Febri TALK 2022.10.07 │ 12:00

平松禎史 アニメーター、演出家

③『太陽の王子 ホルスの大冒険』
「あんな表情を描けるんだ」と驚かされた

アニメーターとして数多くの人気作に関わるベテラン、平松禎史が影響を受けたアニメ作品を語るインタビュー連載の第3回。高畑勲監督の著書から学んだという、アニメ演出の心得とは? 学生時代のアニメ遍歴をあらためて振り返りつつ、高畑作品の魅力についても聞いてみた。

取材・文/宮 昌太朗

演出するとき、「高畑さんだったら、どうするかな」と意識することがある

――『トムとジェリー』は小学生、『未来少年コナン』は中学生の頃に見ていたという話でしたが、その間も継続的にアニメを見ていたんでしょうか?
平松 たぶん、見ていたと思います。そこはその時代の他の子供たちと、それほど変わらないんじゃないかな。アニメにすごく夢中になっていたというわけではないですけど、とはいえ『機動戦士ガンダム』にいたるまでの作品はずっと見ていて。

――当時、アニメ以外で夢中になっていたものというと?
平松 そう言われると、アニメですね(笑)。絵を描くのが好きだったので、趣味でマンガを描いたりもしていました。無地のノートを買ってきて、フリーハンドでコマを割って。その頃は『マジンガーZ』のパクリみたいな(笑)、ロボットものを描いていましたね。

――それはちょっと意外ですね(笑)。
平松 僕が絵を描き始めたきっかけは、永井豪なんです。そこから松本零士にハマって『戦場まんがシリーズ』とか『男おいどん』『ワダチ』など、当時連載されていたものはもちろん、前の作品をさかのぼって読みました。『宇宙海賊キャプテンハーロック』がリアルタイムかな。そうすると、描いていたロボットにリベットを打ち始めるんですよ(笑)。で、ちょうどそのタイミングで『未来少年コナン』を見たんですけど、アニメの絵柄からはそれほど影響を受けていなかったと思います。

――それはどうしてなんでしょう?
平松 どうしてですかね……。マンガの絵はよく模写していましたけど、アニメは模写しようと思わなかったんですよね。なんとなくマンガとアニメは別モノだと思っていたのかもしれません。あと、中学生あたりからパラパラマンガを描くようになって、高校生のときは授業を聞いているふりをしながら、パラパラマンガをずっと描いていました。『ルパン三世 カリオストロの城』が公開されたのがその頃で、ルパンが屋根を走っているシーンをパラパラマンガで再現しようとしてみたり。自分で描いて動かしてみて、その面白さを知ったという意味では『ルパン三世 カリオストロの城』の存在は大きかったと思います。

――なるほど。3本目は高畑勲監督の長編デビュー作『太陽の王子 ホルスの大冒険(以下、ホルス)』です。1968年公開の作品なので、リアルタイムではないですよね。
平松 そうですね。見たのは、かなりあとになってからです。短大生のときに、アニドウ(東京アニメーション同好会)の自主上映会か何かで見ました。『ホルス』はどちらかというと、演出面で影響を受けていますね。アニメーションとしても『ホルス』はすごい力作ですが、なによりも演出がアニメ離れしているなと思いました。しっかりとした一本の映画になっていて、しかも後半になると怪獣映画、特撮映画っぽさもある。色使いも渋くて、あれはきっと公開当時、東映アニメーションの人もびっくりしただろうなと思いますね。

やっぱりヒルダの描写がすごい

ヒルダにはかわいらしさと同時に

怖さの感覚がある

――印象に残っているシーンというと?
平松 『ホルス』はやっぱりヒルダの描写がすごいですよね。ヒルダにはかわいらしさと同時に怖さの感覚がある。前半で、ホルスと最初に出会ったヒルダが、村で歌っているシーンがあるじゃないですか。あの表情が本当に素晴らしくて。アニメに対して興味が強かった時期でもあったので「あんな表情を描ける人がいるんだ」と驚かされたし、そういう表情をアニメーターに要求する演出という仕事に興味を持つきっかけにもなっています。80年代の後半に入ると『王立宇宙軍 オネアミスの翼』や『AKIRA』など、アニメーション映画の歴史を塗り替えるような作品が出てきますけど、そこにいたる前段階では、今回挙げた3本が僕にとって「アニメーションの元祖」といえる作品になりますね。

――まさにマスターピースなわけですね。
平松 あと、監督の高畑さんはアニメージュ文庫から『「ホルス」の映像表現』という本を出されていて。その本をアニメーターになる前、サラリーマン時代に読んだんですよね。アニメージュ文庫でいえば、他にも森康二さんの『もぐらの歌』にもすごく感銘を受けたんですけど、ともかく『「ホルス」の映像表現』では1カットを作るのにどれくらい考えているのか、そこが丁寧に説明されていたんです。「どうしてこういうデザインなのか」「どうしてこういうセリフを言うのか」「どうしてこういう表情をするのか」。すべてに疑問を突き付けるんだ、と。

――徹底的に考え抜くところから、あの映画は生み出されている。
平松 読んだときは「ここまでやるのか……」と怖いくらいでしたが、そこは今でも――なんとなく流れで処理してしまわないように気をつけています。宮崎監督の作品はアニメーションの楽しさにあふれていて、それこそ映画館を出るときに元気になっているような作品ですけど、高畑監督からは作るときの心構えの部分で影響を受けているというか。高畑さんのような作品を作れるとも思わないですけど(笑)、でも『おもひでぽろぽろ』にせよ『火垂るの墓』にせよ、心が震えるような作品で。自分がアニメを作るときにも、そういうものすごく高い塔が存在していると思いながらやってみる。そういうところがありますね。

――ちょっと背筋が伸びるところがある。
平松 人物の造形に関しては、自分が演出をするときに意識することはありますね。「高畑さんだったら、どうするかな」と。

――ちなみに、宮崎監督や高畑監督とお仕事をした経験はあるのでしょうか?
平松 ないです。ただ、じつは以前、一度だけやってみたいと思ったことがあるんですよ。『ミスター味っ子』でキャラクターデザインをやられていた加瀬政広さんが、佐藤好春さんと日本アニメーション時代の知り合いで。それでフリーになってから、加瀬さんのスタジオで佐藤さんとお会いする機会があったんです。それがちょうど宮崎さんが『紅の豚』を作っていた頃で、「宮崎さんの作品を一度やってみたいんですが、どう思いますか?」と佐藤さんに聞いてみたんです。

――佐藤さんは、ジブリの主力アニメーターのひとりでしたよね。
平松 そうしたら「やめておいたほうがいいと思う」と言われて(笑)。それでも一度は挑戦してみたいと思って、当時、吉祥寺にあったジブリに自分が描いた原画を持っていったんですけど……。「ちょっとウチには合わないですね」と(笑)。それが最初で最後になってしまいましたね。endmark

KATARIBE Profile

平松禎史

平松禎史

アニメーター、演出家

ひらまつただし 1963年生まれ、愛知県出身。サラリーマン生活を経て、1987年に『ミスター味っ子』で原画デビュー。最近の主な参加作品に『寄生獣 セイの格率』『ユーリ!!! on ICE』『さよならの朝に約束の花をかざろう』『呪術廻戦』など。

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