技術的なことだけでなく、アニメに関わるときの「姿勢」を教えてもらった
――3本目は、第1回でも話題に上がった、野村さんがスタッフとして参加している『電脳コイル』です。あらためて、この作品を選んだ理由は?
野村 理由としては、先ほどもお話しした通り、『攻殻機動隊』のムック本で見て「超うまい!」と思っていた磯光雄さんと仕事ができた……まあ、正確にいえば「運よく現場に入り込めた」みたいな感じですけど(笑)、そういう意味で選びました。当時の僕はSTUDIO 4℃でアニメーターとして仕事はしていましたけど、演出家としてはほぼ経験がない状態だったんです。『魔法少女隊アルス THE ADVENTURE』というOVAで1~2本、絵コンテと演出を担当したくらい。磯さんにもその絵コンテを見てもらいました。で、多少、「ここはもっとこうしたほうがいいんじゃない?」みたいな指摘はあったものの、これならやれそうだということで呼んでもらえたんですよね。
――キャリアのターニングポイント的な作品なわけですね。それ以前に磯さんと面識はあったんですか?
野村 いえ、そのときが初対面でした。僕は27歳くらいで、当時、まわりには磯さんのことを知っているアニメーターの方が多くて、STUDIO 4℃を抜けて『電脳コイル』に参加すると話すと、「磯さんとやるの!? 大変なところに行くね」みたいなことをよくいわれたんです(笑)。でも、実際に会ってみたら、すごく話しやすかったんですよ。今でもおぼえているんですけど、いきなりふたりで飯を食ったんです。「『すき家』でおごってあげるよ」みたいなことをいわれて。その感触で、そんなに相性悪くないなって感じました。たぶん、磯さんもそう思ってくれたんじゃないかな。
――素敵な光景ですね。
野村 STUDIO 4℃にいた頃って、同世代の人間がまわりにあまりいなかったんです。同期で入ったふたりくらい。それが『電脳コイル』の現場を経たことで、板津匡覧(いたづよしみ)さんとか押山清高くん、久保田誓(くぼたちかし)くん、牧原亮太郎くん、秦綾子(はたあやこ)さんといった同世代の友達が一気に増えたんです。『電脳コイル』の作業部屋ってすごく狭い部屋だったんですけれども、そこで徹夜とかしながら、みんなで作っている感じがあって。とても特別な時間を過ごせました。
――『電脳コイル』の現場で、学生時代とはまた違う、第二の「青春」みたいなものを過ごした?
野村 本当にそんな感じです。第二どころか、僕としては『電脳コイル』部屋でようやく自分に「青春」が来た、くらいの感覚でした。だから、いまだに関係の続いている人が本当に多いんですよ。
――いい話です。
野村 最初の頃は自分の担当した話数の絵コンテ・演出をメインにやって、あとはお手伝いみたいな感じだったのですが、人手が足りないこともあって、上がってきた各話の絵コンテを磯さんの指示に合わせて修正していく作業を僕がやるようになったんです。シリーズ後半の絵コンテは、ほぼほぼ……はさすがに言いすぎかもしれませんが、自分が手を加えているものがすごく多いです。それこそ磯さんとふたりで徹夜で、ああでもない、こうでもないと話し合いながら、絵コンテを修正していたのをおぼえています。とにかく制作の後半は、磯さんと一緒にいることが多かったんですよね。
――監督助手のような。
野村 『電脳コイル』を作っていくなかで、磯さんにはいろいろなことを見せてもらいました。なかでも、モノを作ることはやっぱり水もので、制作する過程でキャラクターにも作り手にもあれこれと変化があって、それが実際に作品に落とし込まれていくのを目の前で見ることができたのが、自分のなかではすごく大きかったです。本当に苦労したし、いろいろな思い出があるし、たくさんの経験をさせてもらったんですけど、とくに印象に強く残っているのはそこですね。
――ご自分が監督するときにも意識していますか?
野村 ええ。自分が演出や監督をするときにも、たしかにシナリオや原作ではこうなっている、その内容に基づいて絵コンテも作っていくけれども、いや待てよ? ここはこうしたほうがもっと面白くなるんじゃないか? こうしたほうが伝えたかったことがより伝わるんじゃないのか? そういうことを常に考えて、作品と最後まで向き合う姿勢が、磯さんとのやりとりのなかで身につきました。僕はまだ全然ド新人で、何の力も本当になかったんですけど、でも、関われて本当によかったなぁ……といまだに感じているタイトルです。
――そんなところも「青春」の雰囲気があります。
野村 精一杯やったんですけれども、終わって打ち上げがあるじゃないですか。そのとき、最後まで磯さんと一緒にいたんですけど……新宿で朝になって、磯さんとは別方向に帰るので、ひとり新宿の駅に向かって歩いて行く磯さんの背中を見送っていたとき、とても申しわけない気持ちになってきちゃったんですよ。
――申しわけない?
野村 もっと自分に実力があれば、もっと磯さんのやりたい形にできたはずだったんだろうな、って。自分の実力が足りなかったから、結局、磯さんが折れてくれたところがいっぱいあったのかもな……って、ふと感じたんです。タイトルはやっぱり監督のものだから、なるべく監督がやりたい形になるようにしてあげるべきなんだなって、あらためて意識したんですよね。作品が終わってから、強烈に気が引き締まった。技術的なことはもちろんなんですけど、それよりも気持ちの問題、アニメに関わるときの姿勢を教えてもらったというか、そこについて考えさせられることが多かったのが、『電脳コイル』でしたね。
KATARIBE Profile
野村和也
アニメ監督/演出家
のむらかずや 1978年生まれ、長野県出身。アニメ監督、演出家。STUDIO 4℃を経てフリー。『戦国BASARA 弐』で監督デビュー。主な監督作品に『ROBOTICS;NOTES』『攻殻機動隊 新劇場版』『ジョーカー・ゲーム』『風が強く吹いている』『憂国のモリアーティ』など。