Febri TALK 2022.08.05 │ 12:00

錦織博 アニメーション監督/演出者

③同時代の監督たちと出会うきっかけ
『ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!』

バラエティ豊かな作品を数多く手がける錦織博監督に、これまでのアニメ遍歴を聞くインタビュー連載。その第3回は、自身が演出として制作に参加した『ザ☆ドラえもんズ』シリーズの一作。その舞台裏とともに、当時のアニメ業界を包んでいた熱気を振り返る。

取材・文/宮 昌太朗

「いいな」と思った人には自然と会いに行ってしまう

――3本目は錦織さん自身、演出として参加していた米たにヨシトモ監督の映画『ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!(以下、怪盗ドラパン)』です。この作品の前に錦織さんは、日本アニメーションで演出の仕事を始めていますね。
錦織 僕としては「世界名作劇場」をやるつもりで日本アニメーションに入ったんですが、なんと『ちびまる子ちゃん』で亜細亜堂の制作協力回で演出助手をやることになって。念願だった亜細亜堂に通うことになりました(笑)。それから、演出になったらいっぱい動かすアニメを作るぞ!と思っていたのに、社長が「東映アニメーションは少ない(動画)枚数で作品を作っている。ウチも2000枚代で作ろう!」と言い出したんです。

――あはは。思惑が外れてしまった。
錦織 そう言われてしまったので、敵情視察のつもりで東映アニメーションの作品をかたっぱしから見てみたんです。『きんぎょ注意報!』が放送されていた頃なんですが、佐藤順一さんや幾原邦彦さんの担当回があって、そこでのギャグの使い方やテンポの作り方が革新的だった。当時の日本アニメーションはあまり冒険を許さないような空気があったんですけど、同じ老舗である東映アニメーションでは、こんな冒険的なことをやってるんだ!と衝撃を受けて。

――後に錦織さんは幾原監督の『少女革命ウテナ(以下、ウテナ)』にも参加していますが、当時から注目していたんですね。
錦織 そうですね。演出家として20数分を構成する、そこに対して自分たちとは違う意識を持っている人がいるんだ、と。そこから外の世界に目が行くようになったんです。それこそ『ちびまる子ちゃん』でご一緒させていただいた佐藤竜雄さんが『赤ずきんチャチャ』に参加していたり、あかほりさとるさんが『NG騎士ラムネ&40』を手がけていたりして、「潮目が変わってきたぞ」みたいな感覚がありました。

――90年代の中盤、錦織さんが『怪盗ドラパン』に参加した頃ですね。
錦織 そんなこともあって、日本アニメーションを退社することにして。僕よりも少し前に日本アニメーションを辞めたプロデューサーの松土(隆二)さんがベガエンタテインメントを設立したので、そこで僕もお手伝いをしていたんです。ベガエンタテインメントは(『ドラえもん』の制作をしていた)シンエイ動画とおつきあいがあったので、その流れで『怪盗ドラパン』に参加することになったという感じですね。

――なるほど、そういう流れだったんですね。
錦織 『ザ☆ドラえもんズ』は、それまでずっと米たにさんが監督をやられていたんですけど、ちょうど米たにさんがサンライズで『勇者王ガオガイガー』を作ることになって、全工程をフォローできないという話で。なので、絵コンテまでは米たにさんがやられて、そこから先は自分が担当するという形になったんです。その後、『ザ☆ドラえもんズ』では短編映画やテレビスペシャルの監督をやらせていただくことになるんですが、『怪盗ドラパン』は現場も楽しくて、作品的にもいいものができたな、という手ごたえがあったんですよね。

現場も楽しくて

作品的にもいいものができたな

という手ごたえがあった

――本格的に監督としてキャリアをスタートさせる、そのきっかけにもなった。
錦織 本当は自分が監督した作品を挙げるべきなんでしょうが、そういう意味でも思い出深い作品なんです。しかも『怪盗ドラパン』の仕事でシンエイ動画に行ったことで、すごく出会いが広がったんです。当時は、渡辺歩くんが『ドラえもん』の劇場中編の監督をやっていたり、水島努くんが劇場版『クレヨンしんちゃん』に参加し始めていた頃で。あと、自分もサンライズで『勇者王ガオガイガー』や『サイバーフォーミュラSAGA』に参加したことがきっかけで『星方武侠アウトロースター』を監督していた本郷みつるさんと知り合いました。そして本郷さんが後に『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』などで作画監督を手がける西村博之くん、高倉佳彦さんとスタジオ(めがてんスタジオ)を作ったので、そこに入れてもらうことになったり。まさに『怪盗ドラパン』がきっかけになって、同世代の監督たちと次々と出会うことになったんです。

――そういう意味でも、大きな転機になった作品だったんですね。先ほどちらっと名前が挙がった『ウテナ』も、ちょうどこの頃ですよね?
錦織 そうですね。幾原さんが東映アニメーションを離れて、オリジナル作品を作っているという話は聞いていたのですが、日本アニメーションで一緒だった加藤裕美くんが参加すると知って「幾原さんに会わせろ」と言って、一緒について行ったんです(笑)。僕としては世間話をして帰るつもりだったんですけど、幾原さんから第5話の脚本を渡されて「これ、やらない?」と。

――初対面なのに(笑)。
錦織 ですよね(笑)。当時、現場だったビーパパススタジオのホワイトボードに五十嵐(卓哉)くんの名前が書かれていたんですよね。五十嵐くんは『亜美ちゃんの初恋』(劇場映画『美少女戦士セーラームーンSuperS セーラー9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡』と同時上映された短編映画)ですでに初監督をやっていたので、同世代として勝手にライバル視していたんです。その彼が「ここにいるのか!」と(笑)。直後に細田守くんや桜井弘明さんたちとも直接知り合うことになって。そして、その翌年から監督をやることになるのですが、今思い出しても人との出会いに関しては本当にラッキーだったと思いますね。

――こうして振り返ってみると、錦織さんは行動力があってアクティブですよね。「会いたい」と思った人がいると、すぐに会いに行くというか。
錦織 自分は決して人づきあいが広いほうではないと思うんですけど、「いいな」と思うと、自然と身体が動いてしまうんです(笑)。それは監督になった今でも変わりませんね。endmark

KATARIBE Profile

錦織博

錦織博

アニメーション監督/演出者

にしきおりひろし 1966年生まれ。京都府出身。撮影スタジオの高橋プロダクションを経て、日本アニメーションに入社。フリーとなってからは数多くの作品に演出・監督として参加。主な監督作に『あずまんが大王』『天保異聞 妖奇士』『とある魔術の禁書目録』シリーズなど。

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