TOPICS 2021.05.25 │ 12:02

社会人オタク教養学 クトゥルフ神話③

第3回 怪獣小説としての『ダンウィッチの怪』

辺境の村で邪神が復活するという『ダンウィッチの怪』は、単なるホラーではなく、巨大な怪物と立ち向かう科学者たちの活躍を描いた画期的なホラーSFであり、日本の特撮に通じる怪獣ものの原点でもあったのだ。

文/朱鷺田祐介 バナービジュアル/まりやす

ラヴクラフトが怪獣ものの原点を描いた!?

特撮怪獣ものの魂を受け継いだアニメ『ゴジラS.P(シンギュラ・ポイント)』が面白い。SF作家円城塔をシリーズ構成・SF考証・脚本に迎え、海辺の街にある謎の施設、怪獣との戦いのためにロボットを作る機械工場のおやじさんと技師たち、空想生物を研究する若手科学者など、ユニークな登場人物たちが怪獣を生み出す謎の現象に立ち向かっていく。冒頭の一見、平和そうな街でのちょっとした事件のかけらが、やがて世界的な事件につながっていく流れがよい。初代『ゴジラ』もそうだった。島を襲った台風の被害だと思ったものが、やがて放射能怪獣ゴジラの出現につながっていく。これに似た流れが、100年ほど前のホラー小説でも存在していた。1929年に発表されたラヴクラフト作品『ダンウィッチの怪』である。

ダンウィッチの怪

物語は、マサチューセッツ州の辺境の村ダンウィッチの描写から始まる。入り組んだ丘と渓谷、森にまぎれた村の大半は廃屋となり、住民たちは衰退し、もはやかつての活気はない。村はずれに住む老ウェイトリイは、17世紀に魔女狩りで名高いセイレムから逃れてきた血筋の末裔で、祖先同様、妖術を使うと恐れられていた。やがて、その娘ラヴィニアがひとりの子供を生む。父親はいなかったが、老ウェイトリイは「ラヴィニアの夫はこの近辺では最高の男」だと称した。その子供、ウィルバーはどこか獣じみた存在で、すさまじい速度で成長した。ラヴクラフトは、不気味な描写を丹念に積み重ねて、ウィルバーが邪悪な存在、ヨグ=ソトースの落とし子であることを暗示していく。老ウェイトリイとラヴィニアは何か恐ろしい儀式を行い、異世界の邪悪な存在を顕現させ、ウィルバーを生み出したのである。

ウィルバーは不気味さを感じさせる子供だった。近くの山にある環状列石の中心で「ヨグ=ソトース!」と叫ぶ姿が目撃されているのも、住民が彼を忌避する理由のひとつになった。ここで登場する山上の環状列石は、アメリカ先住民の残したものとされている。ラヴクラフトは1928年の旅行で、ウィルブラハムとアソールの周辺に残る先住民の遺跡と思しき環状列石を見ていて、これを古代文明の遺産と見るアイデアはラヴクラフトがゴーストライティングしたゼリア・ビショップの『俘囚の塚』で明確化され、北米大陸南西部の地下に広がる空洞世界クン・ヤン物語に拡大していく。

魔道書『ネクロノミコン』

ここまではニューイングランド怪奇譚の延長であったが、老ウェイトリイの死やラヴィニアの失踪によって、事件は村の外へと波及していく。祖父の死によって、魔術に関する導き手を失ったウィルバーは、邪悪な儀式の手がかりを求めて、村から出て行くことになる。その手がかりが書かれているのが魔道書「ネクロノミコン」である。

今や非常に有名になった「ネクロノミコン」は、ラヴクラフトが作り出した架空の魔道書である。8世紀、アラビアの狂える詩人アブドゥル・アルハザードが書いた魔道書「アル・アジフ」を翻訳したもので、禁断の知識が多数書かれている。まず、ギリシア語に翻訳されて「ネクロノミコン」の名前が与えられ、その後、多くの言語に翻訳されたが、そのたびに禁書とされ、焼き払われてきた。

ウィルバーは祖先から受け継いだ魔道書「ネクロノミコン」を所有していたが、それは17世紀初頭に英国のジョン・ディー博士が密かに英訳した部分的なもので、8世紀に書かれたアラビア語の原書でもなければ、10世紀のギリシア語版、13世紀のラテン語版でもなかった。完全な形の「ネクロノミコン」は世の中に11冊しかないと言われている、稀購書中の稀購書である。

画像出典 Michal Jarmoluk/pixabay

どうしても完全な魔術儀式を知りたいウィルバーは、多くの大学図書館に問い合わせ、ついにはアーカムの街にあるミスカトニック大学付属図書館を訪れて、ラテン語版「ネクロノミコン」を参照しようとする。山羊の怪物のような巨人が禁じられた魔道書を参照するさまは、ミスカトニック大学付属図書館長であるアーミティッジ教授の注意を引いた。ウィルバーが調べていたのは、人類以前に地球上に存在したヨグ=ソトースの召喚に関するものであった。

