TOPICS 2022.06.10 │ 12:35

アムロ・レイの演じかた
~古谷徹の演技・人物論~ 第2回(後編)

第2回 『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ

ごく普通の少年としての演技を軸としてアムロ・レイを演じた古谷徹。少年らしいナイーブな感情の起伏と、戦争という極限状態に置かれた緊張感が15歳のアムロを成長させてゆく。古谷徹による15歳のアムロ・レイの演技論、さらには最新作『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』におけるアムロの変化について聞く。

取材・文/富田英樹 撮影/高橋定敬 ヘアメイク/氏川千尋 スタイリスト/安部賢輝 協力/青二プロダクション、バンダイナムコフィルムワークス

ブライトやランバ・ラルとの「プライドの演技」

――第9話の「親父にもぶたれたことないのに」のシーンも印象的です。
古谷 あのシーン、じつは僕としては意外だったんです。僕は子供の頃、親父にさんざん殴られていたので(笑)、「えっ。父親に殴られたことないの?」みたいな感覚でしたね。お父さんは怖いものというのが当たり前だったから、今の若者は違うのかなと思いました。そもそもアムロは両親から十分な愛情を受けていたとは言い難い家庭環境でしたし、親に殴られるようなぶつかり合いもなかったのでしょう。アムロは愛に恵まれていなかった部分があるとは思っていましたが、殴られたあとでブライトから「シャアを超えられるヤツだと思っていた」と言われたことで、アムロが持っているシャアへのライバル心に火がついた。それがアムロに残っていた幼さから抜け出すことにもなって、自分がホワイトベースの皆を守ってきたんだという自覚へとつながっているんだろうと思います。

――ガンダムでの戦闘に慣れ始めたアムロの成長は、ブライトに増長として捉えられてしまいます。このふたりの衝突については、どういう考えで演じたのでしょうか?
古谷 アムロはそれを、ブライトにプライドを傷つけられたと受け止めているわけですよね。自分がガンダムをいちばんうまく使えるという自負、ホワイトベースの仲間を守ってきたのは自分だと思っていたのにブライトに裏切られた。自分は必要とされていないと感じたときに、ブライトに嫌がらせをするような行動に出てしまうのは、やはり幼さの現れなんだろうと思います。だから、ガンダムを持って脱走した先のことは考えていないんでしょうね。どこかで呼び戻される、連れ戻しに来てくれると期待している。ブライトとは意地の張り合いみたいになってしまうけれど、結局、アムロは自分の価値を認めてほしかっただけなんだろうと思います。親子喧嘩みたいな関係性になっているけど、そういった未熟さがアムロのキャラクター性なのだろうということは第1話から把握していたので、演技上での難しさはほとんどありませんでした。

――ランバ・ラルとの出会いで、アムロには大きな変化が訪れます。
古谷 酒場みたいなところでの出会いから戦闘を経て、アムロにあったそれまでの幼さが払拭されていくシーンですね。シャアとは違ってお互いに生身で会っているから、その存在感のリアリティはアムロにとってはより大きいと思います。酒場での出会いのシーンはすごい緊張感で、アムロはマントの下に拳銃を隠しているんですよね。いざとなったらやる気でいるアムロと、敵であると知りながら見逃すランバ・ラルの人間ドラマは、当時のロボットアニメではあまり見られない演出だと思います。シャアにしろランバ・ラルにしろ、アムロにとってはどこか「上から目線」のキャラクターで、そこがまたアムロにとっては悔しいんでしょうね。自分の能力が劣っているのを指摘されているような、思春期の少年ならではの大人に対する劣等感とかジレンマみたいなものがあったから「僕は、あの人に勝ちたい」という言葉につながったのかもしれません。

アムロにとってのシャアという存在

――重要なシーンではリハーサルを何度も行うのでしょうか?
古谷 リハーサルはもちろんやりますが、それを何度も重ねることはないんです。つかんだら本番を録る、本番がダメだったら本番を何度もやり直すことになります。先ほど例に挙げたアムロが独房に入れられるシーンは、それこそ本番を繰り返し収録して、気持ちが冷めてしまったとか、画面とのリンクが合わなくてテイクを重ねることも多かったです。『機動戦士ガンダム』はこだわった演出をしているし、だからこそ視聴者に登場人物の気持ちが伝わって素晴らしい作品だと思いますが、それ故に要求されるクオリティも高いので苦労も多かったと思えます。たとえば、敵同士なのに日常シーンで出会ってしまうことがある。その場合は、戦闘シーンのテンションではない普通の芝居をするんだけれど、敵同士であるという緊張感は維持する演技を要求されるわけです。ランバ・ラルにしろ、シャアやララァにしろ、戦士ではないときの個性や人間性も描きたいから、そういう演出になるんでしょうね。

――シャアがアムロにとって明確なライバルであると意識したのはいつでしたか?
古谷 アムロは戦闘のたびにいつも負けているわけですよね。ジャブローで初めて勝ちそうになるわけですが、最終的には逃げられてしまう。当初は圧倒的な存在だった「赤い彗星のシャア」はいつも上から目線で戦場でもやり込められてきたわけですが、アムロも次第にガンダムの操縦が上達して互角に戦えるようになっていく。そして、シャアとの戦いがなければ、ニュータイプとしての覚醒はなかったかもしれないと思うんです。ある意味、アムロの成長を促してくれた存在というか。最初は恐怖の対象だったシャアが、アムロの成長に伴ってリアルな敵となり、倒すべき相手になっていく。でも、シャアが現実感を伴う存在になったのはサイド6での出会いからじゃないかな。それまでは赤いモビルスーツというだけの認識だったのが、シャア・アズナブルというリアルな人間として捉えるようになったことで、アムロの中では倒すべき敵=ライバルになったんだと思います。

古谷徹氏が個人で所有している『機動戦士ガンダム』放送当時のシナリオとアフレコ台本。アフレコ台本には自身で書いたメモ書きがあり、演技をするうえでの気持ちや息継ぎのタイミングなどが記されている。また、収録時に手書きでセリフを修正している箇所も散見される。

――ニュータイプ同士の感応は、どういうイメージで演じたのでしょうか?
古谷 宇宙空間の中でお互いが生身で飛び交うシーン(TVシリーズ第41話)ですね。頭の中に響くみたいなイメージだったと思いますが、これについて富野監督から解説や指示はなかったし、映像を見たまま演じてくれというだけでした。だから簡単に言うと、超能力者というイメージですよ。第六感が異常に発達している人、ある種のテレパシーが使える人だから、頭の中に相手の言葉ではなく想いが響いてくるというものですね。映像では会話シーンとして描かれていますが、実際には声に出して会話しているわけではなく、時間も一瞬の出来事でしかない。ニュータイプ的な描写というと、サイド6の湖畔で白鳥を介して出会うシーン(TVシリーズ第34話)もあります。このときは他愛もない会話をしているけれど、あの時点ですでに探り合いをしていたように思います。アムロにとっては唯一の自分と同類の存在なわけですから、まさに宿命の出会いだったと言えるでしょうね。

映画情報

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島

全国公開中

  • ©創通・サンライズ