屋上、それは近くて遠い場所……
――今回、撮影では屋上も利用させてもらったのですが、伊達さんが通っていた学校では屋上には入れましたか?
伊達 それが、私が通っていた学校では入れなかったんですよ。小・中・高と。だからもう毎日のように屋上に上がってみたいなぁと思っていました。映画やドラマで学校が舞台だと、たいてい屋上のシーンが入るじゃないですか。見ていて「でも、私のところは入れないもんなぁ……」って、考えるたびに現実に引き戻されました(笑)。
――フィクションではよく出てくるけど、じつはなかなか入れない場所の代表ですよね、学校の屋上って。もし、屋上に入れたらやってみたかったことはありますか?
伊達 ベタになっちゃいますけど、やっぱりお弁当を食べたかったですね。友達ともよく「屋上って入れないけど、行ってみたいよね」と話していました。でも、きっと開放されていたらみんなが押し寄せるから「私たちは教室にしよっか」となりそうですけど(笑)。
「青春」という言葉に救われる
――高校生の頃に出会って、今でもよく聞いているという「青春の馬」ですけど、自分が歌で誰かを元気づける立場になった現在、楽曲に対する印象に変化はありますか?
伊達 変わるはずだったのかなと思うんですけど、実際は変わっていなくて。自分と楽曲との距離感がずっと同じというか。遠いのか近いのかもわからない、絶妙な距離にいるんですよね。きっと目指したい何かがあって、まだまだそこに追いついていないから頑張ろう、というスタンスが当時から変わっていないからだと思うんですけど。
――伊達さん自身の立場は変わったけれど、楽曲との関係性はあまり変わっていないと。
伊達 隣で励ましてくれるタイプの楽曲ではないと思うんですが、かといって遠いわけでもないというか、やっぱり背中を押してもらえる楽曲なので。MVから受け取るキラキラ感や憧れの気持ちも変わらないですし、距離感も含めて、出会ったときからあまり印象に変化はないですね。
――楽曲のタイトルにも入っている「青春」ですが、伊達さんにとって「青春」とはどんなものですか?
伊達 「気持ち次第」ですかね。「青春」ってどうしても学生時代までというイメージがあると思うんです。私も友達と「卒業したらウチらも『青春』って言えないね」なんて話していたんですけど、実際に卒業してこうしてお仕事をしていると、何かに打ち込んでいたり、毎日、少しでも気持ちに変化や瑞々しさを感じられるなら「青春」なんじゃないかなって。あと、「青春」という言葉を使うだけで、どうにでもなれそうな感じがあって。
――どうにでもなれそう?
伊達 うまくいかないことがあっても「これも青春だし」と思えば前を向ける気がするんです。なんだか軽いなって思われそうですけど、個人的には大事なことだと思っていて。「青春だし、落ち込むのも大事だよ」とか「青春」という言葉に救われることがあるんじゃないかなという気がしているんです。
――ああ、まだまだ先があると思える、ということですね。
伊達 そうです。失敗しても「青春の間だから」と思うことで少し楽になれる。言葉の力ってすごいなと思いますね。
出演していなかったとしても絶対に見ていた『下剋上球児』
――そんな「青春」ど真ん中の作品で、伊達さんも出演しているTVドラマ『下剋上球児』が10月より放送中です。出演が決まったときはどんな気持ちでしたか?
伊達 とにかく驚きました! でも、前から「映像のお芝居に挑戦したい」という気持ちがあったので、挑戦させていただけることがすごくうれしかったです。本当に「ザ・青春」の物語なんですよね。私自身、高校野球を見るのがすごく好きなので、出演していなかったとしても絶対に見ていたと思いますし、そういう作品に出演させていただけるなんて「まさか!」という感じでした。
――戸惑いはありませんでしたか?
伊達 どこから手をつけていいのかな、と迷うことはありましたね。いただいた台本も普段使っているものとは違うので、まずは読み方、たとえば「この記号は何だろう?」というところがあったりして。そこは皆さんに教えていただきながら、なんとか乗り切っています。
――放送部員役ですけど、放送部についての思い出とか、じつは憧れだったということはありますか?
伊達 小学校高学年のときに放送委員会に入っていたんです。といっても、入った理由は「仲のいい子がいたから」だったりするんですけど。給食を放送室に持っていって食べたり、ちょっとした非日常感があって楽しかったですね。
――私も経験があるのですが、放送室で給食を食べるのは楽しかったです。
伊達 なぜか楽しいんですよね(笑)。きっと特別なことを許してもらっている感じがして、ワクワクするからなのかなと思うんですけど。