山内さんの『星矢』には様式美が詰まっている
――1作目は『聖闘士星矢 真紅の少年伝説(以下、真紅の少年伝説)』。これは監督にとってどんな意味合いの作品なんですか?
古川 人生で最初にハマったアニメです。幼稚園か小学1年生のときに『聖闘士星矢』のTVアニメが始まって、原作より先にそっちに触れたんですよ。で、激ハマりしていくなかで『真紅の少年伝説』に出会った。たぶん、映画館じゃなく、母親が借りてきてくれたレンタルビデオで見たんだと思います。おそらく劇場版を全部借りてくれたんじゃないかな。でも『聖闘士星矢 神々の熱き戦い』と『真紅の少年伝説』の2作の印象がとにかく強かったんですよね。そのせいで大人になるまで『星矢』の劇場版は2本しかなくて、『真紅の少年伝説』がアニメの『星矢』の総決算として作られたものだと思い込んでいたくらい(笑)。
――インターネット以前だとなかなか調べられませんしね。
古川 で、大学に入ったくらいの頃にネット環境が手に入ったので調べて、「ああ、俺の記憶に残っている『星矢』の劇場版は、山内重保(やまうちしげやす)さんって人が監督したヤツだけなんだ」と驚いたんです。その後、山内さんとは『夢喰いメリー』でお仕事をご一緒して、そのときにはちゃんと『星矢』の劇場の背景美術の話をしましたよ。
――うらやましい。雰囲気のあるいい美術ですよねぇ。
古川 ムクオスタジオの窪田忠雄さん(※美術監督。クレジットは内川文広との連名)の脂が乗っていた時期ですね。美術だけでなく、他の要素もそうなんですけど、山内さんの『星矢』には様式美がとにかく詰まっている。そこがいいんです。『真紅の少年伝説』はまずもう、作品の入りにすべてが詰まっている。冒頭は無音の崩壊シーン……未来予知と、美しい花に囲まれているアテナ(沙織)が白い蝶と戯れているシーンのカットバック。そのイメージの空間に黒い蝶が舞う。この美しい黒い蝶が、崩壊のイメージと重ね合わされているわけですね。そうやって美と死、ふたつのスペクタクルが交互に入れ替わって、でもSEは無音なのがすばらしいんです。子供心にも痺れましたし、大人になってから見ても、もう映画の入りとして完璧すぎる!!!! ……すみません、ちょっと興奮してしまいました(笑)。
沙織を救いに行くことが同時に
自分たちが何者であるかの
根拠を取り戻しに行く
話になっている
――いえいえ、この企画ではそういう語りが聞きたいんです! しかもあのシーンは長いんですよね。だから主役の星矢たちがなかなか登場しない。
古川 そうなんです。しかも星矢たちが登場するまでのシーンで、アベル(※『真紅の少年伝説』のゲスト敵役)と沙織の関係は、設定上は兄妹なんだけど、ふたりを明らかに「男と女」として描いているじゃないですか。僕、そのあと沙織が星矢たちに別れを告げるところで「うわ、女を取られた!」と思ったんですよ。男女のことなんかまだ全然わからない子供だったのに。
――あそこは恋人を寝取られたみたいな雰囲気がありますよね。
古川 そのあとの展開でも、アテナが死んだあと、兄妹なのにアベルは別れの口づけをしたりするわけですよ。「(近親相姦の)タブーをおかしてるじゃん!」と感じて、混乱したのをおぼえています。ああいうのって、多くの大人は「子供にはわからないこと」と思っているのかもしれないけど、わからないなりに子供心にも嫌なものなんですよ。山内さんは明確に「子供だって嫌だろう」とわかったうえで突いてきている感じがあった。しかもギリシャ神話では近親相姦を含めて、とんでもないタブーが連発されるじゃないですか。おそらく、それをエクスキューズにして作品をコントロールしていたんじゃないかと。展開に反対する人がいても「ギリシャ神話がモチーフの作品で、その世界では普通のことなんだからやりましょう」で通していた気がするんです。監督になったら、そうやって設定を使い倒して作品を作っている感じがするところが、ますます好きになりました。東映アニメーションで活躍してきたレベルの高い演出家のみなさんは、さまざまな制約を乗り越えるためのテクニックをそれぞれ持っていて、それが作家性にまでつながっているイメージなんですけど、この作品では山内さんのテクニックが存分に振るわれている気がします。で、もうひとつのポイントが、映画の中で「奪う」という部分を大事にしているところなんです。
――「奪う」?
古川 アベルが沙織を奪うことは、星矢たち、聖闘士たちにとってどういうことなのか? そこがちゃんと描かれている。守るべき対象を奪われたとたんに「神話の時代から戦ってきた聖闘士」から「ただの男の子」に戻っちゃうんですよね。今にして思うことですが、当時、僕より年上の女性たちは、星矢たちをそういう気持ちで見ていたんじゃないか。何かがきっかけですぐに崩れる、美しい、儚い少年たちだな……と。そして、映画の後半では簒奪者と戦うことになるわけですが、沙織を救いに行くことが同時に、星矢たちにとって自分たちが何者であるかの根拠を取り戻しに行く話になっている。つまり、自分自身を取り戻すために戦う少年たちの映画になっていて、これって少年向け作品として健全だと思うんです。アベルと沙織の近親相姦的なエロチックさと、少年たちの健全さが同じ映画内に同居しているから、異常な湿度を持ったフィルムになっているのではないかと思います。
――なるほど……!
古川 また、そんな健全で美しい少年たちがボコボコにされるすばらしいシーンが続くのもフェチい感じなんですよね。そもそも荒木伸吾さんの肢体の描き方がフェチくて、それが顔面から叩きつけられて血がドバーッ!と広がる演出もいい。あと、劇場版ならではのゴージャスな作画がある一方で、TVシリーズで発明された『星矢』ならではの止め絵のスライドによる表現もちゃんとやっている。やっぱりファンはそれが見たいわけですよ。様式美として。そういう制約の中から出てくる研ぎすまされた表現って、今のアニメの現場ではなかなか生まれない。それがしっかり見られるのも、この作品のいいところですね。
※記事初出時、一部内容に誤りがございましたので、訂正してお詫び申し上げます。また、ご指摘、ありがとうございました。
KATARIBE Profile
古川知宏
アニメ監督
ふるかわともひろ 1981年生まれ。大阪府出身。アニメーション監督。スタジオグラフィティでアニメーターとしてキャリアをスタート。現在はフリー。アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の監督として大きな注目を集める。