TOPICS 2021.04.29 │ 12:00

孤独を感じたときに読むマンガ⑥ オンノジ

孤独を感じたとき――
あなたは何をするだろうか。
孤独であることをさびしく思い、
自嘲したり、自問するかもしれない。
もしくは、たまにはとその感覚に浸り、
普段は読まない本を手に取ったり、
ラジオをつけたりするのかもしれない。

第6回は施川ユウキによる『オンノジ』

文/宮 昌太朗 リード/編集部 バナービジュアル/ななうえ

眠れない夜の過ごし方

眠れない夜に何をして過ごすかは、大きな問題ではある。深夜ラジオに耳を傾けるのもいいし、気になっていたドラマや映画を見るのもいいし、眠くなるまでゲームを遊ぶのも楽しい。何をして過ごしてもいいのだが、最近はもっぱら、小さな音で音楽を流しながら本を読む。寝っ転がってアントワーヌ・コンパニョンの『第二の手、または引用の作業』のように分厚い文芸評論の、ややこしい文章を行きつ戻りつしながら眠気を待つ。あるいは、それだとちょっと気分的に重すぎるというのであれば、電子書籍版のミシェル・ド・モンテーニュ『エセー』などをゆっくり読む。

死の直前まで加筆・修正が加えられていた『エセー』は、まっすぐ目的地に突進する効率性から一番遠いところにある言葉でできている。個人的な思索と文献からの引用と妙に理屈っぽいユーモアのまだらなパッチワークがあちこちに寄り道し、うねうねと蛇行しながら進んでいく。そして、その文章をゆっくり追いかけているうちに、夜がとても親密なものに感じられてきて、そんなときにふとこんな文章が目に飛び込んでくる。

わたしが旅をするのは、無事に帰ってくるためでも、旅をやりとげるためでもない。移動することが楽しいあいだは、移動してやろうと思っているだけだし、歩きまわるために、歩きまわるということなのだから(※1)

とはいえ、『エセー』でさえ重く感じるときもあって、そういうときは4コママンガを読む。なかでも、施川ユウキは夜の気分にぴったりだ。『サナギさん』も『鬱ごはん』も『バーナード嬢曰く。』もいいが、個人的には『オンノジ』がいちばん好きだ。単行本一冊で完結していて、スッと読み通せるところもいい。

オンノジ(p.90)

『オンノジ』の舞台は、ある日突然、すべての生き物が消え去った世界。どういうわけだか、ひとりだけ消えることなく生き残った少女・ミヤコはあるとき、かつて男子中学生だったというフラミンゴと出会い、そのフラミンゴに「オンノジ」という名前をつける。

……と書くと、いかにもSF/ファンタジー的な筋立てを想像するかもしれないが、しかし物語は「なぜこの世界から生き物が消えてしまったのか」という、謎の解明に向かうことはない。むしろ、ミヤコのパートナーがフラミンゴだったり、あるいはハンプティ・ダンプティへの言及があったりするように、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』に近いといえるだろうか。同じ大きさのコマが延々と続く(コマの大小によって起伏を作らない)4コママンガの淡々としたリズムのなかで、少女と1匹の――あきらかに常軌を逸しているのだが、その逸脱がいつの間にか空気に溶け込んでしまったような、そんな日常が綴られていく。

オンノジ(p.180)

誰もいなくなった街並みを、ミヤコたちはほとんど思いつきのように歩きまわり、いろいろな発見をしたりしなかったりする。そこから湧き上がってくる妙に理屈っぽい笑い。しかも、そんなミヤコとオンノジの道行きを読み進めていると、ふいにモンテーニュが書いていた、目的地に行って帰ってくるためでもなく、ただ移動することが楽しいだけ、それだけの「旅」を連想する。

先ほどの引用の少し先で、モンテーニュはこんなふうにも書いていた。「旅の喜び」とは「自分が落ち着かず、定まらない状況の証人になれることにあるのだ(※2)」と。一方、オンノジは朝日のなかで、こう思う。「世界は終わらない、絶えず始まり続ける」と。

決して一カ所に留まることも、つまらない結論に落ち着くこともなく、つねに動き、始まり続ける世界。そこに、たしかに自分がいるという喜び。その心地よさに包まれているうちに、ようやくゆっくりと眠気が降りてくる。endmark

※1 ミシェル・ド・モンテーニュ著 宮下志朗訳『エセー 7』 白水社 2016年
※2 前掲『エセー 7』
書籍情報

オンノジ
著/施川ユウキ
発行/秋田書店
レーベル/ヤングチャンピオン・コミックス

  • ©施川ユウキ(秋田書店)2013