TOPICS 2023.05.29 │ 12:01

アムロ・レイの演じかた
~古谷徹の演技・人物論~ 第11回(中編)

第11回 古谷徹(アムロ・レイ)×潘めぐみ(セイラ・マス)

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN(以下、THE ORIGIN)』以降、セイラ・マスを演じる潘めぐみさんとの対談の第2回は、セイラ・マスというキャラクター像について。潘めぐみさんが考えるセイラという人物像と、アムロ・レイとの関係性について語ってもらった。

取材・文/富田英樹 撮影/高橋定敬 ヘアメイク/氏川千尋 スタイリスト/安部賢輝 協力/青二プロダクション、バンダイナムコフィルムワークス

アルテイシアとセイラ――名前で人物像は大きく変わる

古谷 『THE ORIGIN』のとき、安彦さんから演技指導はありましたか?
 オーディションを受けたときは指示やディレクションはほとんどなくて、幼少期のアルテイシアはそのまま演じたという感じでした。その後、成長してセイラになってからはディレクションをいただくようになりました。たとえば、銃を手にするシーンは、セイラ・マスが誕生するきっかけになった重要な場面でしたから、それまでの少女性からは脱却して戦場に立つ強い女性像を意識して出していこう、というご提案をいただきました。

――音響監督からはセイラらしさについての指示はありましたか?
 その点では逆に、セイラっぽさについてあえて言わないでくださっていたんじゃないかなという印象がありました。まずは自分なりに自由に演じてみて、それから何かあればディレクションをしていただくようなかたちでやらせていただきました。やはりセイラは印象の強いキャラクターですから、気を使っていただいたのかもしれません。

『機動戦士ガンダム』からは少し離れてしまうのですが、私自身のデビュー作は『HUNTER×HUNTER』(2011年)なんです。自分が子供の頃にアニメ化されていた作品で、ゴン=フリークス役には先代がいた。そこから何代目、何人目という役をやらせていただくことが多くて、前任者から引き継ぐということを大きく捉えていると言いますか、模倣や真似ということではないと考えているんです。むしろキャラクターに寄り添えたらいいなと。井上さんのセイラを大切にしたい気持ちはもちろんありますが、とはいえ同じ人にはなれないので、選んでいただいたからには自分が生まれ持ったものに役を引き込みながらも大きく外れないようにする、という感覚なんです。

©創通・サンライズ

古谷 たしかに、井上瑤さんとめぐみちゃんでは声質自体は違うんだよね。瑤ちゃんはシャープというかキリッとした印象が語尾などに自然に出るんだけど、めぐみちゃんはもう少しソフトだよね。そうした違いはあるんだけど、セイラというキャラクターをしっかりとつかまえているからこそ違和感を感じさせないんじゃないかと思う。
 セイラは自分の出自を隠していることもあって、裏表のあるキャラクターですよね。ヴェールに包まれているような印象もあるし。
古谷 たしか女医さんになるんだよね?
 医師にはまだなっていないのですが、彼女は親しい人や家族の死に立ち会えていないところがあって、そうした経験はセイラが医師を目指したきっかけのひとつになったのかなと思います。こうした細かい点からもセイラ像を引き寄せられればと考えていたところはありますし、それでもやっぱりお兄さまに「アルテイシア」と呼ばれると気持ちが昔に戻ってしまう。自分をアルテイシアと呼んでくれる数少ない人でもありますし、逆にシャアから「セイラ」とは一度も呼ばれたことがないんですね。だから名前というのはすごく大きな意味を持つと感じますし、セイラとアルテイシアではキャラクターも大きく変化してしまうんです。

時代や作品によって声優に求められる演技も変わっていく

――40年以上前の作品である『機動戦士ガンダム』と、最近の作品となる『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』や『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』では、その演技論というか要求される演技の方向性について違いはあるのでしょうか?
古谷 流行というのとはまた違うのだろうけど、たしかに昔とは違う部分はあります。たとえば昔であれば、善悪をはっきりさせるために多少オーバーな芝居を求められることもありました。それはアニメが「テレビまんが」と呼ばれて子供向けであるとされていた時代だからこその要求だったけど、『機動戦士ガンダム』ではそういうことはなかったんだよね。むしろ『ククルス・ドアンの島』はギャグシーンがわかりやすかったり、アムロも子供っぽさが強調されたりしていてかつての雰囲気があったかもしれない。それは安彦さんに「子供たちにも映画を楽しんでほしい」という思いがあったからなのかもしれないね。
 ヤギの止め絵のシーンとかですよね(笑)。あの作品にはセイラはほとんど登場しないんですけど、子供を肩車していたり、手を引いていたりと優しいところが描かれていたのが印象的でした。

©創通・サンライズ

古谷 『ククルス・ドアンの島』ではめぐみちゃんのセイラをはじめ、いろいろな役で声優さんの引き継ぎがあったけれど、僕の中では誰も違和感がなかった。40年前の雰囲気を今も再現できるんだから、そういう意味ではすごいことだよね。でも、最近のアニメは大人向けの作品が増えたこともあって、そうしたわかりやすさやオーバーな演技はほとんどできなくなっていると思いますよ。日常的な会話やリアルな演技を要求されることが多くて、いわゆるクサい芝居というのはもうできない。だからこそ俳優さんが声優として通用するようになってきている部分があると思います。ジブリ作品では声優をほとんど使わないし、それが作品に合っているという判断なんでしょうけど、我々もそういう要求に対応できるようにならないと生き残れない状況になっているとは言えますね。めぐみちゃんはそういう時代の要求の中間にいる世代になるのかな?
 作品によって要求が異なるというのはもちろんありますね。でも、『プリキュア』(※潘めぐみさんが声をあてたキュアプリンセス)とセイラではまったく違うのは当然としても、それは視聴者が子供だからといって変えているわけではなくて、作品に寄り添っているからこその違いだと思うんです。それは作品の中でのキャラクターの描き方であったり、または共演者の方々から得られる感覚といった部分を含めて寄り添うという意味で。