TOPICS 2024.05.22 │ 12:00

伊達さゆりの「手さぐりの旅」 第17回
SEKAI NO OWARIさんの「yume」を聞くたびに思い出す、先生の言葉(前編)

声優・伊達さゆりのお気に入りや、心に残っているものを取り上げながら自らを語るフォト&インタビュー連載。第17回は、小学生の頃に意外なきっかけで知ったというSEKAI NO OWARIの「yume」がテーマ。その頃の自分の姿を振り返りながら、恩師とのエピソードを明かしてくれた。

取材・文/編集部 撮影/松本祐亮 ヘアメイク/三反理沙子 スタイリング/佐野夏水

チョークを置く場所ってこんなに下じゃなかったはず……

――今回の撮影は「東京おもちゃ美術館」という場所で実施しました。撮影を終えて、どんな印象を持ちましたか?
伊達 「おもちゃ美術館」という場所で撮影すると聞いて、最初は「なんでおもちゃなんだろう?」と思ったんです。実際に足を踏み入れてみると、子供の夢がすごく詰まっている場所で、それが今回、テーマとして挙げた「yume」という楽曲のイメージともぴったり重なっていて、「そういうことだったんだ」と納得しました。

――ここはもともと小学校だったのですが、伊達さんの小学生の頃の思い出の楽曲ということだったので、その点も踏まえて場所を選びました。伊達さんが通っていた小学校はどんな雰囲気でしたか?
伊達 ちょっと古めの学校で、廊下がすごく暗かったんです。もう本当に「なんでこんなに暗いの?」というくらい全部の階が暗くて、誰かついてきてほしいなと思ってしまうような場所だったんです。当時、『学校の怪談』みたいな、ちょっと怖いアニメとか怪談がすごく流行っていて、私も好きでよく見ていたので「学校は怖いところ」という印象がありましたね。「学校の七不思議」なんかも本当にあると思っていました。

――『トイレの花子さん』とか、いつの時代もありますよね。
伊達 私の頃もありましたね、友達と一緒にトイレのドアをよくノックしていました(笑)。

――その話から考えると、この「おもちゃ美術館」は明るいですよね。もともとは「四谷第四小学校」という学校だったそうですが。
伊達 少なくとも他に第一、第二、第三小学校があったということですよね。でも、都会の真ん中にあるとは思えない雰囲気でした。最初に案内されたお部屋が元教室で、まず目に飛び込んできたのが黒板だったのですが、「こんなに低かったっけ!?」と思いました。高校のときはもっと位置が上だった気がするというか。

――ああ、伊達さんの場合、高校に通っていた頃の記憶もまだ鮮明ですよね。
伊達 小・中・高と上がるにつれて、無意識のうちに黒板の位置も上がっていたんだなと気づきました。「チョークを置く場所ってこんなに下じゃなかったはず……」って(笑)。

――こういう小学校に通いたかったと思いますか?
伊達 小学校に通っていた当時は綺麗な学校に憧れていました。建ったばかりの学校に行ってみたいなと思っていましたが、今考えると、歴史のある学校もいいなと思いますね。もう一度、何日かだけ小学校に戻ってみたくなりました。3日間くらいでいいかな(笑)。

――第2回のインタビューで「小・中・高と進むにつれて高校が楽しくなっていった」と聞いたので、もしかすると小学校にはそんなに思い入れがなかったりするのかな、と思っていました。
伊達 はっきり思い出せる記憶が少ないというか、濃いエピソードがあまりないんだろうなと思います。小学校って、とにかく人が多いじゃないですか。1年生から6年生までがひとつの校舎にいて、いつも上級生のことをなんとなく怖がっていた気がします。低学年の頃よりも4年生、5年生の頃のほうが、先輩が怖い感覚が強かったです。

小学生時代はやんちゃでよく怒られた

――上級生が怖かった、ということは、小学生の頃はおとなしい子だった?
伊達 それがそうでもなくて、すごくやんちゃでした(笑)。いろいろなことをやらかして、怒られたり怪我をしていました。雨の日に教室で走り回って転んで頬にあざを作って早退したり。今よりもずっと思ったことをすぐ口に出す性格だったので、口喧嘩で言い過ぎてしまったり、逆に傷つけられてしまったりすることもあって。小4、小5あたりって自我がいちばん強い時期なんじゃないかなと思うんですよね。

