第1話でここまで世界観を描ききった作品はない
※第1回の該当箇所からの続きでお読みください。
吉田 ……たとえば、第1話冒頭のザクの侵入シークエンスは、今見てもすごくよくできていて、何度も見返しては、映像を分解して「何がこんなに面白いんだろう?」と考え続けています。まず、永井一郎さんのナレーションで世界観が語られますね。「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、すでに半世紀が過ぎていた……」と。それに重なるように円筒形のコロニーが描かれ、そのなかを映しながら「人々はそこで子を生み、育て、そして……死んでいった」というフレーズがあり、それでビームがバーッと外壁をブチ破る。そして「宇宙世紀0079」だとか、ジオンが独立戦争を起こしたことが語られたあとに、コロニー落としが描かれ、人類が多数死んでしまったこと、終末感のようなものが表現される。これって、じつは「それだけ」なんですよ。じつはとても簡易な説明で、ポンと事実を投げかけているだけ。でも、見ている僕らは、子供であっても、それでわかるんですよ。
――何がでしょうか?
吉田 「そこに人が生活している」ことがわかる。コロニーという場所がこの作品の世界にはあり、そこでは子を産み、育て、死ぬ……つまり、そこで一生が終わる人がいるんだと、なんとなくであっても、感じるんですよ。で、「ガンダム大地に立つ!!」とタイトルが出て、ザクが登場する。それを表現するのが「シュコーシュコー」という呼吸のような音なんですよ。これがね、『ガンダム』の「新しさ」のひとつです。というのも、今見る人はあれがザクという、ロボットだと思って見るのでしょうけど、当時の自分たち子供にとっては、あれが人間かロボットかわからないんですよ。宇宙服にも見えるんです。銃を持った宇宙服姿の人間が、シュノーケリングのような音をさせながら、宇宙空間をやってくるように見えた。安彦良和さんの描くモビルスーツは、かなり人っぽいしぐさをしますしね。存在感が人間っぽい。
――やわらかく動きますよね。
吉田 そんなザクが、ハッチのダイヤルを回して開けるじゃないですか。そのときにね、回しているのとは違う機体が、銃をハッチの方向に構えて備えているんですよ。そうしたひとつひとつの行動が、どこか忍者っぽかったりもしてね。「わ、これは潜入作戦なんだ」と、見ていくうちにだんだんわかってくる。で、ハッチのなかに入ると、アームみたいなものがザクの肩にカコーンと当たって、外れて、ヒューっと飛んで行って、奥の扉に当たって跳ね返る。この描写で、ハッチのなかは無重力なことがわかる。さらにザクが先に進んで、シャッターを半開きにする。そのシャッターごしにのぞくモノアイが、あの目がまた気持ち悪いんですよ! そこで初めて、ザクがひとつ目なことを強く意識する。ひとつ目の宇宙人なのか、と。で、横を向くときに頭を動かさず、モノアイだけが動くのが、また気持ち悪い。
――たしかに、このときのザクは不気味ですね。
吉田 それでコロニーの内側に、ハッチから崖を降りるようにして侵入していく。でも、カットが切り替わると、降下するザクのうしろで地面がせり上がっていくわけですよ。この絵が僕にとっては衝撃で。さっきまで宇宙にいたザクが、円筒の構造物の中に入ると、そこには世界が広がっていて、無重力の世界から重力のある状態へと切り替わる。しかもここまでの描写をつなげて考えると、ハッチがある中心部には重力がなくて、外側に向けて放射状に重力が発生しているわけだから、これは遠心力なんだとわかるわけです。言葉がいっさいなくても、絵だけで伝わる。
『ガンダム』は
未来を描いています
なんだけど
……そこに現実があることを
それとなく示唆しているんです
――見せ方が細やかですよね。
