Febri TALK 2021.04.07 │ 12:00

村田和也 監督

②『おもひでぽろぽろ』
日本最高峰の仕事を目にした

村田和也監督の人生に影響を与えたアニメ作品について聞く連続インタビュー。第2回は、スタジオジブリでの研修生時代に、初参加作品となった『おもひでぽろぽろ』の衝撃を聞く。

取材・文/宮 昌太朗 撮影/須﨑祐次

※新型コロナウイルス感染予防対策をとって撮影しています。

スタジオジブリでの研修、そして初めての現場

――2本目は、スタジオジブリ制作・高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』。村田さんも演出助手として参加していますが、村田さんはスタジオジブリに入る前に、普通の企業に就職しているんですよね。
村田 そうですね。アニメは好きだったんですけど、自分が作り手になるということに対してはリアリティがずっとなかったんです。ただ、絵を描くのは好きだし、理工系の科目が得意で空間を作るのが好きだったこともあって、大学は建築系に進みました。……そもそも空間を作るのが好きになったのは、宮崎さんの影響なんですけど(笑)。

――『未来少年コナン』の影響があったわけですね。
村田 はい。『コナン』とか『カリオストロ』とか……。ただ、いざ大学に入ってみると、僕よりも圧倒的に建築愛にあふれているヤツが同期に何人もいるわけです。最初から「建築家になる!」という気概を持って大学に入ってくる人たちがいて、その人たちの知識量だったり、建築に対する愛情の深さに自分は絶対に太刀打ちできない、と思ったんですね。それで、住宅関連の設備などを作っているメーカーにデザイナーとして就職することにしたんです。

――そうしてメーカーで仕事をしているときに、雑誌でスタジオジブリの研修生募集を見て、応募することになるわけですね。
村田 『魔女の宅急便』が公開されたとき(1989年)に、その特集記事を組んだ『アニメージュ』が発売になって、そこに募集が出ていたんです。きっと応募者も多いし、受からないに違いない。けれどジブリが募集をするのは、これが最初で最後かもしれない。だから、記念に受けてみようと。そうしたら、受かっちゃったんですよね(笑)。

――研修ではどんなこと?
村田 演出部門の研修生は、僕を含めて4人いたんですけど、最初はアニメ制作の基本工程をひとつずつ体験する感じですね。動画の中割りを自分でやってみたり、セルの仕上げの絵の具を塗ってみたり。撮影会社にお邪魔して一定期間、撮影の助手をする、みたいなこともありました。あと、課題小説みたいなのをいくつか与えられて、この作品をアニメ化するとしたらどう作るべきか、みたいなことをレポートにして提出する。それに対して宮崎さんと押井守さんが好き放題に講評する、とか(笑)。最後の課題として、あるマンガを短編のシリーズとしてアニメ化することを想定して、それぞれが1話ごと脚本を書き、絵コンテを切る、というお題を与えられたんですが、そうこうしているうちに宮崎さんが次の『紅の豚』の準備に入って、ロケハンでイタリアに行くことになり、忙しくなってしまいました。しかも、もう一方では『おもひでぽろぽろ』の現場が始まって、人手がほしいと。我々がぐずぐずしていたからというのもあるんですが、そんなわけで研修期間がそこで終わって、僕ともうひとりが演出助手として、残りのふたりが制作進行として『おもひでぽろぽろ』の現場に入ることになったんです。

――その時点で、制作はどれくらい進んでいたんですか?
村田 研修生として入社した時点では、高畑さんは脚本を書いている最中で、まだ現場には入っていませんでしたね。ただ、近藤喜文さんはキャラクターを描き始めていて、あと美術監督の男鹿和雄さんと色彩設計の保田道世さんは準備を始めていました。メインスタッフ以外は誰もいない、ガランとした状態だったんですけど、一角の準備コーナーに男鹿さんの美術ボードが貼られていて衝撃でした。山形の畑の風景だったんですけど、畑が夕日でオレンジ色に染まっている、みたいなボードで「これを手で描いているのか!」と。

――最初に、日本でもトップレベルの美術を目にしてしまった。
村田 あと、近藤さんのキャラクターデザインもびっくりしましたね。『赤毛のアン』や『名探偵ホームズ』の頃から近藤さんの絵はとても好きだったんですが、ここでは原作の絵のアレンジ力に驚きました。原作はわりとシンプルに簡略化された絵柄なんですけど、それを肉感的にふくらませて、近藤さん特有のもちっとした可愛らしさがあって。それでいて手足のシルエットなどは、強弱をおさえて絵の軽さが損なわれないようにしてある。あと、それとは別にキャラクターの服に柄があることにも驚きました(笑)。

――柄があると、作画が大変ですよね。
村田 これは大変な領域に踏み入ろうとしているぞと(笑)。僕らが研修期間を終えて演出助手として編入された頃には、もう作画スタッフが勢ぞろいしていました。『おもひでぽろぽろ』は、そもそもやろうとしていることのレベルが高い作品でしたけど、そこに集まってきている作画さんたちはみんな、『ナウシカ』から『魔女の宅急便』までの蓄積、あるいは当時の主要な劇場大作を経験したうえで、この現場に来ている方ばかりで。しかも、監督が高畑さんなので気合が半端じゃない(笑)。参加している人たちのテンションも高いから、すごいところに来たなって感じはありましたね。

――まさに日本のトップレベルの作画陣が参加していますよね。
村田 そうですね。近藤さんとか百瀬義行さんのようなベテランもそうですし、あとは大塚伸治さんのような中堅勢もそう。加えて、僕と世代的に近い近藤勝也さんとか磯光雄さんとかもいて。少し遅れて作画研修の2期生のメンバーも研修を終えて、新人動画マンとして安藤雅司くんや吉田健一くんたちが現場に合流しました。1期生には小西賢一くんもいましたし、今振り返ってみても、あのメンツが一緒にいたというのは、すごい現場だったなと思います。

――当時の経験は、今の仕事にも生かされていると思いますか?
村田 僕の仕事はほとんど雑用係みたいな感じだったんですけど、作品的に作画や撮影の難易度の高いカットが多くて、そういうカットがどうやって描かれているのか、どういう素材の組み合わせでできているのか、素材を生で見ることができたのが、その後の仕事に大変役に立っています。そしてなにより、高畑さんをはじめとするスタッフの作品や仕事に対するこだわり、熱量を肌で感じることができたということ。これはじつに大きな経験でした。endmark

KATARIBE Profile

村田和也

村田和也

監督

1964年生まれ。大阪府出身。一般企業に就職したのち、スタジオジブリに研修生として入社。その後、OLMの設立に参加し、フリーに。主な監督作品に『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』『翠星のガルガンティア』『A.I.C.O. -Incarnation-』『正解するカド』(総監督)など。

あわせて読みたい