Febri TALK 2022.08.17 │ 12:00

斎藤敦史 アニメーター

②自分の成長がはっきりと感じられた
『けいおん!』

インタビュー連載の第2回で取り上げるのは、いまだに熱心なファンも多い青春アニメの名作。大学時代にアニメに目覚めたあと、アニメーターとして働き始めた斎藤を待っていた苦悩。そして現場で感じることができた自分の成長について、たっぷりと語ってもらった。

取材・文/宮 昌太朗

自分にとって成長の1ページにある作品

――大学卒業後、京都アニメーションに入るわけですが、なぜアニメーターになろうと思ったのでしょう?
斎藤 どうしてそんな決断ができたのか、自分でもよくわからないんです(笑)。じつはそこにもまた、自分にアニメをすすめてくれた友人が出てくるんですよ。その人が京都アニメーションの八田(英明)社長の講演会に行ったことがあって、そのときの話を大学でしてくれたんですね。で、「あの会社はいい会社だと思う」と。それを真に受けて、京都アニメーションを受けよう、と思ったんです。

――それはまた急展開ですね(笑)。当時の京都アニメーションの採用試験は、どういう感じだったんでしょうか?
斎藤 自分のときはたしか『涼宮ハルヒの憂鬱』が放送された翌年で、すごく応募が多かったみたいです。同期が作画(アニメーター)だけでも10人くらいいたので、わりと採用人数も多かった年だと思います。

――なるほど。
斎藤 内定が出たあと、入社までの間に研修が始まって、まずは線の引き方、それに合格したら単純な線割、その次は歩き、走り、振り向きなど、徐々にステップを踏んで……それが数ヵ月。早い人は3月早々に研修が終わって動画の仕事に進むんですけど、僕はゴールデンウィーク前くらいまで延々とやっていました(笑)。あまり出来のいい新人とは言えなかったと思います。

――あはは。で、2本目の『けいおん!』ですが、これは斎藤さん自身、京都アニメーション時代に仕事で関わった作品ですね。
斎藤 そうですね。僕は動画時代を含めても2年ちょっとしか京都アニメーションには在籍していないんですが、『けいおん!』はスタジオを離れる少し前に参加した作品です。

――世間的にも大きな反響を呼んだ作品ですが、斎藤さんにとってはどこが印象的だったのでしょうか?
斎藤 当時、自分が置かれていた状況も含めてお話ししないといけないんですけど……。とにかく、絵を描いてきた積み重ねが薄い未熟な状態で京都アニメーションに入社したわけで、その後、原画を描き始めるようになっても、やっぱりまわりの先輩たちから「画力が足りない」と指摘を受け続けるわけです。本当に散々な状態で。

――アニメーターとして、最初の壁にぶつかっていたわけですね。
斎藤 最初に参加したTVシリーズの『CLANNAD ~AFTER STORY』がそういう状態で、もう本当にツラい時期を過ごしていたんです。で、そこから『けいおん!』に参加することになるんですが、 結局、第2話(「楽器!」)、第7話(「クリスマス!」)、第13話(番外編「冬の日!」)の3本をやったのかな。それぞれ成長の段階が自覚できるくらい、ステップアップできた作品が『けいおん!』だったんです。

――自分の中で、はっきりとした手ごたえがあった。
斎藤 最初に参加した第2話のときは、カットを提出して翌朝出社すると、全カットリテイクになって戻ってきて机の上に置いてある、みたいな感じでした。しかも、それを直して提出しても、またすべて描き直されて戻ってくる。結果的に、自分が描いたものが何も残っていない、という感じだったんです。ただ、その次の第7話が木上(益治)さんと荒谷(朋恵)さんという、当時の京都アニメーションのトップふたりがレイアウトと第一原画(ラフ原画)を大量に担当していた回で。

今、『けいおん!』を見直すと

当時の絵柄を懐かしむような

気持ちになる

――そうだったんですね!
斎藤 今思うと、新人教育のための回だったのかなと思うんですけど、おふたりの描いたものを、自分や他のアニメーターが第二原画として清書していく。自分は基本的に木上さんの担当カットを清書していたんですけど、ご本人がお仕事されているところを後ろから見ていると、机にかじりついてガリガリやるというよりも、背筋をスッと伸ばして軽くサッと線を引いていく。そんな淀みのない線の引き方とか、木上さんの仕事に向き合う姿勢に、すごく影響を受けたんですよね。本来であれば木上さんが描いたラフの上に、作画監督の堀口(悠紀子)さんが影だけを入れて原画として完成している、みたいなカットもあったんです。だから自分たちが清書する必要があったかというと、よくわからないんですけど、それをわざわざなぞらせるということが、何よりの教育だったのかな、と。

――なるほど。
斎藤 第7話では、自分でレイアウトから担当するカットもいくつかあったんですけど、木上さんや荒谷さんの第二原画を経験したあとだと、描いたものが全然違うんです。たしか半分くらい、自分で描いたものが通ったんじゃないかな。第2話はまったくダメだったけど、第7話ではそれが半分くらいチェックが通るようになって、そこで何かおぼろげながら手ごたえというか、実感みたいなものがつかめたんですよね。

――その2話を経て、第13話でも原画を担当することになった。
斎藤 そうですね。第13話に入る頃には、自分の中で「スタジオを離れよう」と決断していたので、今まで培ってきたことをすべて出そうという意気込みもありました。加えて、第7話で教わったことをうまく反映することができて、第13話では自分が提出したレイアウトはほぼすべて通ったと記憶しています。もちろん、演出的に必要な修正はちょこちょこあったんですけど、いちから描き直し、みたいなことは、たしかなかったはずです。

――はっきりと成長を感じることができた。今でも『けいおん!』を見直すことはありますか?
斎藤 第7話とかはたまに見直しますね。とはいえ、今見ると「こんな感じだったっけな」と思いますけど(笑)。もう10年以上前の作品ですし、それぞれ絵柄やスタイルも変わっていきますよね。

――13年前になりますね。
斎藤 やっぱり、記憶の中にある映像とは違う部分もありますね。作監でお世話になった西屋(太志)さんや堀口さんの絵柄も、作品や時代に合わせてどんどん変わっていきましたし。今、『けいおん!』を見ると、当時の絵柄を懐かしむような気持ちになります。

――あはは。
斎藤 逆に言えば、いまだに進化し続けている堀口さんや、西屋さんの作品に合わせつつ個性も出せるスタイルはすごいな、と自分でデザインの仕事をやり始めて、あらためて思います。そういう部分も含めて、自分にとって『けいおん!』は欠かすことのできない1ページのような印象があるんですよね。endmark

KATARIBE Profile

斎藤敦史

斎藤敦史

アニメーター

さいとうあつし 熊本県出身。アニメーター。京都アニメーションに入社後、Ordetを経て、現在はフリー。最近の参加作に、ロッテ・ガーナのCM「ピンクバレンタイン」『ラブライブ!スーパースター!!』(両作ともキャラクターデザイン、原画)など。

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