背景に人がいるということは、ドラマ的な表現として重要
――『Gのレコンギスタ(以下、G-レコ)』作品全体の話も聞きたいのですが、公開中の第4部(『激闘に叫ぶ愛』)を制作しての手応えはどのようなものでしたか?
富野 アニメーターたちがよくやってくれた、ということは間違いなく、そこは本当に感謝をしています。メカデザイナーも嫌がらずに……いや、本当は嫌がっていたかもしれませんが、よく対応してくれたと感謝しています。僕自身は絵が描けない人間なので、よくもこんなに線の多いモビルスーツや宇宙服を億劫(おっくう)がらずにやってくれたなと思います。人間の身体を描いているほうが楽でしょう?
――新規カットもかなり増えているのが第4部の特徴です。
富野 とくに第3部(『宇宙からの遺産』)、第4部(『激闘に叫ぶ愛』)では、アニメーターは余分なことをやらされているんです。背景に人間を描くという、ものすごく大きな要求を出しました。その要求の理由となっているのが、たとえば『鬼滅の刃』のような作品だと、背景に村を描いてもいいし、家を一軒描けば、その裏や部屋の中には人間がいる、ということを認識できます。このあたりは『機動戦士ガンダム』の頃は認識していなかったことで、(宇宙を舞台としているときに)この建物の裏は真空なのかそうじゃないのか、真空でない、空気のあるところを人が使っていたとすれば、そういう表現をしなければいけないことに『G-レコ』で気づきました。人がいるところはそういう風に見せることを、第3部からアニメーターには具体的に指示しています。モビルスーツが格納されている巨大な倉庫のような場所があれば、そこに人がいないことはありえない。さらに考えれば、2~3人という少人数では済まないわけです。
――その規模に見合った人数を描く必要がありますよね。
富野 第3部のときに「ここは人がいる景色なんだ」という意識づけを徹底したことで、第4部では、こちらが指示をしなくても背景にキャラクターを描く、ということをしてくれるようになりました。これが物語の見やすさに作用するとは、思いませんでしたね。宇宙空間でもこういう規模なら人がいる、というのがわかると、観客はカメラの前の人たちのドラマであることを相対的に認識してくれます。背景に人がいるということは、ドラマ的な表現として重要であるとスタッフに教えてもらったわけです。
――なるほど。
富野 対極にある話をしますが、ヤクザ映画の抗争劇で、舞台が現代の場合、ヤクザが殺し合っている後ろには街がある。あれが宇宙空間だとヤクザものにはならないわけですよ。ヤクザ映画なら「これがヤクザもの」だと認識する方法を、視聴者はいつの間にか獲得しているわけです。第1部(『行け!コア・ファイター』)のときに何かピンとこなかったのは、その人気(ひとけ)のなさが原因だったんです。
「その世界すべてを俯瞰して見ること」に着目した
――第4部を見て、群像劇だと明確に認識したのは、そういう人の気配のある背景が大きかったのかもしれません。ひとり、ないしはふたりにスポットを当てる物語と、『G-レコ』のようにさまざまな人に焦点を当てて描く話では作り方も変わると思うのですが、そのあたりの意識はあったのでしょうか?
富野 それは作家論にもなりますが、僕はこういうやり方でしか話を作ることができないので、原作者としては半端者なのです。恋愛ものを書くことができない。巨大ロボットものの専門家でいることで楽なのは、ロボットの描写が物語の半分を占めるので、足元のドラマを作ってしまえばそれで済みます。そのせいで『G-レコ』のような作品にしか仕上げることができなかったという意味では、作者として能力が足りていないという自覚もあります。
――ただ、第4部でも、キャラクターの恋愛模様やそれぞれが想いあう状況にはロマンティシズムを感じました。
富野 それは文芸としての作りになっていないから、個別のエピソードを取り上げて帳尻合わせをしている、と言われているようなものです。そこは「富野の問題」だと承知しているつもりですし、だからこそ劇場版『G-レコ』では、その世界すべてを俯瞰して見るということはこういうことなんだ、という部分に着目しました。本来なら、もっと大きく、男女関係や社会性を描きたいけれども、そこまで行けていない自覚はあるし、なんとかSFっぽく見えている、というところで勘弁していただけたらありがたいですね。
「まだまだ若い者には負けられない」という老人の言葉は聞きたくもない
――第5部の公開も間近に迫り、これから先、富野さんの監督としての展望はありますか?
富野 ……80歳の年寄りにそれを聞くの? 僕には未来論はないです。「まだまだ若い者には負けられない」という老人の言葉は聞きたくもない。年寄りというのは、夢や希望を掲げることはもうできない。この半年間、考えていたんだけれど、元気なままで死んでいきたいのに、元気に死んでいく方法は誰も教えてくれないんだよね。自分で見つけるしかない。と同時に、死はものすごく過酷というのはわかるようになってきて、上手に死んでいきたいというのが願望となりました。
――上手に、というのはどのような意味なのでしょうか?
富野 遺産相続がどうのとかの話ではなく、気持ちよく死んでいくということ。それがどういうことなのかはなかなか言いづらい。でも、40代以下には聞こえない話ですよ。想像がつかないから。80歳から81歳までの1年間がかなりつらいと先輩方に聞かされていたのですが、まったく脅しではなかった。この1年間を抜けたら楽になるかもしれないし――ただ、それは神経にしろ意識にしろ、麻痺していくから楽になっていくらしい――と。でも、僕はね、まだ麻痺はしたくないと思っています。
- 富野由悠季
- とみのよしゆき 1941年生まれ。神奈川県小田原市出身。アニメーション監督・演出家、小説家。劇場版『Gのレコンギスタ』では総監督を務める。2022年7月に第4部『Gのレコンギスタ Ⅳ』「激闘に叫ぶ愛」が公開され、8月5日には完結編となる第5部『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」が公開となる。
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅳ』「激闘に叫ぶ愛」
大ヒット上映中!
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」
8月5日(金)全国ロードショー!
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