――どんどん言葉をおぼえていく反面、その意味に無頓着な時期ですよね。
伊達 そうですね。楽しいこともたくさんありましたが、「今日は誰に怒られるんだろう……」と、ちょっと怯えながら過ごしていました。

――「おもちゃ美術館」という名前の通り、ここには世界じゅうのおもちゃが並んでいますが、とくに心に残ったものはありますか?
伊達 どれも今のおもちゃ屋さんで売っていなさそうな、手作りに近い印象のものが多かったですね。とくに木で作られているものがたくさんあって、温かみがあってかわいらしかったです。

――開館中の撮影だったので、遊び回っている子供たちをたくさん見かけたのですが、みんなニコニコしていましたね。
伊達 楽しそうでしたね。私もこういうものにもっと触れていたら、小学生の頃あまり怒られずに済んだのかなって(笑)。木にはそういう、人を優しくする力がありそうな気がします。

小学6年の「クラスのテーマ曲」

――第17回はSEKAI NO OWARIの「yume」をテーマに挙げてもらいました。じつは事前に別の楽曲と候補をふたつもらって、編集部の希望でこちらになったという、珍しいケースでした。
伊達 そうなんです。これまでにもマネージャーさんに「どっちのほうがいいと思いますか?」と相談したことはあったのですが、今回は楽曲にまつわる私の思い出がちょっと重いかな……と考えてしまって。

――そのお話はあとで聞くとして、この楽曲に出会う前からSEKAI NO OWARIというアーティストは知っていましたか?
伊達 同じクラスにいた子がファンだったので、セカオワさんのことは知っていたんですけど、「yume」という楽曲を知ったのは小学6年のとき、この楽曲を「クラスのテーマ曲にしよう」と決まったのがきっかけでした。

――「クラスのテーマ曲」を決めるというのが、まず珍しいですよね。
伊達 私も先生が言い出したとき、「テーマ曲って何だろう?」と思ったんですけど(笑)。超ベテランで人気者の先生だったんですよ。以前、イベントで「給食で冷凍みかんが出たとき、先生がそのみかんを食べているのを見て、なぜか泣いちゃった」という思い出を話したことがあるんですけど、その先生なんです。

――ああ、その話は私も聞いた記憶があります(笑)。
伊達 小学校の最後の一年だから、先生としても何か思い出に残ることをやりたいのかなと思って、クラスでいろいろと話し合ったんですよ。そのうちひとりが「SEKAI NO OWARIの『yume』ってどうですか?」と提案したんです。先生はこの楽曲を知らなかったと思うんですけど、流してみたら「いい曲だね」とみんな気に入って、これが「クラスのテーマ曲」になりました。

――伊達さん自身は最初に聞いたとき、どう感じましたか?
伊達 まだセカオワさんを知って間もない頃だったので、なんとなく不思議な世界観を持っていて、聞いたことのない楽器の音がいたるところで鳴っていて……そんなイメージだったんですけど、「yume」は当時の私にとって「セカオワ感」があまりなかったというか。当時も「これ、セカオワさんの曲なんだ」と友達に言った記憶があります。すごくキャッチーで明るい楽曲だったので、それが意外でした。endmark

関連情報

【撮影協力】
東京おもちゃ美術館
住所/東京都新宿区四谷4丁目20 四谷ひろば内
営業時間/10:00~16:00(15:30最終入館)
※入場にはチケットの購入が必要です
休館日/毎週木曜日(木曜が祝日の場合は翌日振替)
Webサイト/https://art-play.or.jp/ttm/
 

■好評発売中!
『伊達さゆりフォト&インタビューブック ~置いてきた傘と地図~』

伊達さゆりさん20歳の誕生日から「Febri」にて好評連載中の「手さぐりの旅」が書籍化!
連載第13回までのロングインタビューを完全収録しつつ、写真はすべて未公開のアウトテイクを⽤いて再構成。
さらに本書だけの撮りおろし&新規インタビューもたっぷりと詰め込み、全224ページの大ボリュームでお届けする完全保存版です!