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早朝の東京駅から東海道新幹線に乗り込む。
ガラガラの車内で席を探した。会議の開始時間を考えればもう一時間あとの列車でもいいのだが、混み合うのが嫌で敢えて六時台の切符を取っていた。窓際の指定席に座ると、ほどなく列車が動き出した。子供の頃はこれだけで興奮できたはずなのだが、乗り慣れた今では地下鉄の発車程の感慨しかない。
静岡まで一時間一五分。移動の時間は基本的に休息と決めている。普段は本を読むか睡眠を取るかしていたが、今日はどちらも気が乗らず、流れる車窓をぼんやりと眺めた。品川を通過し、新横浜を過ぎた頃には景色がのどかになってくる。ほんの五〇キロの移動でも街並みは大きく変わってしまう。
絵巻物のように流れていく風景を見つめながら、俺はこの数十倍の距離を飛び回っていたやつのことを思い出していた。
あの頃、世界は今よりずっと小さかった。
駒場の半径一キロメートルが当時の俺のほぼ全てだった。
一七年前。大学に入ったばかりの時。あの頃の俺は、ほとんど“勉強”だけでできていた。青春のほぼ全ての時間をそれに捧げなければ入れないだろう大学を目指していたし、実際大半の学生はそうしてきていたと思う。趣味が何もなかったわけじゃないが、それもあくまで勉強の片手間に触る程度で、自分はこれが好きだと言い切れるものは何一つ持っていなかった。
なのに自意識だけは一人前以上に持っていて、勉強しか知らない自分に引け目を感じていた。同世代の友人からからっぽの人間だと思われたくなくて、自信を持って生きているように思われたくて、自分が考えるスマートな大学生を必死で演じた。それだって今振り返れば全く演じ切れてはおらず、俺は大学に合格した後も予備校と偏差値の話ばかりしている、高校四年生のような存在だった。
だからこそ、そうでない人間が自然と気になった。同世代なのに本物の自信を持っているように見える奴は一方的に意識していた。そうなりたいと憧れているくせに、自分を守るための言い訳を積み上げては表面的に否定してみせた。
真道幸路朗はその最たる存在だった。
前期課程の最初の三ヶ月が過ぎる頃には、真道という男は新入生の中で特別な地位を獲得していた。そもそも入学してすぐの時期から、あいつは頭一つ抜けて目立っていたのを覚えている。
真道は新入生の中で毎年一握りだけ存在する「塾にも予備校にも行かずに合格した人間」であった。いわゆる天才肌のタイプで、進学塾に浸かり切りだった自分のような者からすればそれは強いコンプレックスの対象となった。またあいつは講義の合間によく本を読んでいた。駅南の古書店で古本を買い漁っていたあいつは、軽く話すだけでも話題が豊富で雑学に富んでいた。そんな受験勉強以上の教養を見せる様子もまた、無趣味の自分と比較されてしまい心をざらつかせた。
その博識の賜物なのか、あいつは入学したばかりだというのに偉い先生方と親しげに話す姿をよく見かけた。大半が大学生活に慣れるのに精一杯の時期に、教授先生と対等に渡り合う真道の姿は二年も三年も先輩に見えたし、逆に自分達が子供に思えた。いつのまにか真道は学年の代表のような立場に祭り上げられていて、本人にそんな気が毛ほども無くとも周囲が勝手にそう認めていた。
だがその状況はすぐ終わった。六月頃、真道は救急車で運ばれた。大学構内にある池に落ちて溺れたからだった。そこはキャンパスの東側にある小さな池で、そもそも大人が溺れるほどの水深もないため落ちるのを見ていた連中も最初は笑っていたという。だが真道が一向に浮いてこず、焦った友人らに引き上げられてそれなりの騒ぎになった。本人はすぐに退院してケロッとしていたが、周りの方が明らかに引いてしまっていた。
その件以来、真道のポジションは学年代表からただの変わり者へとシフトし、特別から特殊の枠に入れられるようになった。学年の多くが真道を遠巻きにするようになったし、俺自身も積極的に近寄ろうとはしなかった。
けれどそんな周囲の変化があっても真道は変わらず、学内で見かけるたびに色褪せた紙色の古本を読み耽けっていた。俺はそれを視界の端で捉えながら、結局駒場で過ごした二年の間、ほとんど言葉を交わすことはなかった。
車内音声が静岡、と二度繰り返した。意識が一七年前から戻ってくる。棚の鞄を下ろしながら、あの古本屋はまだあるのだろうかと考えていた。
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