TOPICS 2022.10.06 │ 12:00

『すずめの戸締まり』を見る前に新海誠の世界を振り返る④
『秒速5センチメートル』

2022年11月11日(金)に公開の新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』。その公開に先立ち、2016年の『君の名は。』の公開にあわせて雑誌Febri Vol.37に掲載した特集記事「新海誠の世界」を再掲載。『彼女と彼女の猫』『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』など、『君の名は。』以前に制作した新海誠のオリジナルアニメーション作品について、本人のコメントを交えながら年代順に振り返る。

リード文/編集部 文/飯田 一史

※本記事には物語の核心に触れる部分がございますので、ご注意ください。

いつか見た記憶の中の光と、目の前にある喪失

つめたく、つきはなす。それが素の新海誠である。『ほしのこえ』でミカコからの愛のメールはノボルに届くまでにノイズに侵食される。ふたりは「ぼくは/わたしはここにいるよ」と言う。それは互いに届かない。『雲のむこう、約束の場所』の終盤、並行世界の「この世界」への侵食を吸収するため夢を見続けているサユリの目を覚ますべく、その発生源である「塔」にヒロキはミサイルを撃つ。サユリの夢は崩壊、彼女はヒロキを好きだったという記憶まで失う。『星を追う子ども』でも、アスナが惹かれたシュンとは死に別れ、アガルタに生きるシュンの弟シンとも接近するが、別々の世界で生きることになる。アスナの教師モリサキの願いである妻リサの復活は叶えられない。新海にとって、別れは当然のことだ。成長し、次に進むには必要だと思っていた節すらある。その最たる例が『秒速5センチメートル』だ。

3話構成の連作短篇の本作は、いずれも別れを、想いが届かない終わりを描く。新海は『アニメージュ』2011年4月号で、細田守のような同ポジション(同じカメラ位置のカット)を多用した演出はうまいと思うが真似できないと語っているが、『秒速~』1話冒頭や3話終盤に登場するY字路になった坂道は、細田が手がけた『時をかける少女』や『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』第40話「どれみと魔女をやめた魔女」におけるふたつに分かれた道と同じ効果を果たしているし、『君の名は。』では襖の開閉を同ポ多用で演出している。『秒速~』のY字路の見せ方から「別れ」ではなく「再会」を期待するのは無理である。明里と貴樹は冒頭から〝桜が舞い散る〟なか〝下り坂〟を駆け下りていたのだから。けれども少なくない観客は、貴樹と明里の再会によるハッピーエンドを期待した。3話の終わり、主人公の貴樹はかつて想い人だった明里と踏み切りですれ違い、振り返る。だが、電車が通り過ぎると彼女の姿は消えている。これにショックを受けた観客の存在に、新海自身が驚いた。そして「言い訳」として、衝撃が和らぐような内容の小説版を自ら書くことになる(『アニメスタイル004』)。

『秒速~』の反省から『言の葉の庭』の終わりは救いがあるようにした、と新海は言う。だが15歳のタカオと27歳のユキノの恋など、早晩破綻する。田舎に帰ったユキノが三十路前後で「結婚したい」「子どもがほしい」と思うようになれば学生(または靴職人見習い)の生活力のなさに直面する。タカオがユキノの実家に引っ越すにしろ彼女を東京に呼び戻すにしろ、現実的には破綻以外ない。仮に『秒速~』で貴樹と明里が再会していたとして、ふたりはかつてのように心を通い合わすことはできただろうか。僕には疑問だ。傷つきやすい内面を、何年もうじうじとした想いを抱える人間を描きながら、新海は最後の最後では生ぬるい願望を断ち切るリアリストだった。

新海誠は、村上春樹の影響を公言しながらも『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、主人公は自分が作り出した脳内世界に留まらず、外に出るべきだったと語る。『雲のむこう~』でも『秒速~』でも主人公とヒロインは夢の中で再会する。しかし、夢は夢でしかなく、夢は壊れる。現実には受け入れなければいけない喪失が待つ。新海作品では背景/風景に人物が溶け合い、その映像はさらに音と完璧にシンクロする。そんなスタイルで、しかし『秒速~』までは明確に、人間はわかり合えず、ともに居続けることができないことを受け入れ生きていくしかないと描く作家だった。だからこそ、心が通い合っていたと思えた頃の、記憶の中の風景は甘やかなのだ。新海は『アニメーションノート』2006年1月号などで、自作の景色は主観的なもの、記憶の中の光なのだと語っている。

杉井ギサブローはあだち充の『タッチ』をアニメ化するにあたり、この作品は「記憶の中の青春」を描いたものであり、だからこそ美しいとスタッフに説いた。新海とあだちの作品はそうした「記憶の中の風景」に、例えば青空に浮かぶ入道雲に、人物以上に雄弁に語らしめる点で近いものがある。杉井が『アニメージュ』誌上で新海を絶賛したのも頷ける。新海作品では「男女の恋愛関係」と「世界」とは直結しない。空や風は、世界は人間同士の想いを結び付けない。人間は景色に感傷を託すが、自然は愁意と無縁に、ただ存在する。二者間の恋愛感情すら通じ合わないのに、世界と人間が通じるはずもない。世界は人間の思い通りにはならない。救済してもくれない。あの美しい世界は「記憶の中の光」にすぎない。客観的には世界は美しくすらない。モノローグで語られる回想だからこそ(モノローグを封印した『星を追う子ども』も、1970年代の日本という過ぎ去った時代を舞台にする)、主観的に再構成された景色だからこそ、光は人物を包み込むように回り込み、照らし返してくれるのだ。すでに終わっているから、美化しうる。本当はつめたく、つきはなされた世界が眼前にある。それに耐えうる強さを手に入れるまでの物語を、かつて新海は描いていた。『秒速~』は彼の残酷さが端的に表れた作品である。そして彼は、それでは自分が目指す「誰もが楽しめる作品」にはならないことを悟り、『君の名は。』では『秒速~』のラストを反転させ、幸福な終わりを用意する。endmark

新海誠監督のコメント

『雲のむこう~』を思うように作れなかったという気持ちをずっと引きずっていて、もっとコンパクトに、短い作品をちゃんと作ろうと思ったのが『秒速5センチメートル』ですね。自分が扱いきれるテーマで、日常を舞台にしようと。時代的にも、日本社会は凪のような時期にあって、バブルは終わってしまったけれど、この先も一応ゆるゆると、先進国として終わらない日常が続くんじゃないか――それは、今思うととんでもないことだったわけですけど、そんな風に思えた時代だった。コンビニや坂道、電車はこの先もずっと存在していて、その中に一体、どんな価値を見いだせばいいのか、どんな美しさを何でもない風景に見いだせばいいんだろう?と。そんなことを切実に考えて作った作品だったような気がします。この『秒速~』までが、自分の「青年期」だったなと思いますね。

※新海誠監督のコメントを含めて、雑誌Febri Vol.37(2016年9月発売)に掲載された記事の掲載です。
作品情報

映画『すずめの戸締まり』
2022年11月11日(金)全国ロードショー

  • ©2022「すずめの戸締まり」製作委員会