコいいし、なにより絵がめちゃくちゃうまい

――2本目は『MEZZO FORTE』。2000年に発売された梅津泰臣監督のアダルトOVAです。見たのはどのタイミングですか?
赤井 専門学校に通っていた頃、就職を決める少し前くらいですね。やっぱり専門学校に入ると、まわりの子がみんなアニメに詳しいんですよ。『AKIRA』やスタジオジブリの作品は当然見ていましたけど、『フリクリ』のことなんかそれまで誰も教えてくれなかった(笑)。「アニメってそんなにたくさんあるんだ!」みたいな感じで、学校の子にいろいろ教えてもらって。学校が大阪の梅田にあったんですけど、帰りにみんなでレンタルショップに行って、借りて来たのを見たりして。『マクロス7』を見ていた頃は純粋に「カッコいいな」と思っていただけですけど、そこから一歩進んで「アニメってこうやって作られているんだ」とか「こういう人たちが作っているんだ」というのを知って。そういう意味では、専門学校時代がアニメをいちばん見ていたと思います。

――その流れで『MEZZO FORTE』に出会うわけですね。
赤井 専門学校に入ったときに『A KITE』を教えてもらって、そこで初めて梅津さんのことを知ったんですけど、その人の新作が来た!という感じで。実際に見たら、やっぱりすごかったですね。それこそ「こういう人と一緒に仕事をしてみたい」みたいな。

――憧れの対象と出会ったわけですね。どこにそんな魅力があったのでしょう?
赤井 純粋にエンターテインメントとして面白かったのもあるし、あとちょっとぶっ飛んでいるところもある。梅津さんの笑いって、ハリウッド映画っぽいところがあるじゃないですか。『MEZZO FORTE』って冒頭、野球のシーンから始まるんですけど、そこに出てくるバッターがゴチローっていう名前なんですね。もちろん、ゴジラ(松井秀喜)とイチローを足した名前なんです(笑)。そこでアナウンサーが「打率4割3分3厘、ホームラン85本」と実況するんですけど、あらためて考えると、とんでもないバッターで(笑)。そこでクスッと笑ってしまう。そういうジョークのセンスなんですよね。

――なるほど(笑)。
赤井 お話もよくできていて、いつも桃井桃吉の傍にいるボディーガードが、じつは変装した黒幕だったとか。どっちも若本規夫さんが声をやっているので、冷静に考えれば気づきそうなものなんですけど(笑)、でも見ているときはわからなくて「ああ、こいつだったんだ」みたいな。そういうドラマの作り方にもハマって。18禁のOVAで、TVシリーズじゃないからこそできたこともあると思うんですけど、そういうところも含めて憧れました。

――たしかにちょっとアニメっぽくないというか、実写映画を意識した絵作りになっているのも魅力ですよね。
赤井 カット割りや構図もすごくカッコいいし、なにより純粋に絵がめちゃくちゃうまいんですよね。『A KITE』で梅津さんのことを知ったあと、『メガゾーン23』やオムニバス映画の『ロボットカーニバル』(梅津はその内の1本「プレゼンス」を監督)とか、梅津さんの仕事をさかのぼって見ていたんですけど、それらの作品に比べてもインパクトが遥に大きくて。本当に「アニメ業界に入って梅津さんと仕事ができたら、もう思い残すことはない」くらいの感じだったんですよね。

梅津さんの働きぶりは、自分が想像していた以上だった

――実際、アニメーターとして仕事を始めて、比較的早いタイミングで梅津監督のOVA『KITE LIBERATOR』に参加しますよね。
赤井 そうなんです。思ったより早く会うことになったんです。アームスが制作していた『ひまわりっ!』という作品にちょっとだけ原画で参加していたんですけど、それを見た伊藤祐毅さんが紹介してくれたんですよ。

――それで実際に会うことになった。
赤井 「どうも梅津です」みたいな(笑)。サングラスをかけていて、もう写真で見たままやん!って(笑)。すごくフレンドリーに接していただいたんですけど、こっちはガチガチに緊張しているので「これは本当に本物なのか?」みたいな。夢にまで見ていた人と実際に会えて、めちゃくちゃ浮かれた感じになっていたと思います。

――あはは。お仕事自体は、やってみていかがでしたか?
赤井 当時の自分にとっては、ちょっと早すぎたなと思いました。今だったらもうちょっとお役に立てると思うんですけど、当時は浮かれて受けたはいいけど……みたいな感じで。もちろん、梅津さんは優しい方なので、バーッと怒られるようなことはなかったですけど、でも自分としては勢いだけでやっちゃったな、と。あとからそう思いましたね。

――梅津さんの仕事ぶりを目の当たりにして、学んだことというと……。
赤井 めちゃくちゃ働くんだな、と思いました。このあと、ガイナックスに席を借りたときにも感じたんですけど、当時の人たちってめちゃくちゃ働くんですよ。うまい人たちというのは、ずっと会社にいて働いている。当時の自分はというと、1本終わったらみんなで朝までカラオケに行ったり、飲みに行ったりしていたんですけど、作品にかける意気込みが自分とは違うというか。『KITE LIBERATOR』の頃って、梅津さんはもう40代後半だったと思うんですけど、ずっと会社でバリバリ働いていてエネルギッシュで。それはもう想像していた以上で、そういう意味でも、自分は間違っていなかったなと。

――お仕事自体、乗りに乗っている時期だったというのもありますよね。
赤井 伊藤さんに話を聞くと、昔はめちゃくちゃ怖かったらしいんですよ。でも、ご本人の中で「変えていこう」と思ったらしくて、『KITE LIBERATOR』のときは本当に人柄もよくて。その後も自分の企画を成立させるために自分でPVを作る、みたいなこともやられていたし。本当にアグレッシブで、めちゃくちゃ尊敬しています。endmark

KATARIBE Profile

赤井俊文

赤井俊文

アニメーター/演出家

あかいとしふみ 1982年生まれ。大阪府出身。専門学校を卒業後、スタジオたくらんけに入社。さまざまなスタジオを渡り歩きながら、アニメーターとして数多くの作品に参加する。主な参加作に『マギ』シリーズ(キャラクターデザイン、総作画監督)、『Fate/Grand Order -終局特異点 冠位時間神殿ソロモン-』(監督)など。