ヨグ=ソトースは超古代の邪神、「旧支配者」の一柱で、すべての時とともに存在して、あらゆる空間と身を接し、混沌の外に幽閉されている。しかし、ヨグ=ソトースはまだこの世界への侵入をあきらめていなかったのだ。

教授は危惧を感じて「ネクロノミコン」の貸し出しを断り、ウィルバーを追い返したが、ウィルバーは図書館に忍び込もうと試み、番犬に噛まれて命を落としてしまう。かけつけた教授たちが目にしたウィルバーの死体は、人間ものとは大きくかけ離れており、彼がすでに人間ではない、おぞましい何かであったことが明らかとなる。ウィルバーの慄然たる死のあと、アーミティッジ教授はウィルバーが暗号で書いた手記を解読した。その結果、ウィルバーこそ、異界に封じられた忌まわしき「旧支配者」ヨグ=ソトースの落とし子であり、ウィルバーとその背後にいる「旧支配者」が、地球上のあらゆる生き物を一掃しようとしていることを知った。教授は「ネクロノミコン」など多くの魔道書を参照し、そしてウィルバーの手記を解読してそれが真実だと結論づけ、必死で対策を練り始めた。教授の予感は間もなく現実となった。

ダンウィッチでは大規模な山鳴りが発生し、翌朝、住民は巨大な生物の足跡を発見する。何者かが林のなかを押し退けて通ったような、木が倒された跡も見つかった。そしてダンウィッチには、住民を家ごと押しつぶし、牛のいる納屋をも潰していく目に見えない化け物が徘徊するようになる。この件を知った教授と仲間たちは「ネクロノミコン」から見つけ出した呪文や儀式で見えない怪物を撃退するが、その怪物こそ、ウィルバーの兄弟、ヨグ=ソトースのもうひとりの落とし子であった(※1)。

※1 この記事のバナービジュアルは『ダンウィッチの怪』をモチーフに、まりやすさんに描いていただきました。

怪獣ものとしての構造

『ダンウィッチの怪』は、クトゥルフ神話の枠組みを大きく決定づけた作品である。「旧支配者」の設定が明言され、不気味な落とし子を利用して地上に帰還しようとする「旧支配者」の陰謀が、血湧き肉躍る活劇的に展開されたのである。辺境の村でのちょっとした事件から、都会の研究者が関わるきっかけとなる怪事件を経て、見えない怪物の出現、村を襲う恐怖、科学者による撃退へと向かう。これはまさに、本邦で展開される怪獣特撮ものと同じ構造である。ラヴクラフト作品は、怪獣映画の遠い祖先のひとつでもあったのだ。

『ダンウィッチの怪』以外にも、ラヴクラフト作品が生み出した怪獣的な存在は多い。『大アマゾンの半魚人』とほぼ時期を同じくして、クトゥルフの眷属である半ば魚のように変容した人々を描いた『インスマウスの影』は、明らかに現代の半魚人ものに影響を与えており、日本アニメでも『デジモンアドベンチャー02』にインスマウスめいたダゴモンが登場、『ヘボット』に至っては『インスマ浜の呼び声』というオマージュ回が存在する。

南極探検隊が超古代の種族の残骸を発見する『狂気の山脈にて』では、南極の氷原から発見した謎の生命体「古(いにしえ)のもの」が復活し、隊員たちを殺害するというモンスターホラーの定番を作り上げたうえで、この生命体はかつて文明を築いたものの、自らが奴隷として創造した不定形生物「ショゴス」に反逆されて衰退してしまった生物であったという悲しい結末を描く。この作品に登場するショゴスは、現在、さまざまなゲームやアニメに登場するスライム型の不定形生物の原型になったとも言えるだろう。

画像出典 Free-Photos/pixabay

ラヴクラフトは1920-30年代という短い活動期間の間に独自の作品をいくつも生み出し、モダンホラーの可能性を突き詰めることで、新しいジャンルを形成していった。『ダンウィッチの怪』はラヴクラフト自身も気に入っている作品であり、自分の作品群を「ヨグ=ソトース神話」とか「アーカム・サイクル」と呼んだ。

かくして、ここからラヴクラフトの快進撃が始まり、彼の考える宇宙的恐怖を具現化させた作品群が広がっていくはずであったが、残念ながら、時代は彼に追いついていなかった。18世紀英国文学と科学を愛したニューイングランドの紳士は、あまり売れない作家として死に、多くの作品は彼の死後、世に出ることになる。endmark