吉田 で、ここまで描いても、まだザクのスケール感は見せていない。ザクが降り立った瞬間に、効果音の重さと、土が重たく跳ね上がるのと、衝撃をおさえるためにバーニアを吹かす描写が積み重なって、重たいものだとはわかる。で、針葉樹林から鳥が飛び立つカットが挟まり、木の向こうからザクが現れることで、ようやくデカい、巨人だとわかる。
――無駄なところが一切ない。
吉田 そう! で、次にザクの胸元のハッチを針葉樹林ナメで映して、手が上がってきて、その上にようやく人が出てくる。ここで初めて「人が出てきたということは、今まで映っていたのは、ロボットだったのか!」とわかる。さらに、その人間が、双眼鏡を構える。双眼鏡って、当時の子供にとってはリアルなものなんですよ。それを通して、どういう絵が見えるのかをよく知っている。その双眼鏡の目線として、アップになった橋と川という、最初に説明した世界観の延長にある絵をまた見せる。「通勤時間のはずですが、車が1台だけです」みたいな、生活を感じるセリフをオーバーラップさせながらね。住宅街の上を高速で視線が流れるのも、双眼鏡に触れることの多い当時の子供からすると、リアルな描写で。で、その住宅街にしても、手前にせり上がっている。ここでまたコロニー内部の絵を見せているわけですよ。
――繰り返すことで世界観を印象づけているわけですね。
吉田 そうしてザクでやってきた侵入者の目線が、初めて人を捉える。「いました、子供のようです!」と。その子供がフラウ・ボゥで、その次のカットは、アムロの部屋に入っていくフラウを室内からのカメラが捉えている。つまりですね、「ザクがコロニーに潜入する」ということを描きながら、その過程を通じて、いわゆるのぞき見のように、世界を説明している。僕らはザクの目線を通じて『ガンダム』の世界に入っているんです。それがフラウ・ボゥに切り替わった瞬間から、主人公たちの話になっていく。この流れが一連なんですよ。途切れない。だから子供心にも、すんなりと入っていける。
――なるほど。
吉田 さらに重要なのは、『ガンダム』の放送当時は、SFがすごく流行っていた時期なんですよね。その頃、僕たちは「SFは未来を描いている」と頭のどこかで思っていた。『2001年宇宙の旅』を想像していただくと、当時のSFがどういうイメージなのかがわかると思います。当然、『ガンダム』でも未来を描いています。なんだけど……『ガンダム』はそこに現実があることを、それとなく示唆しているんですよね。「未来も自分たちが今いる世界とそう変わらない世界だよ」と。それは「未来がただ希望にあふれているものではない」というのに近いんですけど。もちろん、ことさらに「じつは世界は平和じゃないんだ!」みたいなことが、『ガンダム』のなかで言われるわけではありませんが、自分たちの暮らす、冷戦状態でアメリカとソ連がいつ戦争するかもわからない状態の世界と地続きな未来を、初めて見たような気がしたんです。
――なるほど……。
吉田 さらに、出てくるロボットがまた「不自由」なわけですよ。
――不自由?
吉田 『ガンダム』以前のアニメに出てくるロボットを「自由」と考えたときの、「不自由」です。スペースコロニーという舞台もそうなんですが、何をやるにも制限がつきまとう。ビームライフルのエネルギーがすぐに尽きたり、照準を合わせないとあたらなかったり、当たっても一撃必殺ではなかったり、とにかく『ガンダム』では、ロボットが「不自由」な世界をどんどん描いていくんですよ。
――うっかり強い武器を使うとコロニーに穴が開いて大変なことになるとか、敵を倒しても核融合炉を壊すと問題があるとか。
吉田 そうそう。しかもそれ、全部が第1話に入っている(笑)。富野監督ご自身も、あれ以降、第1話であそこまで世界観を描ききった作品はないと思います。
KATARIBE Profile
吉田健一
アニメーター
よしだけんいち 1969年生まれ。熊本県出身。スタジオジブリを経てフリーに。主な作品に『OVERMANキングゲイナー』『交響詩篇エウレカセブン』『ガンダム Gのレコンギスタ』。『地球外少年少女』ではキャラクターデザインを担当。〈Twitter〉