TOPICS 2023.10.12 │ 12:00

伊達さゆりの「手さぐりの旅」 第11回 歌声が自分を奮い立たせてくれる
緑黄色社会さんの「あのころ見た光」(後編)

緑黄色社会の「あのころ見た光」をテーマにお届けしてきた声優・伊達さゆりのフォト&インタビュー連載の第11回の後編。中編に続いて、楽曲の歌詞に焦点をあてながら、20歳の最後に訪れたという心境の変化について迫った。

取材・文/編集部 撮影/松本祐亮 ヘアメイク/三反理沙子 スタイリング/佐野夏水

子供の頃は「自然にできた水辺」への怖さがあった

――今回の撮影では川辺にも行きましたが、川に関する思い出はありますか?
伊達 海とか川には子供の頃、あまり行かなかったんですよ。海には車を走らせないと行けない、ということもありましたし、水が怖いというか、昔から自然災害に対する恐怖心が強くて。お風呂やプールは大丈夫なんですけど、自然にできた水辺が怖くて、あまり自分から近づいていったことがないんです。でも、今回のように撮影で行くのは大好きで。子供の頃に行かなかったからこそ、新鮮味があるというか、より綺麗に思えるのかもしれないですね。

――以前、水泳をやっていた話を聞いていたので、水辺が怖かったというのは意外でした。
伊達 そうなんです。水に対する恐怖というよりは、自然にできたものに対する怖さがあったんですよね。

――中編でも歌詞について聞きましたが、今度は「嫌いなものでも ある日好きに変わる」というフレーズに関連して、昔は苦手だったけど、今では好き、というものはありますか?
伊達 食べ物だと、ズッキーニがそうでした。私、いろいろなところで言っているんですけど、きゅうりがいちばん好きな野菜なんです。栄養はあまりないってわかっているんですけど(笑)。でも、ズッキーニはきゅうりによく似た見た目なのに、きゅうりじゃない、これは何だ……?って(笑)。名前も甘みが感じられないような、苦そうな名前だなと思っていて。じつはあまり食べたことはなくて、食わず嫌いだったんです。でも、ある日、何かの機会にちゃんと食べることがあって、そうしたらおいしくって。歯ごたえもすごく好みで。なんとなく「苦手かも」と思ってハードルを上げていた反動もあったのか、大好きになりました。でも、やっぱりいちばん好きなのはきゅうりなんですけど(笑)。

「これが好きです!」と言うことに慎重になっている

――食べ物以外で、たとえば、学校で嫌いだった科目が好きになった、というようなことはありますか?
伊達 それでいうと、逆のパターンのほうが多いかもしれないです。好きだったことが、ちょっと苦手になったりとか。真剣に取り組んでいても「もしかしたら自分には向いていないかも」と少しでも思っちゃうと、もともと好きだった分、急にマイナスな感情がドッと押し寄せてきて、そちらが勝ってしまうときがあって。だから「これが好きです!」と言うことに慎重になっているかもしれないですね。

――何度か話してもらっていますが、仕事で歌を歌うプレッシャーとか、そういうことですよね。
伊達 そうですね。でも、「嫌い」とは言いたくないし、本当に嫌いになったことはないです。やっぱり、歌うって楽しいし。

――そのあたりはきっと、どこまでいっても答えの出ない話ですよね。
伊達 「嫌いになっちゃうんじゃないかな」って、もう本当に自分の感情の揺れ動きだし、小さい頃から歌うのが大好きだったし、絶対に今後も変わらないと思うんですけど、好きすぎるがゆえに、ちょっとでも「あれ?」と気持ちが揺らいだときに距離を置きたくなるというか、そう思ってしまうことへの怖さがあります。だから「ちょっと苦手かも」とか「私にできるかな」と思いながら新しく挑戦するほうが、むしろ安心できるかもしれません。「これから好きになるかも」という余裕ができるので。

「もっと楽にしていいんだ」と気づけた瞬間

――伊達さん自身が「あのころ見た光」の中で気に入っているフレーズはありますか?
伊達 最後ですかね。「今まで見逃していたヒント/本当はそこらに散らばっている/やっと今見つけた答えを身にまとって/僕ら明日を生きてく」。「見逃して」「そこらに散らばっている」って、本当にその通りだなって。

――最近、そういうヒントや答えを得た経験があったということでしょうか?
伊達 そうですね。ライブや、それ以外のお仕事でもそうなんですけど、自分は現場で冷静にまわりを見られるタイプじゃないなとわかってきて、それでもまわりを見ようとしてみたけど、やっぱり見られないな、という状態が続いていたんです。でも、何がきっかけだったかはわからないんですけど、ふっと肩の荷が下りたような瞬間があって。そのときに、自分の中でどう手を付けたらいいんだろう、どういうやり方をすればいいんだろう、と考えていたことが、じつは考えることすら必要なかったんじゃないか、という気持ちになって。うまくいくか、いかないかなんて、そもそも考えなくてよかったんだと思えるようになったんです。

――悩んでいたポイント自体に、こだわらなくていいんだと気づいた?
伊達 もっと楽にしていいんだ、というか。決して「無理をしている」と思っていたわけではなかったんですけど、「どうすればもっと楽な気持ちで打ち込めるのかな」と考え続けていた中で、そもそもそんな風に考えること自体が間違いだったんじゃないかって。そう思った瞬間、ふっと気持ちが軽くなって、自分のことやまわりが以前よりも見渡せるようになった気がして。「なんだ、これでよかったんじゃん」というか、初心に戻ったような感覚なんですけど、気づけてよかったと思いました。endmark