TOPICS 2022.10.20 │ 12:00

『すずめの戸締まり』を見る前に新海誠の世界を振り返る⑥
『言の葉の庭』

2022年11月11日(金)に公開の新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』。その公開に先立ち、2016年の『君の名は。』の公開にあわせて雑誌Febri Vol.37に掲載した特集記事「新海誠の世界」を再掲載。『彼女と彼女の猫』『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』など、『君の名は。』以前に制作した新海誠のオリジナルアニメーション作品について、本人のコメントを交えながら年代順に振り返る。

リード文/編集部 文/前田 久

※本記事には物語の核心に触れる部分がございますので、ご注意ください。

圧倒的な映像美学で描く「恋」=「孤悲」の物語

新海のこれまでのフィルモグラフィーを振り返ってみると、ざっくりとその作品群はSF・ファンタジー的な要素のあるもの(『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』『星を追う子ども』など)とないもの(『彼女と彼女の猫』『秒速5センチメートル』など)に二分される。本作はその「ないもの」の最新作であり、同時に、その路線での現時点での最高傑作と言っていいだろう。

フィクションに触れることの醍醐味にはさまざまなものがあるが、そのひとつに、作品を通じて他者の眼を疑似体験することで、自分自身の感覚が変容する経験ができることが挙げられる。ひとりの優れたクリエイターの強烈な主観によって描き出された世界に触れることで、何げなく接してきた風景が、それまでとはまったく違った形で眼前に立ち上がってくる経験をしたことがある人は少なくないはずだ。本作は、そうした意味でのフィクションとしての魅力を、強く宿している。

緻密に設計された色彩設計と撮影による独特な光の表現で描き出された新宿の庭園は、まるで異界の風景のようだ。雨の表現も実に素晴らしい。それは、私たちが慣れ親しんだあの厄介な雨とは似て非なるものに思える。画面から匂いまで感じられそうな表現だ。

もともと新海の作品は、見る者の感情を強く揺さぶる雄弁な風景描写が特色だが、本作のそれはさらに際立っている。作品世界に触れることで、ありふれた都市の風景の見え方が一変させられてしまう。

こうした、強烈な主観性の発露という意味での新海の映像美学は、本作によってひとつの頂点を極めたと言って過言ではない(なお、取り急ぎ補足しておけば、最新作の『君の名は。』は「あるもの」の路線であり、映像の強度においては、本作とまた少し違う頂を目指しているように筆者の目には見える。よって本作と比較はしない)。

ストーリー面においても、本作において新海はそれまでの作品と異なる新たな側面を見せた。本作を制作するにあたって、新海は自身の公式サイトをはじめとする各所で、〈初めて「恋」の物語を作っている〉と語っていた。ここでいう「恋」とは、私たちの日常的な言葉の用法に則った意味での「恋」ではない。西洋文化からもたらされた概念である「恋愛」とは別の感情を指す言葉である、日本の古典に由来した概念としての「恋」。愛に至る前、他人に対する焦がれるような気持ち、すなわち「恋」=「孤悲」のことである。

実際に出来上がった物語も、その宣言通りのものに仕上がっている。靴職人を目指す高校生の少年と謎めいた年上の女性が雨の庭園で出会い、互いの素性を知らぬままに心を通わせていく。ふたりは確かに出会い、言葉を交わし、その他の行為でも時間を共有する。しかし、本作の描写をつぶさに見ていくと、そうした直接のやり取りは、お互いの抱えている問題―少年の家族や進路に対する複雑な心情や、年上の女性の抱えている深刻なトラウマ―に対して、決定的な何かをもたらしてはいない。むしろ、会えない時間に相手を想うこと、他人のことを考えながら自分の内側に言葉を向け、思索を深めていく作業によって、ふたりは自分の心に欠けていたピースを自然と埋めていく。そんな、非対話的なやり取りが成立しているかのように感じられる。

さて、だがそこまでの流れを、新海の長年のファンはいささか疑問に思ったのではないだろうか。こうした、相手の存在を前提としながら、一方通行な気持ちを積み重ねることで変化していく主体というのは、『ほしのこえ』を筆頭に新海の作品に頻出するモチーフではないか。何が新しいのか、と。

筆者の考えでは、今作が「恋」=「孤悲」の物語として成立していくのは、クライマックスに向けての展開においてだ。年上の女性の素性が明らかになり、そこからとある出来事を経て、ふたりは自分の内側に留めていた感情を互いに向けて炸裂させる。通常の「恋愛」映画であれば、こうして互いの隠れていた気持ちを確認したふたりは晴れて恋人同士になり、ハッピーエンドを迎えるところだろう。だが、この映画においては、あくまでそれは自分たちの気持ちが「孤悲」であった、誤解を恐れずに言えば、自己完結した気持ちであったことを自覚するだけだ。

つまり、これは新海がこれまで自作で描いてきた関係性を自己批判したと捉えることができるのではないだろうか。〈初めて「恋」の物語を作る〉とは、そういう意味だったのではないかと、筆者は考える。今作での主人公とヒロインの関係は、結局「恋愛」には至らない(少なくとも、作品が終了した時点では)。だが、ここで「恋」の物語をやりきったからこそ、次作の『君の名は。』でストレートな「恋愛」をドラマに取り入れることができたのではないか。映像の質感の違いと合わせ、両作はぜひ、対で楽しんでいただきたい。endmark

新海誠監督のコメント

『星を追う子ども』での経験を踏まえて、本当に慎重に作ったのが『言の葉の庭』ですね。規模を小さくして「これならば間違いがない」というところまで質も上げて、という。「好きだ」と言ってくれる人も多いですし、優れたアニメーターさんたちや美術の力、音楽の力もあって、今でも強度がある作品だと思います。『言の葉の庭』は『彼女と彼女の猫』の語り直しだという話はしましたが、2作に共通して出てくる大人の女性というモチーフは、同時に27歳の自分自身でもあるんです。というのも『彼女と~』を作ったときに僕はちょうど27歳で、『言の葉の庭』の雪野先生もまた27歳で、いろいろなことが積み上がって、つまづいている人なんですね。そういう自分の中にある「27歳問題」みたいなものを、もう一度、ちゃんと語りたかったという気持ちがありました。

※新海誠監督のコメントを含めて、雑誌Febri Vol.37(2016年9月発売)に掲載された記事の掲載です。
作品情報

映画『すずめの戸締まり』
2022年11月11日(金)全国ロードショー

  • ©2022「すずめの戸締まり」製作委員会