TOPICS 2022.08.09 │ 12:10

アムロ・レイの演じかた
~古谷徹の演技・人物論~ 第4回(中編)

第4回 『機動戦士Ζガンダム』のアムロ・レイ

かつての英雄アムロ・レイは、戦いに疲れた脇役として『機動戦士Ζガンダム』に登場した。卑屈になったアムロを演じることに乗り気になれなかったという古谷徹は、そんなアムロという人物をどう捉え、演じたのだろうか。また、ベルトーチカ・イルマというアムロの恋人についての個人的な想いも語ってもらった。

取材・文/富田英樹 撮影/高橋定敬 ヘアメイク/氏川千尋 スタイリスト/安部賢輝 協力/青二プロダクション、バンダイナムコフィルムワークス

カンフー映画の吹き替えとアムロ・レイの抑えた演技

――クワトロ・バジーナ(シャア・アズナブル)役の池田秀一さんとの共演は久しぶりとなるわけですが、80年代といえばカンフー映画が大ブームになった時代でもありました。古谷さんはユン・ピョウ、池田さんはリー・リンチェイ(現ジェット・リー)の吹き替えを担当していましたが、そのような外画の吹き替えは演じる上で影響はあったのでしょうか?
古谷 とくになかったですね。当時、ジャッキー・チェンとかサモ・ハン・キンポーといったスターが活躍されていて、僕も吹き替えをやりました。ただ、それがアニメの演技に影響するかというとこれは全然違うんです。というのも、実写の場合はすでに役者さんが映像の中で演技をされているわけです。自分で考えて芝居をするというよりも、その役者さんの演技をトレースするように演じるというか、外国語の芝居を日本語でコピーすることが求められる。だから、そういう意味での自由度はアニメとはまったく違います。役者さんの息遣いに合わせてしゃべるというのがもっとも重要だから、そこが難しい点ですね。カンフー映画だと殴られたり蹴られたりするじゃないですか。しかも当時の吹き替えは今の映画や海外ドラマと違って翻訳の台本もそこまで細かく書かれていないから、息遣いや呼吸のタイミングは自分で聞き取って判断した上で、台本に書き込んだりして把握しておかないと役者さんの芝居を再現できなかった。今は逆に、台本にはものすごく丁寧に書かれていますよ。ここで鼻息を吐くとか、リップノイズ入るとか、アニメとはまったく違います。それとキャスティングされる段階で地声が近い人が選ばれるとか、あるいは骨格が似ている人を選ぶというようなこともあって、そういう点でもアニメとは選考基準が違いますよね。まあ、水島裕くんの声はサモ・ハンには全然似ていないけど(笑)。

――アムロの抑え気味な演技は、吹き替えの芝居を意識しているのかなと感じたのですが。
古谷 それは吹き替えを意識したというよりは、アムロの年齢を意識したというのが正しいかもしれない。少年ではなくなったアムロを演じるときに、抑揚を抑えた芝居にするのは大人っぽさを出したかったからだし、感情の起伏も自分でコントロールできるようになっているという意味で演技も抑え気味にしたと思います。

ベルトーチカへの思いと『Ζガンダム』でやり残したこと

――この当時のアムロを演じる上で、印象に残っていることはありますか?
古谷 ベルトーチカが嫌いだった(笑)。あのズカズカと人の心に入ってくる女子はどうも苦手なんですよね。作品中でのアムロはベルトーチカの強引さに惹かれることになるんだけれど、僕はどうしても好きになれなかったんです。これは僕自身の女性の好みの問題でもあるんだけれど、チェーン・アギのほうがキャラクターとしては好きなんですよね。だからベルトーチカを演じた川村万梨阿さんには本当に悪いことをしたと思っていて、彼女自身は全然あんな性格ではないのにどこか役柄を被せて見ていたところがあったのかもしれない。当時の彼女はまだ新人で演技についても未熟なところがあったから、どうしても劇中のアムロと同じような気持ちには入り込めなかったんです。だから『機動戦士Ζガンダム』という作品にはやり残したことがあるというか、僕の中でも不完全燃焼だったのです。『機動戦士ガンダム』の劇場版のときは、TVシリーズでやり切ったと思っていたから当初は否定的だったという話をしましたが、『機動戦士Ζガンダム』は逆で、新訳劇場版が始まると聞いたときには「今度こそちゃんとやり切ろう、好きになろう!」という思いがありました。だからむしろ劇場版は大歓迎でした(笑)。三部作の最初となる『機動戦士Ζガンダム A New Translation -星を継ぐ者-』(2005年)の打ち入りパーティーがあったときに、川村万梨阿さんに「今回は本当に好きになるから、ハグさせて」って頼んだんです(笑)。酔っぱらった勢いもあってのことなんですけど、作品中ではそういう関係のふたりなんだからせめてハグくらいできる間柄であるべきだと思ったし、でもそれのおかげか、悔いのない芝居ができたと思います。もうひとつあるのが、TVシリーズ当時の32歳という自分と、劇場版までの間に年を重ねた自分自身にも大きな変化が起きていたのだろうと思います。アムロの心情を理解できたし、命がけで戦う男には支えになる女性が必要だとも思った。ベルトーチカは劇場版でもズカズカと他人の心に入り込んでくるけれど(笑)、でもそういう彼女の中にアムロは癒しとか守るべきものを見つけたんじゃないかなと感じます。