想像力を刺激する「彼女」と「猫」
新海の名を世に広く知らしめた作品が『ほしのこえ』であることは論を俟(ま)たないが、彼の映像作家としての個性は、それ以前の段階でほとんど確立されていた。そのことは、第12回DoGA CGアニメコンテストでグランプリを受賞した本作を見れば一目瞭然だ。
新海がまだゲーム会社に所属していた1999年の初夏から初冬にかけて個人制作された本作は、『ほしのこえ』同様、音楽と声優には他人の手を借りているものの、映像面においては独力で作り上げられている。印象的なモノローグ、フォトリアリスティックで叙情的な風景描写、そして「孤独」や「コミュニケーション」に焦点を当てた繊細な心理描写……のちの新海の作品を特徴づける要素の数々を、5分にも満たない尺の中にはっきりと見つけられる。
作品の内容は、都会でひとり暮らしをしているある女性に拾われた猫の視点から、彼女の生活を点描するというもの。この「猫が人間を見守る」というモチーフは、短編『だれかのまなざし』にも見受けられるものだが、さて、猫の一人称といえば想起されるのは文豪・夏目漱石の『吾輩は猫である』だろう。『言の葉の庭』には、本作の「彼女」と同じく都会の生活で傷ついたヒロインであるユキノが、漱石の『行人』を読むシーンが登場する。もしかしたら漱石の作品は、女性の孤独な心に新海が寄り添おうとするとき、脳裏に浮かぶ原風景的なイメージのひとつなのかもしれない。
なお、本作は見る側に想像の余地が広く残されており、多くのクリエイターの創作意欲を強く刺激するようだ。小説、マンガ、そして新海以外の監督によるTVアニメーションなど、本作を源とする魅力的な作品が、現在も多々生み出され続けている。
新海誠監督のコメント
『彼女と彼女の猫』を作った20代後半は、いろいろなことに行き詰まっていた時期で。30歳を手前にして「このままゲーム会社にいてもいいのか」という気持ちもありましたし、プライベートでのいろいろな課題みたいなものもあった。自分の作品を作らなければ、いてもたってもいられないような、突き動かされるような気持ちがあったんです。ゲーム会社で技術を学んできた中で、映像らしきものは作れるんじゃないか、とにかくひとつ作るんだ、と。そういう意味で『彼女と彼女の猫』は、初期衝動そのもののような作品。あと、このあともずっと『彼女と彼女の猫』で扱った主題を繰り返し奏で直している感覚があって、特に『言の葉の庭』はこの作品を語り直したような作品になっているんじゃないか、と思いますね。
- ※新海誠監督のコメントを含めて、雑誌Febri Vol.37(2016年9月発売)に掲載された記事の掲載です。