TOPICS 2022.09.22 │ 12:00

『すずめの戸締まり』を見る前に新海誠の世界を振り返る②
『ほしのこえ』

2022年11月11日(金)に公開の新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』。その公開に先立ち、2016年の『君の名は。』の公開にあわせて雑誌Febri Vol.37に掲載した特集記事「新海誠の世界」を再掲載。『彼女と彼女の猫』『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』など、『君の名は。』以前に制作した新海誠のオリジナルアニメーション作品について、本人のコメントを交えながら年代順に振り返る。

リード文/編集部 文/前島 賢

※本記事には物語の核心に触れる部分がございますので、ご注意ください。

リアルロボットアニメの皮を被ったプライベートフィルム

アニメーション監督・新海誠の名を一躍有名にした『ほしのこえ The voices of a distant star』を評者が初めて見たのは、02年のBOX東中野という映画館でのことで、評者の十代最後の夏のことだった。7月7日に行われたことで「決戦・天の川」と題されたこのイベントは、評論家・マンガ原作者の大塚英志がプロデュースしたもの(だったと思う、多分)で、サスペンスコミック『多重人格探偵サイコ』の実写映画版『MPD-PSYCHO/FAKE Movie Remix Edition』とセンチメンタルの極地とも言える新海誠の『ほしのこえ』が同時上映という、食い合わせの悪さにもほどがあるものだったが、上映後のトークショーには新海誠と大塚英志に加え『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でデビューしたばかりの佐藤友哉がいて、途中から批評家の東浩紀まで乱入。トークの内容は今となってはすべて忘れたが、何か新しいムーブメントがここから生まれようとしている、という妙な熱気を感じたことだけは覚えている。

新海誠の『ほしのこえ』は、これまで集団作業が当然の前提とされていたアニメという表現の中に突如現れた「個人制作作品」ということで、「アニメのこれからを変える作品」「これからは同様の個人制作アニメが次々現れる」といった数多くの「未来予想」を生んだ。実際にはそのような未来は訪れず、個人の動画制作は、例えばニコニコ動画におけるMMD杯など、別の形で結実する。しかし、一体当時の人々は、あるいは評者は、『ほしのこえ』のどこがそんなに新しいと思ったのか、なぜここから何かが始まると人に思わせたのか。それが与えた衝撃は、単に「個人制作のアニメ」という点だけではないはずだ。

『ほしのこえ』の特徴は、何より「作り手が興味のある部分」と「ない部分」の恐ろしいほどの割り切り方だ。本作は一応、ロボットアニメ、それも『機動戦士ガンダム』の系譜にある「リアル系」に分類される作品だ。しかし、リアル系のリアル系たる所以である「レーダーを無効化する粒子の発見により、有視界戦闘を行う必要が生まれ人型機動兵器が生まれた」式の世界設定は、本作においてほとんど語られない。作中に登場する機動兵器トレーサーはなぜ人型なのか、なぜ中学生の女の子が徴兵されたのか、そもそもこの宇宙艦隊は何を目的に旅をしているのか……それらは、映像を見る限りほとんどわからない。これは『新世紀エヴァンゲリオン』などに見られた断片的な情報のみを与えて視聴者に想像させるといった手法とも違う。そこには「そんなことはどうでもいい。どうでもいいから描かない」という強い割り切りを感じる。

そうした世界観の説明やら何やらを潔く切り捨てた上で何が描かれるかと言えば、遠い宇宙へと旅立ってしまった女の子への追憶を振り切って、大人になろうと決意した青年のモノローグであり、あるいは少女と青年の想いが時と距離を超えて交差するダイアローグであり、そうして新海誠の独創的なセンスによって信じられないほど美しく描かれる「夜中のコンビニの安心する感じ」であり、「黒板消しの匂い」であり「夜中のトラックの遠い音」であり「夕立のアスファルトの匂い」であり、「ここにいるよ」である。

「ロボットもののお約束」「SFとしての要件」などという基準はこの作品には存在しない。「引き裂かれる恋人の切なさ」と「何でもない日常の風景の尊さ」を描くためだけにすべての要素は存在しており、それに必要のないすべては驚くほど潔く切り捨てられている。それこそが本作の魅力で、本質だ。おそらく通常の方法で本作が制作され、例えばメカニックデザイナーや設定考証といったスタッフが加わっていたら、ここまでの割り切りは生まれなかったのではないかと思う。個人制作というより「個人的」であること、アニメにおいてここまでプライベートなものを撮ったということが『ほしのこえ』の新しさであり、魅力だったのだと思う。

82年生まれの評者は、1997年の『エヴァ』完結編、『THE END OF EVANGELION』を14歳のときに劇場で見た直撃世代である。「ロボットアニメだったはずが、いつのまにか庵野秀明監督の私小説になっていたアニメ」でオタクになった人間が、新海誠の『ほしのこえ』という「ロボットアニメの皮を被ったプライベートフィルム」に惹かれたのは、今から思えば当然のことだったような気がする。

……なんだか作品解説というより自分語りになってしまい申し訳ない。だが、新海誠という監督は、そしてとりわけ『ほしのこえ』という作品は、そんな「オレにとっての」という自分語りを強く誘発する作品であり、それこそが魅力なのだと思う。お許しいただきたい。

ところで最後にひとつだけ。よくわからない文章を読んで『ほしのこえ』を見てみようと思った方がいたら、注意していただきたいことがある。本作には新海誠自身が主人公ノボルの声を吹き替えた「オリジナル版」とプロ声優が吹き替えを行った「声優版」のふたつのバージョンがある。後者を否定するつもりはないのだが、できれば最初はぜひともオリジナル版で見てほしい。新海誠と篠原美香が演じるノボルとミカコの、つたなく、舌足らずで、けれどもどうしようもなく切実な語り口は、本作になくてはならないものである。endmark

新海誠監督のコメント

『彼女と彼女の猫』は初期衝動そのものだという話をしましたが、その衝動を強く引きずった状態で作ったのが『ほしのこえ』です。1本作ってみて、もう少しこの先がある、と。そういう気持ちが強くあった。しかも今、振り返ってみると、どこか自分じゃない人が作ったような感覚もあって。個人制作で、CGと手描きをミックスさせた手法で、しかもテーマが携帯メール。そういう作品ですけど、僕が作らなければ、誰か他の人が作ったんじゃないか。時代性みたいなものを色濃く反映してもいるし、ちょうど時代のあるべき穴にスポッと入ったような、そんな作品だったと思います。あと観客の声に直面したのも、これが最初でしたね。作品を世に出すと、作品否定と人格否定みたいなものが同時に行われるわけですけど、何を言われても反論できないし、感じたことは作品で返していくしかない。そのことを学んだのも、この『ほしのこえ』でした。

※新海誠監督のコメントを含めて、雑誌Febri Vol.37(2016年9月発売)に掲載された記事の掲載です。
作品情報

映画『すずめの戸締まり』
2022年11月11日(金)全国ロードショー

  • ©2022「すずめの戸締まり」製作委員会